ホリーの憂鬱
食堂で働くお嬢さんの、ちょっとした日常の、小さな小さなお話。
※ 改行を少し変えました。
ホリーはちょっと可愛い。
誰もが振り向くような美少女ではないけれど、町を巡回する警備隊の隊員が愛想よく挨拶をしてくれたり。
たまに行くひと口ドーナツ屋のお兄さんが何個かおまけしてくれるくらい。ホリーの可愛いはその程度だ。
友達も可愛いと言ってくれるし、家族も可愛いと言ってくれる。
それなりに、贔屓目込みではあるのだけれど。
つまり、この辺では少しだけ目立つ可愛い子。自他ともにそんな認識だ。
だからその日、その人に声をかけられた時も別に驚きはしなかった。
ただ、あなたじゃないのよねと憂鬱に思っただけだ。
「やあ、ホリー。今日は何時上がり?」
兄の経営する食堂、ホリーはそこで給仕のお手伝いをしている。一応お給料はもらっているけれど、まかない付きだし家族経営だから本当にそれなり。
ひとりで生きていくには少ないけれど、実家暮らしのホリーならちょっと可愛いワンピースをたまに古着屋で買えてしまうくらい。十分だ。
「こんにちは、ギルバートさん。今日は早番だからもう少しですね」
早番の日は食堂のオープンからお昼の忙しい時間を過ぎてお客がはけるくらいまでだ。その日の客入りによって違うけれど、今日はもう新しい注文はなさそうだしあったとしてもホリーはいらない程度だろう。
ちなみに遅番は昼すぎからお夕飯時まででお酒も出すが、あまり遅くなると危ないからと閉店まで残ったことはない。
「良かった、ちょっと出かけない?」
対するギルバートはそれなりにかっこいい。
ギルバートが巡回に出る日は通りがちょっと賑やかになる。主に、見た目に。
普段は汚れてもいい動きやすい服装でさっそうと歩きまわる若い娘たちが、フリルとか、リボンとか。
いつもより少し濃い目のお化粧とちょっとお出かけできてしまいそうな綺麗目のワンピースで仕事をしていたりする。非常にわかりやすい。
「今日ですか?」
ホリーはいつも変わらない。どんな時でもホリーにとって適度に可愛くて動きやすい服装で過ごしている。わざわざ変えるのも面倒くさい。
化粧も必要最低限。接客業として失礼にならない程度ならそれでいい。おしゃれが嫌いなわけではないのだが、どうしても面倒くさいが先に来てしまうのだ。
「うん、俺も午後から非番なんだよ」
午前は仕事だったらしい。今日の朝の通りの様子はどうだったか、あまり覚えていない。そもそも、どうしてみんな誰がどのルートに巡回に出るのか知っているのだろう。考えるとちょっと怖い。
「そうですか」
ギルバートが注文した日替わり特製サンドとセットのレモネードをテーブルに置き、代わりに銀貨1枚を受け取る。
今日の特性サンドは厚切りハムと熟成ゴーダチーズ、新鮮なリーフレタス。隠し味にルッコラを少々と粒マスタード。付け合わせは揚げたての山盛りポテトだ。
このあたりで銀貨1枚でこのクオリティのものをこれだけ食べられるのはうちだけだ!と兄は豪語していた。
「ありがとー!」と嬉しそうに眉を下げると、ギルバートは早速分厚いサンドイッチを手に取った。早番の時は日が昇る前から巡回に出ると前に言っていたから、仕事終わりの今は相当お腹がすいているのだろう。足りるのだろうか?
