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一章 千里眼の軍師

 話は、今から二千年以上前のことだ。王たちは、自分たちの理想郷を得るため、戦いに明け暮れていた。その同時期、神は地に千里眼の子供を仕わした。全ては、神々のいたずらとしか思えなかった。世間では、権力争いが絶えず行われ、国がいくつにも分裂していた。

 その中で、特に戦力をあげていたのは、六つの国である。殷国(いんこく)斉国(さいこく)陳国(ちんこく)朱清国(しゅせいこく)忠国(ちゅうこく)清国(しんこく)。どの国も、気が抜けない押し競饅頭のような状態だった。

 今、この六国が欲しがっているのは、軍師だった。この時代、あまり知略に優れている者はおらず、下手に戦を仕掛ける事が出来なかった。その一番適した人物が一人、山中で眠っていた。

「お断りします。私は、権力争いの道具ではありません。」

「柳先生。あなたの千里眼の力が、我々陳国の運命を背負っているのです!」

「お帰りください。私は、あなた方の王に力を貸すことなど、決してない。」

 柳菜伺李盛(りゅうさいしりせい)という、この若き青年は、生まれながらに千里眼を持ち、未来を予知することができるとされている。そのため、千里眼の力を利用し、天下統一を考える王たちが、使者に度々足を運ばせている。

 李盛は、自分の力を恨み、いつの日か、千里眼を使う事を無くし、独学で学び、認められようとしていた。だが、誰一人として彼の実力を認める者はいなかった。そうしていく間に、人と接することがなくなり、山中で細々と暮らそうと考えていたのだが、国が彼を見逃すわけがなかった。自分たちの保身の為、どうにかして彼を手に入れようと、試行錯誤していた。時には、力ずくで連れて行こうとする者もいたが、頭のきれる李盛に刃が立たず、オメオメと帰るしかなかった。

            ※

 ある日。李盛は、いつものように食料を取りに山奥へ行っていた。そこで、倒れている男を一人見つける羽目になってしまった。

「…行き倒れ?」

 李盛は、恐る恐るその場に倒れている男に近づき、仰向けにする。

「まだ、心臓は動いている。」

 李盛は、急いで懐の水筒を取り出し、男に水を飲ませた。

「おい、しっかりしろ!」

 すると、男は水を飲み干し、小さく唸った。

「なんだ。何か言いたいことがあるのか?」

 男の口に耳を近づけると、男は小さな声でこう答えた。

「…はっ、腹…減った…。」

「はぁ〜?」

 男の言葉に呆れていると、腹の虫が山中に響き渡った。


「ワハハハッ!いっやぁ〜、助かった。危うく、餓死するところだった!」

 男は、ガツガツとご飯を食べ、大きな声で笑った。

「なんで、山奥にいたんだ?」

 李盛の言葉に、男は飯を頬張りながら答える。

「実は、人探してたんだけど、妙な草むらに入ったら、迷路みたいに同じ所をグルグル回っちまって、出るに出れなくなったんだよ。」

「人探し?それにしても、よくあの罠から出られたもんだな。」

 李盛は、男を見て呆れてしまう。その罠とは、李盛が仕掛けておいた妖八陣の罠で、同じような石をいくつも高く積み上げ、さも同じ場所に戻ったかのように思わせる幻術のような物である。そこに入ってしまった者は、そう簡単に出られるものではない。妙な電磁波を持っており、方向感覚を麻痺させてしまうのだ。あの妖八陣から出られる者は、"出方"を知っている者だけだ。

「なんだ。あれは、お前が作ったものなのか?」

「どうでも良かろう。」

 李盛は、自分の事を話さず、それ以上男を追求することもなかった。腹ごしらえをし終えたら、男にとっとと出て行ってもらおうと思っていたからだ。

「言い遅れちまったが、俺の名は興清(こうせい)と言う。しばらく、ここに置いてくれないねぇか?」

「は?断る!私は、人にタダ飯を食わせるほど持ち合わせてはいない。」

「行くところがなくて、困っているんだ。頼むよ!薪割りでもなんでもするから。」

「今、人を探していると…!」

「ああ。途中で地図を無くしちまって、どこなのか分からねぇや。ってことで、よろしく頼むよ!」

 興清は、手を合わせる。

「断る!」

 李盛の反撃虚しく、一方的に行き放ち、興清はあっという間に眠ってしまった。強引な人間は、幾人もいたが、ここまで自己中心的な人間は初めてだった。李盛は、賑やかな夜を過ごすこととなった。

 数分後…。

「だから、私一人分しかないと言ったんだ!」

「じゃあ、一緒に寝ればいいじゃねぇか。」

 李盛の家には、友人などという人物が訪れたことはなく、一人分の布団しかなかった。その為、どうやって一夜を過ごすかで、興清と言い合いになっていた。ましてや、この寒い時期に、布団無しで寝るなど、出来ようはすわがない。

「誰が、お前なんかと一緒に寝るか!」

「お前、人と寝たことないのか?」

 興清の言葉に、李盛はカッとなり、思い切り頬を叩く。

「いってぇ〜!」

「もういい。私は、寝ない!お前が使えばいい。」

「見栄っ張りな。」

 興清は、叩かれた頬を触りながら、ため息をついた。

 李盛は、明かりを灯し、読書をしていた。だが、さすがに寒さが体に応えて、時折体を震わせる。興清は、片目でそれを覗き見ていた。一日、二日とそんな夜が続き、さすがの李盛も、寝ずの晩は眠気に勝てず、そのまま眠ってしまうのだった。

 興清は、そっと李盛に近づいた。

「まったく。こんなところで寝たら、風邪を引くだろうが。見栄を張るのも、ほどほどにしろよ。」

 興清は、李盛を抱いて布団に寝かすのだった。

「こんなに冷えてしまって、よく眠れるものだ。まるで、子供じゃないか。」

 興清は、傍らに横たわり、李盛の顔を見つめた。


 李盛は、幼い日の夢を見ていた。

「あの、紫色の目をした子がそうよ。」

「全部、見透かされそうで、気持ち悪い!」

「あまり、近づかないほうが良いわよ。」

 そんな陰口は、日常茶飯事だった。そして、

「あの子の両親が、賊に殺されたそうよ!」

「あの子、知ってたんじゃないの!?」

「非常よね。知っていて知らせないなんて!」

 李盛は、血みどろになった手を見て、涙を流した。

『違う、違う!千里眼なんか、僕は知らない!』

 思った瞬間に、李盛は千里眼が使えるようになった。両親は、幼い時に一緒に寝てくれることはなかった。気持ち悪がって、近づきもしなかった。だから、死んでもなんとも思わなかった。だが、賊が着た時に、自分を庇って地下室に隠してくれた愛情はあった。

「ごめんね。今まで、愛してあげられなくて…。自分の醜い心を見透かされそうで、怖かったの!あなたは、長く生きて!」

 最後に、母親は自分を初めて抱きしめてくれた。そして、あの世に逝ってしまった。初めての温もり。そして、最後の温もりだった。


『…ああ、なんだろうか。あの時に感じた暖かな温もりを感じる。懐かしい…。もっと、もっとこうして暖かな温もりに包まれていたい…。』

 そう思い、李盛は自分を抱きしめてくれている大きな腕に答えるように、自分も背中に手をまわした。

「どうだ。温かいか?」

 李盛は、その声に少しずつ目を開ける。そこには、興清がいた。何故か、涙が頬をつたう。

「あっ…!」

 李盛は、驚いて布団から飛び出る。

『不覚っ…!』

 人に、弱い部分を見せてしまうなど、初めてだった。

「おい。こっちに来い。一人じゃ寒いだろ?」

 興清の言葉に、李盛は涙が溢れてしまう。

「言うなっ…!」

「甘え方が、分からないのか?」

 興清は、李盛のところに歩み寄り、頭を撫でる。

「ほら、こうして抱き合うと、温かいだろ?」

 興清は、李盛の背中に手を回し、強く抱きしめてやる。

『ああ。…心地が良い。』

 李盛は、戸惑いつつも、興清の大きな背中に手を回した。そして、再び眠りにつくのだった。

「長い間、待たせてしまったな。李盛。」

 興清は、泣きながら眠りについた李盛の頭を撫でてやった。

            ※

 興清が家に住み着いてから、もう一週間になっていた。彼は、薪割りが終わった後、ほとんどの時間を眠る事に使っていた。その間にも、あの妖八陣の罠を抜けることが出来た使者たちが、李盛にしつこく言い寄っていた。

「朱清の王は、もうすでに余命幾ばくもない状態。どうか、お力をおかしください!」

「何度も申し上げているとおり、私はどの国にも力を貸すつもりはありません。晴耕雨読をし、一生をここで終えるつもりです。」

「何をもったいないことを!そのお力を、使わぬおつもりですか?千里眼があれば、全てが見え、世の中を平定することなど、あっけないではありませんか!」

 李盛は、使者の言葉に眉をピクリと動かす。

「そうやって、あなた方は楽をし、民のためだと方便を述べるおつもりか?」

 使者は、李盛の言葉に感情を高ぶらせる。

「そうです!あなたは、千里眼の力でどうにでもできましょうが、私たちのような、なんの力も持たない人間は、浅知恵しか思いつかんのです!自分の力を鼻にかけて、どのくらい我らを侮辱すれば気が済む!」

 李盛は、唇を噛みしめる。

「帰っていただこう。これ以上の答弁は、無駄のようだ。」

 使者は、フンッと鼻を鳴らし、姿を消した。使者の鋭い視線に、李盛はいたたまれない思いをした。水をためた桶で自分の紫色の瞳を見つめて、恨まずにはいられなかった。この千里眼に、誰もが嫉妬し、もしくは自分たちの運命を見透かしているのではと、軽蔑の眼差しを向けてくるのだ。

「誰が、鼻にかけてなど!浅知恵だと思うなら、自分で学べば良いのだ!どいつもこいつも、同じことを…!」

 自分の気持ちなど、誰も分かるはずがないと、李盛は孤独感に襲われた。無意識に、手にしていたのは、刃物だった。

「…それで、自分の目を傷つけたところで、なんとする?」

 突如、寝ていたはずの興清が言葉を発した。

 李盛は、男の存在に初めて気が付いたかのような驚きを見せる。思えば、この男だけは、他の人間とは違った目を向けていたことに気づく。

「千里眼だかなんだか知らんが、生まれ持ったものを否定して、逃げるつもりか?」

「なっ、何を知ったような口を…!」

 男の変貌振りに、李盛は目を見開く。男は、背中越しに言を述べていく。

「自分に与えられた試練から逃げて、人を説くなど笑止千万!一から出直したらどうだ?」

 李盛は、男の只ならぬ威圧に身を震わせた。

「…お、お前は、一体何者だ!?」

 それは、この男が来てから、ずっと思っていた問だった。一向に出ていこうとしないこの男は、自分を訪ねてきたと考えざるおえなかった。そして、背中越しに、いつも自分を見ていたかのような視線を、幾度となく感じていた。私を見るお前は、一体なんなのだと、疑問ばかり増えていた。男は、半身をお越し、こう述べた。

「忠王。」

 李盛は、男の背中に、思わず跪きそうになったが、自分の誇りがそうさせなかった。

 忠王とは、世間では、暗君とも暴君とも名君とも言われている、謎の多い王である。その為、李盛ですら、どのような人物なのか、想像もつかなかった。ただ、諸国には、世界一の腕を持つ剣士として知られている。

 忠国は、龍狼族と言う人種が住んでいる国で、気性が荒いことで有名だ。また、忠国は六国の中でも、一番大きな経済力を持った国で、他国との交流を主に行い、商業がとても盛んである。そのため、他国の人々も多く住み、とても賑やかなところだ。屯田制度を初めて始めたのも、この忠王からなのだ。この忠国が悩んでいることと言ったら、やはり気性の激しく龍狼族の軍をまとめる軍師がいないことだ。

「な、何故、そのような方が…?」

「言っただろ、人探しだって。」

 李盛は、何故かこの男から逃げられる気がしなかった。

「李盛。俺から逃げようなどと考えるな。首が飛ぶぞ。」

 逃げられるはずなどなかった。

 忠王の覇気に、身動きすらできなくなっていたのだから。解っているのか、忠王は指で李盛を招き寄せる。

「李盛、こっちに来い。」

 李盛は、言う事を聞くしかなかった。位の違いすぎる男に、逆らう余地などありはしない。ましてや、王自ら来るなど前代未聞。その胆の大きさに、恐れさえ感じる。

 だが、李盛には心に決めた自分なりの誇りがある。

「私は、どのような方にも、頭を下げる気はございません。それが、私の生き方です!」

 そう述べると、忠王は李盛の前で掌を開いた。

「っ…!」

 思わず、後ろに倒れそうになるが、なんとかそこで押しとどまっていた。忠王は、ニヤリと笑う。

「良いねぇ。俺を目の前で見据えて、大口を叩いた奴は、お前が初めてだ。」

 李盛に、驚く間も与えず、忠王は李盛を手元に引き寄せた。

「喜べ。お前が、俺の軍師だ!なかなか肝が据わっているな!」

「?」

 李盛は、忠王の前に座っていることが精一杯で、何を言っているのか理解できずにいた。

 忠王の顔は、いつもの飢え死に能天気男の顔に戻っていた。その顔を見て、ようやく言葉を理解する。

「はっ?なっ、何を勝手に…!」

「悪ぃけど、飯作ってくれ!腹減ったぁ〜!」

 忠王は、李盛の言い分を聞く耳など持っていなかった。

「わ、私は、まだあなたに仕えるなど…!」

「李盛よ。お前は、なんのために生まれ落ちたか考えたことはあるか?」

「え?」

 忠王は、李盛の首に手をまわす。

「俺は、こう思っている。お前は、俺に仕え、俺の力になるために生まれたのだ。」

 李盛は、その言葉に感情が高鳴り、顔を赤くする。

「お、お放しください!」

 李盛は、パッと忠王の手をどけ、手で口を抑える。

「し、信じられない。こんな、身勝手な言い分を述べる人がいるなんて!」

 忠王は、李盛の動揺した姿に笑い飛ばした。

「お前は幸せだぞ!この俺のために存在したのだからな。」

 笑い飛ばす忠王に、李盛は、まだ言うか!と睨みつける。

「俺は、一目でお前に惚れた。だから、俺の側にいろ。」

「あっ、あなたって方は…!そうやって、言葉で私を縛り付けるおつもりか!」

 李盛は、思わず怒鳴る。忠王の言は、李盛を逃さないように、首輪をしたようなものだ。

「そうだ。お前は、俺のものだ!俺と共に乱世を生きようぞ!」

 忠王は、両手を広げ、満遍の笑みを浮かべた。李盛は、これまでにない胸の高鳴りを感じる。それは、さながら女性が口説かれた時のような感じだ。王に、こんな全面アプローチをされ、落ちない人間がいるだろうか。李盛は、動揺を隠しきれず、胸を両手で抑える。