「あまり気が乗らないのですが」
ホリーは周囲を見回して他のテーブルを確認する。追加注文はなさそうだし誰も席を立つ様子もない。ちらりと厨房の方を見ると、入り口から兄嫁が手を振っている。
やはり今日は上がりのようだ。いっそもう少し残って欲しいと言ってくれれば断りやすいものを。
「だめ?」
ひょいひょいと揚げポテトを口に放り込みながらギルバートが小首をかしげる。
自分の顔が良いと理解してやっているのだろう。三軒隣のパン屋のエリーあたりなら目を潤ませて拝むかもしれない。
残念ながらホリーには全く響かない。そんなに一気に口に入れて熱くないの?と思う程度だ。
顔の良い男というのは割と面倒くさいのだ。
せめて警備隊の制服ならば何か職務かな?と思ってもらえそうだが、残念なことにギルバートは私服だ。白いシャツにグレーのパンツというラフなものだが、顔も体も良いのだから見目麗しいのは仕方がない。
うっかりふたりきりで歩こうものなら視線だけで胃が痛くなる。間違いない。
しかも明日あたり、思いつく限りでも5人は食べに来てくれるだろう。
ホリーを尋問するために。妙齢の娘さんたちが。
ただ店が華やかになるだけならいいのだが…そこは推して知るべし。ホリーの気持ちが下がるからやめてほしい。更に憂鬱になりそうだ。
遠い目になりそうになりながらもギルバートへ視線を戻す。
そして、違うんだよなぁ…と思ってしまう。
「ギルバートさん」
「んー?何?」
サンドイッチの最後のひとかけらを口に放り込むとギルバートがホリーを見る。
そのひと口、ホリーには三口分はあったと思うが…ギルバートはもぐもぐと平気で咀嚼している。
「私、ダニエルさんが好きなんですよね」
ダニエルはギルバートの同僚で、たまに一緒に巡回していることもある。
背はギルバートより少し低め。ギルバートより少し筋肉質。
顔は年より少し幼く見えるそばかすの目立つ平凡顔。
ホリーよりも5つ、ギルバートより1つ年上のダニエルは、茶色い髪に茶色い瞳の本当に地味で平凡な人。ギルバートと並ぶと存在に気づかれないことがあるくらい影が薄いけれど、ホリーの目にはむしろダニエルしか映らない。
地味で平凡で。そして穏やかで、優しい空気の人。一緒にいたいと、心地良いと思える人。
「知ってるよ?」
何てこともないようにギルバートが言う。
いつの間にか皿が全て空になっている。やはり足りないのではないだろうか。
「ホリーがダンを好きなのは知ってるよ。でも付き合ってるわけじゃない」
言いながら、喉を反らしてぐっとひと息にレモネードを飲む。通り向こうの酒屋のアマンダなら見とれてため息を吐くことだろう。
向こうの席で「ごちそうさま」と常連の一人が手を振ってくれたので、ホリーも「またお待ちしてますね」と笑顔で手を振り返した。
片づけに行こうと思ったがすでに兄嫁がトレーを片手に出てきていた。さすがだ。行動が早い。
逃げるタイミングを失ってホリーはばれないよう小さくため息を吐いた。
「そうですね、私が一方的に好きなだけです」
何か追加します?と聞くと、ギルバートは大丈夫と笑った。今のところは小腹が膨れれば十分らしい。
「だったらさ、俺にもちょっとくらいチャンスをくれてもいいんじゃない?」
そう言ってニッコリと笑うギルバートの顔に、うっかりホリーは本気で顔をしかめた。いけない、接客中だ。
「チャンスですか?」
眉間の皴を意地でのばし、ホリーは営業用の微笑を浮かべた。割と胡散臭い顔になっている気がするが仕方がない、許して欲しい。
常連相手なのであまり厳しいことは言えないが、それでも察してほしいのだ。大した色男なのだから。
あれ?と唐突にホリーは思った。