「あ、ああ、あなたは、なんてズルい人だ…!」

「あはははっ、全身真っ赤だぞ?可愛い奴だな!」

「お、おちょくらないでください!」

 李盛は、恥ずかしさに耐えられず、涙目で体を震わさた。だが、嬉しさがあったのは、言うまでもないだろう。


 忠王の腹の虫を合図に、李盛は穴場にしている場所で、いつものように食料を取りに行った。殺風景なこの場所が、李盛がもっとも好きな場所である。だが、いつもと違う雰囲気に警戒する。周りでは、不自然な風の音が響いていた。

「…囲まれたか。」

 李盛は、周囲を警戒して、すばやくその場から駆け出した。それと同時に、やはり風の音はついてきた。

「ちょこまかと!」

 李盛は、例の高い草が多い茂る場所に逃げ込んだ。何回か、このように見張られることはあったが、何回もこの妖八陣の罠のおかげで難を逃れていた。影は、次々と散らばり、草の中に入ってきた。

「うわぁっ!」

 その瞬間に、周りにいた影たちが次々と悲鳴をあげていった。

「ははっ、ここは私の庭のようなものだ!」

 罠を抜け、一安心したが、李盛はあることに気づく。自分の着物の袖に、糸がついていた。

「これはっ…!」

 すると、幾人もの影が姿を現す。

「っ…!私一人のために、手のこんだことをしてくれる!」

「我らが影の仕掛けであります。この罠は厄介だ。だから、あなたが姿をよく現す場所に、来るのを待っていました。」

「なるほどな。それなら、私の服についた跡を追撃すれば済むからな。」

 李盛は、チッと舌打ちする。このように頭の働く影に会ったことはない。

「あなたは、幾度となく我らが同胞を陥れた。だから、決して甘く見ることはしない!」

 李盛は、やられた、と拳を握る。影たちは瞬時に李盛を取り囲む。

「殷王の命により、あなた様をお連れします。」

「殷王…だと!?」

 殷王は、悪名高い王である。民を苦しめ、治安は悪化している。

「お生憎様。既に、仕えるべき主を決めているのでね!」

 李盛は、手元に持った釜を構える。だが、後から吹き矢が放たれる。

「なっ…!」

 次第に体の自由を奪われ、李盛は膝を折る。ジワジワと痺れが体中を巡ってきて、動けなくなる。

「っ…!ひ…きょうなっ!」

「お連れしろ。」

 頭と思われる者が合図すると、隣の影が動けなくなった李盛を担ぎ上げる。

「はっ…なせ!」

「ご同行願います。」

 抵抗する余地など、ありはしなかった。李盛は、次第に意識を失っていった。

『…ああ。忠…王、陛下…。』

            ※

 殷国は、お世辞にも、恵まれた国とは言えないほど腐敗していた。だが、その荒れた大地の中で、一つだけきらびやかな城が建っていた。言うまでもなく、殷王の住まう城である。その城は、民に無理な労働力と疲労の上に作られた、金色の城である。見た目は美しいが、全ては民の苦しみが詰まっている建物だ。殷王は、恐怖政治を生業としており、逆らえば決して命はない。

「盛邦よ。ついに、奴を捕らえたようだな。」

「はい。手間をかけさせましたが、所詮は"人"であります。」

 盛邦は、愛想笑いをする。盛邦は、殷王の側近である。この殷王に恐怖政治を叩き込んだ張本人である。殷王の影に隠れ、自分の悪行の限りをつくしている。殷王は、口下手のため、いつも隣には盛邦がいて口を挟む。真の悪人と呼べるだろう。


 殷王の影に連れ去られ、李盛は薄暗い牢屋に縛り付けられていた。

「くっ!なぜ、私がこのようなはめに…。言う事を聞かないからと、縛り付けることしか能がないのか?」

 李盛は、落胆の色を覗かせた。それと同時に、食事を待っているであろう忠王のことが、とても気になっていた。

「…忠王、陛下…。」

 ようやく、仕えるべき主に出会えたと思ったが、いとも容易く引き裂かれてしまい、落ち込まずにはいられなかった。


 数日後。諸国には、千里眼の軍師が殷王に加担したという報が届いた。

 これを、一番良く思わないのは、誰あろう忠王である。

「おのれ、殷王!俺と李盛との蜜月を邪魔した上に、無理やりさらっていくとは。俺の軍師を連れ去るとは、いい度胸だ!」

 忠王の激怒に、家臣たちは身を縮めた。

 あの日、忠王は李盛の帰りが遅いことに気づき、山奥に探しに行った。すると、そこには食料が入った籠が横たわっていた。忠王は、李盛の身の危険を案じ、直ぐ様城へと帰ったのだった。

「よりによって、あの殷王!卑劣かつ、悪醜を漂わせる豚が!!」

 忠王は、ドンッ!と壁を思い切り叩く。家臣たちは、ヒィッと悲鳴を上げる。

「ど、どうかお静まりください陛下!」

 声をかけたのは、家臣の一人、嵩高仔だ。

「静まれだと?どう静まれと言うのだ!李盛を得るため、俺は自ら出向き、奴の人となりを見た。そして、やっと極上の酒を手に入れたかと思えば、あの殷王!あの殷王が、俺の李盛を奪い取りやがった!」

「お怒りは、ごもっとも!確かに、陛下に李盛のいる場所を教えたのは、この私であります。そうでもしなければ、李盛が心動かされることはないと思ったからです!」

 嵩高仔は、李盛と共に同じ師に兵法を学んだ仲だ。唯一の、李盛の学友と言っていいだろう。その師とは、水鏡と言う。李盛が使っていた妖八陣の罠も、兵法の一つだ。

「お前が言った通り、李盛は、直に接しなくては分からない者だった。それは、千里眼の力だけではないと思ったからだ!」

「はい。李盛は、水鏡先生の元、私と共に兵法を学んで参りました。千里眼があろうとも、兵法なくして軍事はなし得ないからです。それを知っているのは、ほんの一部の人間。彼の人となりを知らなくては、味方になどつきません!」

「なら、もはや問答など良かろう。すぐにでも、戦の準備をするぞ!」

「は、はい。しかし、少しお待ちください!」

 嵩高仔が止めようとすると、そこに弟の梓伯が姿を表した。

「なんの騒ぎかと思えば、興清お前、いつ帰ってきたんだ?飢え死にしたのかと思ったぞ。」

「おう、梓伯。俺は、殷国に攻めに行くぞ!」

「阿呆か!そんなに急いてどうする?第一、誰が軍をまとめるんだよ。」

 忠王は、キョトンとする。

「問題は、そこではない。李盛は、俺以外の者の言う事は決して聞かないだろう。だが、殷王のことだ。李盛の千里眼を、ほじくり出してでも奪うに違いない!」

「なるほど。それは、ちと厄介だな。」

 家臣たちも、それは大変なことだとザワつき出す。

「心配はごもっともですが、一体陛下は、どのように軍を集めるつもりでおいでなのですか?」

 嵩高仔の言葉に、忠王は、フンッと笑う。

「諸国の王を帝のもとに集め、協議する!殷王の報は、すでに諸国にも知れ渡っているだろうからな。帝の命とあれば、殷王も出席しなくてはいけなくなる!」

「なるほど。」

 嵩高仔は、笑みを浮かべる。

「ならば、そのスキに俺が李盛を奪い返してこよう。お前が、動揺するくらいだ。大事なんだろ?」

「ああ。すまないな!」

 忠王は、梓伯に自分の剣を渡した。

「お前さんの惚れた相手だ。丁重に奪い返してくるよ!」

「だが、気をつけろ。あの頭の切れる李盛の手に負えなかった相手が潜んでいるはずだ!」

「分かってる。俺のことを信じろ!」

 梓伯の笑みに、忠王は頷く。

「蒼仁。お前に、城の守りを任せる!」

 忠王がそう言うと、身体のでかい男が拳を握り、掌で叩く。

「おうっ!任せておけ。」

 蒼仁は、忠王の右手と言われているほどの豪将だ。彼の前に立てば、切り裂かれない者はいないと言われている。

「嵩高仔。お前は、蒼仁の指揮をしろ!」

「ははっ!かしこまりました。」

「では、帝の元へ参るぞ!」

 忠王は、一軍を率いて、六国中央に位置する帝の元へ、足早に向かった。


 李盛は、縛られたまま、殷王に会う羽目になっていた。

「なかなか、手こずらせてくれたな、千里眼の主よ。」

 李盛は、殷王のふくよかな脂ぎった身体を見て、おぞましいほどの悪醜を感じた。どれだけ、私服を肥やしてきたかが、手にとって見える。

「これが、客人に対する礼儀とは、いかがなものか!」

「客人?」

 殷王は、ウホウホと笑う。

「客人とは、意なことを言う。お前は、わしの道具にすぎない。素直にわしの言う事を聞いていたら、こんな待遇を受けすぎすんだものを。もはや、お前はわしの私物にすぎん。」

「何を抜け抜けと!私は、お前の言う事など聞かん!貴様のような者に仕える気などないと言ったはずだ!」

「それよ!せっかく、わしが目をつけてやったのだから、素直に喜べばよいのじゃ!」

 李盛は、殷王に腹を立てずにはいられなかった。しかし、この殷王に自分の言葉が伝わるとは、到底思えなかった。

「まあ、言う通りにしなくても、わしの道具として重宝してやろう。」

 殷王は、盛邦を見て、顎をクイッとあげる。すると、李盛に巻いたあった縄を解いたかと思うと、あの傀儡の影が、李盛の体中に糸をつけて、無理やり一礼させた。言う事を効かない身体に、李盛は屈辱を感じた。

「くっそ…!!」

 屈辱的なことに、見ていた殷王と盛邦は、高笑いする。

「ほれ、もうわしに跪きよった!」

 無理矢理、頭を下げさせられた李盛は、頭にくる。

「身体は、自由にすることが出来ても、心までお前の言う通りにはならん!!」

 殷王は、派手な扇を仰いで玉座に座った。すると、一人の兵が走ってきた。

「申し上げます!」

「何事だ。」

 盛邦が、受け答えをする。

「ただいま、帝より、召集の命が届きましてございます!」

「帝じゃと!?」

 殷王は、跳ね上がる。殷王とて、一国の主。だが、帝の命となれば、行かないわけにはいかなかった。

「盛邦。いかがしたものか?」

 殷王は、焦って盛邦に頼る。

「問題ございません。おそらく、どこぞの輩が仕掛けた策でしょう。しかし、心配には及びません。陛下は、何事もなかったように参加なされば良い。」

「ふ、ふむ。なるほどな!」

 殷王は、高らかと笑う。

「きっと、こやつの事を聞いてくるでしょう。操り、他の王たちに千里眼の姿を見せれば効果があるのでしょうが、残念なことに、身体は操れても、口は操れませんので、止めておいたほうが良いでしょう。他の王たちには、千里眼は病だとでも言っておけばよろしいかと。」

「なるほどな。」

「千里眼の後の事は、この盛邦にお任せ下さい。」

 盛邦は、頭を垂れる李盛の元に足を運ぶ。

「さて、じっくり調教してやろう。」

「…この、大悪党めっ…!」

 李盛は、睨み返した。

            ※

 諸国では、あの頑固な李盛が、大悪党に仕えたなど、信じられないと言った噂が持ちきりになっていた。諸国の使者は、確かな情報を得ようと殷国に潜入したが、殷王の隣に千里眼の主が居た形跡は一切なく、怪しいと不信に思う王が多かった。

 忠王も、梓伯の密偵の情報を得ていた。

「殷王め、李盛を監禁して、拷問してやがる!まったく、悪趣味なことだ。」

 忠王は、上隣の国である斉国の斉王と、前々から殷王抹殺の計画をたてることを考え合っていた。

 斉国は、とても豊かな国で、数々の書生が学問に励んでいる。斉国では、どんなに乏しくお金を持たない子供でも、学問を受ける権利を与え、その中から良い人材を得ようと考えている。文官が多い国と言って良いだろう。斉国は、六国の中でも二番目に大きい国である。忠国に、ライバル意識を燃やしている点もあり、お互いに良い経済競争だ。

 斉国の左隣が、殷国となる。そのため、殷国からの難民が多くなり、資金が無くなり始めていることが、悩みの種となっていた。

 斉王は、昔から名家の名で知られている。斉王の血筋が一番長く栄えたため、その名家に惹かれて集まる者が多い。忠王とは、幼い頃からの友人である。

「殷王が、千里眼の主を連れ去ったことは、言うまでもない。私の使者は、彼の姿を見かけなかったが、果たして本当に、彼が殷王に加担したかどうかは怪しいものだ。」

「殷王は、必ず兵を上げてくる。その前に、手をうたなくてはならん。俺の軍は、既に待機させてある。」

 忠王の言葉に、斉王は眉間にしわを寄せた。

「うむ。だが、我々だけでは、心もとない。他国へも、援助をいただかなくてはな!」

「それは、あんたに任せた!俺は、そういうの苦手なんだ。」

 忠王は、早々と斉王の元を去る。

「お、おい!お前は、いつもそうやって…。聞いているのか!?」

 忠王は、斉王をそっちのけで、酒を片手に月がよく見える庭先に足を運んだ。

「動きはどうだ?」

 忠王は、闇に話しかける。すると、どこからともなく答えが返ってきた。

「李盛殿は、今だ監禁されたご様子。それと…。」

「なんだ?」

「我らの同胞が、半数近く消されました。」

 忠王は、一瞬酒を飲むのを止める。

「そうか。注意をしつつ、梓伯の護衛を頼む!」

「御意!」

 カサッという音と共に、また静けさが戻った。

「李盛よ。今だ、我らの星は一つにならんようだ…。」

 同時刻。李盛も、牢の窓から見える星を見ていた。

「…我が天命、今だ定まらず…。乱世は、まもなく訪れるであろう。」

 李盛の存在によって、六国の均衡が解かれるのは、時間の問題だった。

            ※

 この世界には、古くからの伝統がある。国々の国境の中心にある帝がおわす城に、年に一度王たちが集い、会議を行うのだ。これは、絶対的伝統行事である。全ての王が集まる場は、王の身の安全を守るために、ほとんどの国の兵たちも集まり、殺気立っている。国の警備が手薄になるのは、この時だけだろう。

「今日、話し合うのは、なにあろう千里眼の主のことである。」

 会議の中心をとるのは、斉王である。一番長い、名家の特権と言えるだろう。殷王は、フンッと鼻で笑う。

「我々は、平等に事に運び、長い友好関係を保とうとしてきた。人を拉致し、押し付けることはしないと決めていた。だが、それを破った者がおる!」

 視線は、一斉に殷王の方に向けられた。

「フンッ!皆で、わしを消しかけようとするか。これこそ、反乱の証ぞ!」

 しらける殷王に、陳王が口を出す。

「なにを抜け抜けと!お主が、千里眼の主を奪ったのは、明白だぞ!」

 陳王は、自称名家の跡取りで、斉王のマネをしている。プライドだけは一人前だが、生まれながらのお坊ちゃまのため、人を下手に見る癖がある。人心も、無きにしもあらずだ。

 陳国は、六国の中でもあまりそれと言って優れたところもないが、今の所、平等に経済は成り立っている。だが、影で賄賂を扱う輩が多く、民からの税金が厳しいと噂が流れている。その噂も、満更でもなさそうなのだが、陳王がそれを改善しようと考えているのかは疑問である。

「証拠でもあるのか?」

 殷王は、陳王をいつも馬鹿にする。陳王は、ツンと顎を上げる。

「お主の軍師になったのなら、なぜお前の傍らにその軍師がおらんのだ?」

「奴は、病弱で寝込んでおる。出られるわけがなかろうに!」

 殷王の言葉に、忠王は、一瞬だが殺気を向ける。

「ヒッ…!」

 殷王は、気を抜いていたため、どこから目線を向けられたのか、キョロキョロと一人ずつ顔を見る。

「馬鹿らしい!それで、言い逃れしたつもりか?奴は、我が国の軍師になると決まっておるのじゃ!」

 陳王は、尖った顎を更に上に向ける。

「なにを!奴が、世間体を気にするお前なんぞに仕えるわけがない!」

「なっ、なんじゃと!?」

 二人の言い合いに、斉王は困り果てて、清王はヤレヤレと頭をかいた。

「あのー。このまま言い合っていても仕方ないですし、肝心の軍師様に出てきていただいたほうが良いのでは…?」

 口を出した清王。

 この清国は、とても民に好かれ、国の中でも一番人徳のある王がいる国である。だが、優柔不断で、決断力に欠け、国も未だに安定していない。清国は、最も民を尊重した国である。民の訴えがあれば、それを改善することに力を入れ、無理な税金も取らない。畑を耕し、自給自足の生活を主に行っている。そのため、国の大半は畑になっている。大嵐や、虫が大発生した日には、とてつもない災害を受けることは確実だ。経済的には、とても豊かとは言えないが、民にとっての自由国と言えよう。更に、清王は、唯一忠王と剣の腕が同等と言える才能を持っている。にも関わらず、決して剣で人にものを言ったりしない。それ故、民から尊敬されているのだ。

「お前は、人の話しを聞いていたのか?奴は病で寝ていると言っただろう!」

 殷王が、苛立って言い返す。

「はあ。でも、この問題は、本人がいないとどうしようもないことですし…。」

 のほほんとした清王の言葉に、いつもキレるのは陳王だ。

「貴様では話しにならん。黙っておれ!」

「は、はあ…。」

 清王は、陳王の言葉にいつも口を閉ざす。陳王は、清王が農民の生まれだということで、下に見ている。そのため、清王を侮辱の目で見ている。

「お主、先ほどから黙っておるが、何か言いたいのだろう?」

 殷王は、忠王の澄ました顔が気に入らず、くってかかる。

「では、簡単な質問といくか。李盛が、一体あんたのどこに惹かれたのか、是非とも聞かせてもらいたいものだ。」

 忠王は、ニヤリと笑う。それを見て、殷王はウッと唸る。

「ふ、ふん!そんなことか。奴は、わしの財宝を半分明け渡すと言ったら、簡単に頭を下げた!」

 忠王は、殷王の答えに大いに笑う。

「晴耕雨読を掲げている李盛が、財宝などで心動かされるわけがないだろ!」

 殷王は、忠王に押されるのが一番嫌いだ。彼の問は、いつも話の要点をついてくるため、緊張感を持たせ、どの王でさえ、動揺を隠しきれない。

「な、何が可笑しい!」

「あんた。相変わらず言葉を知らないな。自分で墓穴を掘ってどうする?李盛は、王に頭を下げることをしないぞ。この俺を目の前にしても、頭を垂れなかった!」

 腹を抱えて笑う忠王を見て、他の王たちが顔を見合わせる。

「あいつの好物を知っているか?松茸だぞ!」

 忠王の言葉に、殷王は頭が真っ白になった。

「お、お前っ。奴に会ったことが…!?」

「お前は、李盛を何も知らない。奴は、お前なんぞに使える相手ではない!」

 忠王は、薄気味悪い笑みを見せる。言葉で、この忠王に敵う相手がいるなら、精々李盛ぐらいだろう。

「い、言わせておけば、馬鹿にしおって!」

 殷王は、地団駄を、踏む。王たちの会話を聞いて、上で聞いていた帝が、ホホホッと笑う。

「朕も、千里眼の主に会いたいものよ。のう、水晶。」

「はい。」

 帝の隣に立っていた、綺麗な顔の男性が相槌を返す。それを見て、一瞬王たちは黙り込むが、痺れをきらしたのは、やはり殷王だった。

「ええい。千里眼のあやつは、もはやわしの私物じゃ!お主ら、痛い目に会うぞ!」

 盛邦のいない殷王が、忠王に適うはずがなかった。

「それは、李盛を無理矢理攫ったと自白したということだな?」

 忠王が睨むと、冷や汗をかきながら、気持ち悪い笑みを浮かべ、強口をたたく。

「ふ、ふん!手に入れたのはわしじゃ!簡単に攻め込めると思ったら、大間違いだ!」

 殷王は、席を立って帰って行く。その後ろ姿を見た後、三人の王が忠王を見る。

「せ、千里眼の主に、お会いになったのですか?」

 清王が、忠王に問いかける。

「それよりも、これで李盛が連れ攫われたことが判明した。殷王は、すぐにでも動くはずだ。奴は、勢力を伸ばし、斉国、陳国へと攻めてくる。ここで、我らが叩くしか、道はなかろう?」

 忠王の言葉に、皆小さく頷いた。

「だが、あちらには千里眼がある。奴らは、必ず利用してくるはずだ!」

 斉王の言い分に、諸侯は頭を悩ませた。

「お前ら、李盛をなんだと思っている?ただで捕まっているほど、馬鹿ではないぞ。」

 忠王は、自信ありげに笑って見せる。それを見て、諸侯は自信を取り戻す。

「そ、そうだな!」

 陳王も、いつものように顎を上げる。

「仮にも、千里眼の持ち主ですからね!」

 一番自信なさげな清王も、立ち上がる。

 王たちは、忠王の言葉に激励され、殷王討伐に勤しむのだった。だが、このことを良く思わなかったのは、斉王である。自分が、グループの中心になれなかったことにも腹を立てていたが、なにより、忠王の策にまんまとハマっていることに、とても苛立っていた。幼い頃にも、斉王はいつも忠王に良いところをとられ、自分はいつも、最後には二番手にされていた。忠王は、人をうまく乗せることを知っている。それが、たまらなく嫌いなのだ。

「朱清王が、病に犯されている今、団結して我ら四人が、千里眼の主を救い出す!その後、彼に主を決めていただこう!」

 斉王の言葉に、諸侯は頷き、忠王は意味深な笑みを浮かべた。

            ※

 李盛は、殷王に監禁されてから丸三日経ち、そろそろ命が危なくなるだろうと、試行錯誤していた。

 盛邦曰く、言う事を聞かないのなら、食事を与えない、と言っていた。そうして、徐々に、自分の言う事を聞くように、仕向けようとしているのだ。

「チッ!見事になんにも思いつかないなんて、猫の手も借りたいぐらいだ!」

 李盛は、見張りが居ないことを確認して、鉄格子に手をかけていた。すると、どこからか不自然な猫の鳴き声が聞こえてきた。

「誰かいるのか?猫でも良い!姿を見せてくれ!」

 李盛の呼びかけに、姿を見せたのは梓伯だった。

「へへっ。忠王の命令で、助けにきたぜ。」

 李盛は、忠王と聞き、ホッとする。

「すまないが、この鉄格子を壊してくれないか?」

「容易いことだ!」

 梓伯は、剣で切り刻んで出口を作った。

「す、凄いなっ…!」

 李盛は、さすが龍狼族と関心してしまう。

「さあ、早く脱出するぞ!」

「ああ!」

 李盛は、梓伯の跡をついて行く。すると、見張りが全員倒れていることを確認する。

「全部、お前がやったのか?」

「まあな。」

 牢屋の通路を出たとこらで、李盛は妙な事に気づく。

「ちょっと待て!」

 李盛の言葉に、梓伯が足を止める。

「…妙だ。あまりにも、簡単すぎる。もしかして…。」

 李盛は、梓伯の腕をとり、物陰に隠れる。

「一体どうした!?」

「見ろ。」

 そう言って顎を動かし、牢の入り口に細い糸が張り巡らされていることを教える。

「いつの間に!俺が着た時には、なかったはずだが。」

「きっと、殷王に仕える影の仕業だ。ここからは、出られない。」

「じゃあ、どうしろって言うんだ?」

 李盛は、梓伯を手招きする。

「こっちへ来い!」

 李盛は、梓伯が倒した見張りの兵士の防具を外す。

「これを着て、脱出する。」

「うへぇ、なるほどな。でも、俺の身体に合う物があるか?」

 兵士は、どれも身体が細くて、とても食べ物をまともに与えられていないことが分かるくらいガリガリの人間ばかりだ。

「うだうだ言ってないで、早く着ろ!どうせ、ボロい防具しか兵士に与えていないんだ。バレはしないだろ。」

 梓伯は、李盛からボロボロの防具を受け取り、渋々着る。二人は、入り口を避け、牢屋の裏手へ行く。

「おい。こんな奥に行ってどうするんだ?」

「見張りの兵士が、ここから十分おきに出てきて、交代していた。きっと、裏口があるはずだ。」

 そう言いながら、李盛は壁を探る。

「へぇ。お前、ただ捕まっていただけじゃないんだな。」

「当然だろ。」

 李盛は、ニッと笑って見せる。そして、一箇所の石積みされている部分から微かに煙が出ていることに気づく。

「ここか!」

 李盛がそこを押すと、入り口が現れた。だが、とてつもない異臭に、鼻を押さえる。

「な、なんだここは!?」

 梓伯も、鼻を押さえて、目の前の光景を見る。

 そこには、奴隷になった殷国の民が強制労働させられている工場だった。異様な光景に、二人は呆然と立ち尽くす。中央には、大きな釜がグツグツ煮えたぎり、働けなくなった奴隷たちが、次々と落とされていた。工場中に、悲鳴が鳴り響いている。

「なっ、なんてことだ!」

「酷ぇな…!」

 言いながら、二人は働いている奴隷たちの間を歩いて行く。皆、気力を無くし、ただひたすら身体を動かしている。そして、老若男女問わず、五体を切り刻まれる者や、光熱でむせられた柱に縛り付けられ、焼かれている者。両側から、足を牛に縛り付けて引っ張らせ、真っ二つに切り裂かれる者など、まさに地獄絵図だった。

「これが、殷王の…本来の姿か…!」

 思わず、立ち尽くす李盛の背中を、梓伯が軽く叩く。

「長居は無用だ。早く、脱出しようぜ!」

「…ああ。」

 殷王が、大悪党と呼ばれていた意味が、理解できた。いたたまれない光景に、李盛は頭を振る。今は、何も出来ない自分に、無力さを感じる。そして、二人は工場を抜け、城の塀へとたどり着く。

「ふうっ。ここまで来れば、一安心だな。」

「まだだ!気を抜くな。」

「わ、分かって…!」

 すると、一本の矢が飛んでくる。それを、梓伯は叩き落とす。

「あなたなら、きっと脱出すると思っていましたよ。」

 後から声がしたと思うと、弓兵を大勢引き連れた盛邦がいた。

「くそっ!もう少しのところを!」

 梓伯は、李盛を背にかばう。すると、塀の上から、一本の縄が落ちてきた。

「若、こちらへ!」

 塀の上には、忠王の影が待っていた。

「おうっ!李盛、先に登れ。」

「悪いが、無理だ。体力が無くて、登れそうにない。」

「はぁ?」

 それを聞いて、盛邦が高らかに笑う。

「当たり前でしょう。こういう事態を想定して、食べ物も飲み物も、一切与えていないのですから。」

「なんだと!?」

 梓伯は、冷や汗をかいている李盛の顔を見る。

「ようは、千里眼さえ手に入れば良いのです。あなたの身体は、どうなろうと知ったことではない。」

 盛邦は、不気味な笑みを浮かべる。それを見て、あの地獄絵図を描いた人物がだれなのか、想像できる。

「李盛。無理でも、縄にしがみつけ!後は、上にいる奴らが上げてくれるはずだ。」

「無茶なことを言うな!この兵の数、お前一人ではどうにもならんぞ!?」

 言ったと同時に、多くの矢が飛んでくる。それを、梓伯は剣を振るい落とす。

「ごちゃごちゃ言わずに、身体に縄を巻きつけてでもして登れ!」

 李盛は、梓伯を気にしながら、急いで縄を腰に巻き付ける。すると、上にいた影が徐々に上に上げていく。それを見て、梓伯はニッと笑い、弓兵を相手にする。だが、数が多く、体のあちこちに矢を浴びる。その光景を見て、縄にしがみついていた李盛が、下を向く。

「梓伯!」

 李盛は、あと少しで塀の上にたどり着くところまで登っていた。だが、

「無駄、ですよ。」

 盛邦が言葉を発すると、上にいた影たちが、傀儡の糸に首を巻かれて、息絶える。すると、李盛は真っ逆さまに下へ落下する。

「あっ!」

 突然のことで、李盛は受け身を取れないでいる。目を瞑ったところに、李盛の身体中に糸が巻かれ、地面に叩きつけられることなく中に舞うように、手足を縛られる。

「くっそ!」

 梓伯は、ボロボロになりながら、李盛の身体に巻かれた糸を切り落とす。

「ほほほっ!脱出しようとして、失敗した時の落胆は、計り知れないでしょ?」

 真の悪人は、盛邦だと悟った李盛は、ボロボロになった梓伯を見る。

「若っ!」

 三人の影が、梓伯と李盛を庇う。だが、李盛は一つため息を吐く。

「梓伯。短剣を借りるぞ。」

「あ?」

 李盛は、短剣を自分の右目に刺す。

「うっぐおぉおお〜!!」

「お前っ…!!」

 李盛は、自分の右目を取り出す。紫の宝玉が、コロンと地面に落ちる。

「なっ、何やってんだよ!」

「…ここまでだ。二人で逃げ出すことは、無理だろう。」

 李盛は、息を切らしながら、落ちた宝玉を梓伯に渡す。

「これを、忠王陛下に渡してくれ!お前は、生き延びなくてはいけない!」

「何言って…!」

 李盛は、短剣を持ちながら、梓伯の前に立つ。

「馬鹿なことを言うな!お前を置いてなど…!」

 だが、忠王の影は、ボロボロの梓伯を抱えた。

「申し訳ありません、若!優先すべきは、貴方のお命です!」

 それを見て、李盛はニッと笑う。

「すぐに殺したりしません。あなたには、まだ利用価値がありますからね。」

 盛邦が言うと、李盛はフンッと鼻で笑ってみせる。

「そう、何度もお前の言う通りになってやるつもりはないんでね!」

 李盛は、短剣を首に当てる。

「なっ、何を…!」

 盛邦が、李盛に気を取られているうちに、梓伯を抱えた三人の影は姿を消す。

「李せっ…!」

 梓伯が、逃げたことを確認し、李盛は天を仰ぐ。

『忠王陛下。どうやら、あなたにお仕えすること、叶わぬようです。』

「私は、お前たちの操り人形になどならない!さらば!!」

 李盛は、短剣を思い切り振りかざした。

            ※

 忠王は、フッと目を覚ました。そして、軍を編成している真っ只中でうたた寝していたことに気づく。

 周りには、斉・清・陳国と、忠国の軍が隊列をしていた。

「これより、一気に殷国へと攻め入る!千里眼の主を、救い出すのだ!」

「おお〜!」

 斉王の号令に、兵は高らかと声を上げる。

 忠王は、影の気配に気がつく。

「陛下、申し訳ありません。若が、深手を負ってしまいました。しかし、一命はとりとめております!」

「…そうか。李盛のほうは?」

 影は、紫の宝玉を忠王に差し出す。それを見て、目を見開き、唇を噛む。

「…分かった。」

 忠王は、宝玉を手にし、強く握りしめる。


 殷国に戻った殷王は、ご立腹だった。

「馬鹿者!千里眼の主が自害しただと!?」

「も、申し訳ありません!ですが、遺体はまだ腐っておりませんので、あやつらに傀儡を操らせればっ…!」

「だからと言って、もう片方の千里眼を敵に渡してしまっては、意味がないではないか!」

 盛邦は、今まで失敗したことがなかったため、殷王の前で身をすくめる。

「だ、大丈夫でございます!もう片方の千里眼が…。」

「も、申し上げます!傀儡の影たちが、千里眼の主を持ち去ったとのことです!」

 兵の言葉に、殷王と盛邦は青ざめる。今まで、飼い犬に手を噛まれたことがないため、動揺を隠しきれなかった。

「なっ、なんだと!?」

「申し上げます!」

 次々と兵士たちが来る。

「今度は、なんだ!」

「斉・陳・忠・清国の四国の軍が、国境を越え、我が国に潜入したとのこと!その数、三万とのことです!」

「ええい!何をやっておるのだ!」

 殷王は、扇を折る。

「我が国は、かき集めて精々五千が良いところをです!」

「どうにかならんか、盛邦!」

 盛邦は、焦りながらも考えた。

「では、工場場で働いている者どもを加えましょう!褒美をやると伝えれば、頭数にはなります!」

「よ、よし!そのようにいたせ。」

 殷王は、急いで兵をかき集めるのだった。


 諸侯は、殷国の地に足を進めた。すると、ガリガリに痩せて、ボロボロの装備をした幾人もの兵士たちが、ユラリユラリと先方の斉国の軍に近づいていた。異様な雰囲気に、皆固まる。

「…な、なんだ。こいつらは!?」

 殷国の兵士たちは、ブツブツと呟きながら歩みを進める。

「…飯…め…し…!」

 一人が走り出すと、釣られて他の兵たちも走り出す。それは、欲にまみれた、ただ飢餓感からの解放を求める殺気だった。

 斉国の兵たちは、その勢いに飲まれて切り込まれていく。中には、悲鳴を上げて逃げ出す者も出ていた。

「お、落ち着け体制を立て直すのだ!兵の数は、どのくらいなのだ!?」

 斉王は、兵士に問いかける。

「数は、およそ一万!奴らは、兵糧を狙っている模様です!」

「くっ!兵糧だと!?」

 斉王は、異様な光景を目にする。殷の兵士たちが、自分たちの兵士にかぶりついているところを目の当たりにした。

「うあぁ!や、やめろぉ〜!!」

 一人の兵士が、武器を捨てて逃げると、その兵士に群がるように殷の兵士たちが追いかけてくる。そして、共食いをしている。

「怯むな!相手は、痩せ焦げている力のない兵士だ!」

 斉王は、鼓舞するが、兵は後退し始める。飢えた兵士たちには、幻覚が見えて敵が大きな肉の塊に見えていた。その襲い方は、尋常ではなかった。それを見ていた陳国、清国の兵は、ただ立ちすくむ。

「…あいつら、本当に人間か…!?」

 後方を守っていた忠国の兵たちは、ただ見ていた。

「殷王も、自分たちの醜態を、晒したか。」

 そう言い、忠王はあることを兵士に言いつける。

「お前たち、直ちに多くの饅頭を作れ!」

「はっ!ま、饅頭…でございますか?」

 兵士の一人が首を傾げる。

「奴らは、飢えに飢えている。斉国の兵士が、抑えているうちに、ありったけの食料を用意するのだ!」

「ははっ!」

 忠王は、立ち尽くしている陳国と清国の兵士たちのもとに行く。

「皆のもの、これを見ろ!」

 忠王は、紫の宝玉をかざす。それを見て、陳王、清王だけでなく、兵士たちも目を見開く。

「千里眼の主、李盛が俺のもとに千里眼を使わした!彼の命は救えなかったが、我々には千里眼がある!この千里眼が示している。斉国の兵士たちのように、殷国の兵に食いちぎられたくなければ、直ちに食料を作れ!そして、殷の哀れな民たちに、食料を与えてやるのだ!」

「お、おお〜!」

 陳国と清国の兵士たちは、急いで煮出しを始める。斉国の兵士たちが、持ちこたえているのも、時間の問題だった。そんな中、食べ物のいい匂いが漂い、斉王はその匂いを嗅いで後ろを振り向く。

「ええい!このような時に、飯など作るとは、何を考えておるのだ!」

 斉王は、眉間にシワを寄せて怒鳴るが、先程までの殷国の兵士たちの動きが、一気に止まったことに気づく。

 殷の兵士たちは、いい匂いに、天を仰いでいる。

「い、一体、どういうことだ!?」

 すると、斉国の兵士の上から、いくつもの饅頭が降ってくる。

「飯!」

「飯だ!」

 殷の兵士たちは、空から降ってきた饅頭を夢我夢中で口にする。途端に、斉国の兵士たちは、襲われることが無くなっていた。

 そして、殷国の兵士たちは、ボロボロの剣や刀を投げ出し、饅頭にかぶりつきながら涙を流した。

「ほらよ!腹いっぱい食え。」

 陳国の兵士が、また多くの饅頭を放り投げる。殷の兵士たちは、それに群がる。

 清国の兵士たちは、粥を煮出していた。そして、正気を取り戻した殷の兵士たちに、手渡していく。

 清王は、忠王の元へ行く。

「これは、その千里眼の力ですか?このような策を考えるなど。」

 忠王は、ジッと紫の宝玉を見る。

「…いや。これは、何も写していない。」

 そう言い、忠王は清王に手渡してその場を去って行く。

「えっ…?」

 清王は、宝玉を渡されて戸惑う。

「俺が欲しかったのは、これではない。」

            ※

 盛邦の知略も当てにならなくなり、殷の軍勢は数時間あまりで勢いを無くした。金ピカの甲冑に身を固めている殷王は、城の塀の上からそれを見て、唖然とする。

「こ、これは、どういうことだ、盛邦!」

 だが、いつの間にか、盛邦は逃げ出していた。

「せ、盛邦…!?」

 すると、城の中にいた殷の民たちが、食べ物の匂いに惹かれ、閉ざされていた門を開ける。

 そして、敵の兵の元へ走って行く。

「こ、この、平民共が!勝手な真似をしおって!も、戻らぬか!バツを与えるぞ!」

 もはや、殷王の言う事を聞く者など一人もいなかった。

「さあ、これを。よく、耐えていたね。」

 清王は、逃げてきた民に兵糧の全てを開け与える。

「…あ、あり…かとう、ございます…!」

 殷国の民たちは、涙を流して頭を下げる。

 斉王は、殷の兵たちに食いちぎられて息絶えた自分の兵たちの姿を見て、拳を握る。

 そこへ、忠王が来て斉王の肩を叩く。

「よく、持ちこたえてくれた。お前の兵がいなければ、全員食い散らかされていただろう。」

「…貴様。よく、抜け抜けと…!」

 斉王は、忠王を睨む。だが、忠王はニッと笑う。

「まだ、仕上げが残っている。

 忠王は、そう言うと、斉王に顎で指し示した。そこには、縛られた殷王が、脂汗をかいて座り込んでいた。

 斉王は、フンッと鼻を鳴らし、殷王のもとへ行く。

「よくも、我が兵たちをこのような目に合わせてくれたな!その報い、貴様の命一つでは済まされんぞ!」

 斉王は、剣を殷王に突きつける。

「うっ!お、おのれ…!」

 忠王は、斉王の横に行く。

「こいつを、どうするつもりだ?」

「それは、この国の民たちに聞くのが一番手っ取り早いだろう。」

 そう言うと、斉王は殷の民たちの、前にありとあらゆる武器を投げ入れる。そして、城の塀の上から叫ぶ。

「聞け!この大悪党は、お前たちを散々に扱ってきた。どうとなり、するが良い!」

 そう言うと、斉王は殷王を塀の上から落とす。

「うぎゃ〜!」

 縛られたままの殷王は、民草の群れの中に落とされ、周りを見渡す。始めは、戸惑っていた民だったが、ゆっくりと一人の女性が剣を持つ。

「…わ、私の…夫や子供は、こいつに、釜の中に入れられたぁ!」

 そう言うと、女性はゆっくり殷王の方へ足を運ぶ。それを見て、次々と民たちが武器を手に持つ。

「…俺も…!」

「私も…!」

「俺だって…!」

 殺気が湧いてきたことに、殷王はヒィッと仰け反る。

「き、貴様ら、わしに…近づくでない!止めろぉ〜!!」

「殺してやる!!」

 殷王は、殷の民たちに囲まれ、めった刺しにあった。それを見て、諸侯の王たちは、呟く。

「他人事では、ありませんね。」

 清王が言う。

「ふ、ふんっ、自業自得というものよな!」

 陳王は、恐ろしい、と思いながら言う。

 忠王は、影にあるものを探させていた。

「どうだ?」

「いえ、どこにも…。」

 忠王は、深いため息を吐く。それを見て、斉王が声をかける。

「なんだ。まだ、何か探させているのか?」

「…いや。」

「千里眼の主の遺体でしょ?」

 清王は、先程忠王が渡してきた紫の宝玉を差し出す。

「そ、それは…!」

 斉王と陳王は、目を見開く。

「やはり、あなたが持つべきです。」

 清王は、手渡そうとするが、忠王はそっぽを向く。

「いらん。」

「…そうですか。私も、最初はとても貴重な物だと思っていましたが、不思議なことに、柳先生が居ないだけで、この宝玉の価値も無い気がしています。あれだけ、千里眼を欲しがっていたのに…。」

 清王の言葉に、斉王も、ふむ、と目を瞑る。

「い、いらんのなら、わ、私にくれ!」

 そう言ったのは、陳王だ。それを聞いて、清王と斉王は目を合わせる。

「ご自由に、どうぞ。」

 清王は、宝玉を陳王に渡す。

 陳王は、それを手にして、ワナワナと手を震わせた。

「は、ハハッ!千里眼が、わ、私の物になったぞぉ!!」

 陳王は、猿のように浮かれていた。

 その後、殷国の後始末を終え、諸侯は自身の国へ戻るのだった。

 殷との戦から、一ヶ月が経とうとしていた。

 忠王は、窓辺でボーッとしていた。

「興清。お前、また政をほっぽり出してんのか?」

 蒼仁が、隣に来て言う。

「ん?…ああ。」

 忠王は、心ここにあらずの状態だった。

「すまん。…俺が、ちゃんと連れて帰っていれば…!」

 梓伯が、姿を見せる。傷は、徐々に回復していた。しゅんとした梓伯の顔を見て、忠王は苦笑いする。

「気にするな。お前まで無くしていたら、立ち直れなかった。」

「興清…。」

 忠王の心遣いに、梓伯は胸を押さえる。

「なにも、お前を責めているわけではない。自分の手で、救ってやることができなかったことが、悔しくてたまらんのだ…!」

 忠王は、拳を握りしめる。

「…李盛…!」

『我らが星は、一つになることはできなかった…!』

「それほどまでに、思っていただけていたとは、光栄の至りです。」

 後ろから、聞き覚えのある声が聞こえたため、忠王は、ハッと後ろを向く。

「敵を欺くには、まず味方からと申します。どうやら、私の策が叶ったようですね。」

 李盛は、右目と首に包帯を巻き、姿を現す。

「…。」

 忠王は、目を見開いて固まる。

「おっ、お前っ…!」

 梓伯も、口をあんぐりと開ける。

「柳菜伺李盛。忠王陛下の元へ、参上仕りました!」

 李盛は、前で両手を重ねる。すると、忠王は足早に李盛に近づき、思い切り李盛を抱きしめた。

「…夢ではないな!?」

 それを聞いて、李盛は、ハハッと笑う。

「足は、ちゃんとついていますよ。」

「遅いぞ!」

 忠王は、更に腕の力を強めた。それに答えるように、李盛も忠王の背中に手を回す。

「申し訳ございません。少々、傷の回復に手間をとってしまい、誠に申し訳ありませんでした。そして、今後このような謀は、忠王陛下にはいたしません。陛下に、この命尽きるまで、忠誠を誓います!」

「うむ!」

 忠王は、天に軍師をつかわせたことを、感謝するのだった。

「しかし、一体どうやって生きながらえたのだ?」

 忠王は、李盛の肩に手をやって、姿をマジマジと見る。

「ああ。実は、この者たちのおかげなのです。」

 李盛が、右手を上げると、影の一人が姿を表した。

「こやつらは…?」

「月慶であります。殷王。いや、盛邦に無理矢理下僕とされていた、傀儡の影の者たちです。」

 月慶は、膝をついて頭を下げる。

「この者たちは、殷国がもはや滅亡することを悟っていたそうで。その上、頭領を盛邦に殺され、時を見計らって寝返る準備をしていたそうです。この者たちも、殷王によって、虐げられていた者たちでした。そこへ、私が現れたことで、決心して盛邦から庇い立てしてくれたのです。」

「なるほど。だが、主を簡単に裏切るなど、信用して良いものか?」

 忠王は、首を傾げる。忠王の影たちは、この者たちに、半数も殺られていたからだ。

「心配いりません。私も、同じ質問を投げかけたのですが、もしも私達を裏切った場合は、新しく頭領になった月慶が、命を差し出すと申しているのです。」

「それだけの覚悟。偽りはないな?」

「はっ!」

 月慶は、深々と忠王に頭を下げる。

「分かった。存分に、李盛の身を守るのだぞ!」

「ははっ!」

 それを聞き、李盛も一安心する。

「私は、追い詰められた時に、首を切り、自害したのですが、寸でのところで、この者が剣の軌道を変えて、深い傷にはいたらなかったのです。それに、盛邦も居たので、私が死んだと思った方が都合が良いと思ったようです。そして、気を見計らって、私をこの者らのアジトへ匿って、傷が良くなるまで、看病をしてくれていました。」

 忠王は、李盛の首の包帯を見て、ため息をつく。

「もう、自分から死のうなどとは思うなよ!」

「はい。心しております!」


 それからというもの、忠王は片時も李盛の傍を離れようとしなかった。

「興清。お前、飯を食う時だけでなく、寝る時も一緒に寝てるだと?」

 梓伯は、呆れてしまう。

「私も、月慶たちがいるので、心配には及ばないと申し上げているのですが…。」

「だめだ!お前は、人一倍狙われていることを、自覚しろ。」

 李盛は、苦笑いする。

「李盛様の身は、我らが必ずお守りいたします陛下!」

 月慶が、姿を現す。

「ならん!」

 忠王は、首を横に振る。


 忠王と、千里眼の軍師の名は、世界を轟かす。天下一の夢は、今まさに開かれたばかりだった。

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