そういえば、ギルバートに気がある女性の話はよく聞くが、ギルバートが誰かと…という話は聞かない気がする。
「ギルバートさんなら私でなくともいくらでもお相手がいるでしょうに」
敢えて困ったように微笑んで見せると、ギルバートも困ったように微笑む。
「声をかけてくれる人はそれなりにいるけど、声をかけたい人はずっとひとりなんだよね」
ほぅ、とわざとらしくため息を吐くギルバートに、ため息をつきたいのはこちらだとホリーは思った。
そう。ホリーがギルバートに誘われるのはこれが初めてではない。
ただ、ホリーが何だかんだと理由をつけて逃げているだけだ。
兄嫁あたりは「もう決めちゃえばいいじゃない!!」と目をキラキラさせていたが、なにが「もう」なのか。
可愛い妹に近づくな!とか兄も言ってくれればいいのにむしろ傍観の姿勢を貫いている。ふたりにはその気が無いのだと伝えているのだけれど。
いい加減面倒になり今日のところは適当な用事をでっちあげようと思ったとき、入り口のベルが鳴った。
「こんにちは、まだランチは残ってる?」
そう言いながら入ってきたのは噂の人。ホリーの思い人。警備隊の制服のままのダニエルだった。
「こんにちは、ダニエルさん。まだありますよ」
ちらりと厨房を見ると兄が指で丸を作ったので、にっこり笑って答える。
「よかった」
くしゃっと顔を崩して笑うダニエルが、ギルバートが食べ終わっているのを見て軽く手を上げると、少し離れた席に座った。兄嫁がぱたぱたと出てきてダニエルに飲み物を聞く。
炭酸水を、と答えるダニエルをホリーはじっと見つめた。そのホリーを、ギルバートがじっと見つめていた。
兄嫁がまた、パタパタと厨房へ戻っていく。
「ホリーさんは、もう上がり?」
「はい、そろそろ」
「そっか」
ふわりと笑うダニエルはいつもより更に幼く見える。
その優しい笑顔が、本当にホリーは大好きだったのだ。
「ダニエルさん」
体ごとダニエルの方を向くと、ホリーは今日一番、綺麗な笑顔を向けた。
「ご結婚、おめでとうございます」
いつもは少し細めの茶色の目を驚いたように見張ると、ダニエルは頬を染めて照れくさそうに歯を見せて笑った。
「ありがとう、ホリーさん」
ダニエルはつい3日前、同郷の幼馴染の女性と入籍したばかりだった。来月、故郷で身内のみの式を挙げそのまま結婚休暇に入るらしい。
「次はぜひ奥様と一緒にいらしてくださいね。サービスしますから」
必ず来るよと笑うダニエルに、ホリーは「きっとですよ」と微笑んだ。
その後も雑談を続けていると、兄嫁が今日のランチを持ってきた。
今日は豚のジンジャーソテーと蒸し野菜、コンソメスープと丸パン。そこに、揚げたての山盛りポテトだ。
なかなかのボリュームで、食べきれずにパンやポテトを持ち帰る人も割と多い。ダニエルはいつも綺麗に食べきってしまうのだけど。
礼を言ったダニエルが、目を細めて豚のジンジャーソテーにナイフを入れる。ホリーはそれを、静かに見つめていた。
嬉しそうに咀嚼するダニエルを、ただぼんやりと見つめていた。
銀貨2枚を受け取った兄嫁がちらりとホリーを見たが、ホリーはダニエルから視線を逸らすことは無かった。
「ホリー」
それまでずっと黙っていたギルバートが静かにホリーを呼んだ。
「ホリー」
もう一度呼ばれる。何も言わず、ホリーは振り向いた。綺麗な笑顔を、顔に張り付けたまま。
「ホリー…」
気づかわし気にギルバートがホリーを見つめている。
ホリーは一度ぎゅっと目を閉じた。ゆっくりと息を吐くと、張り付いていた笑顔が苦笑に変わる。気づかぬ間に息が止まっていたようだ。
「ねえ、ギルバートさん」
「何?ホリー」
なぜギルバートがそんな泣きそうな顔をするのか。ハの字になったギルバートの眉に目頭が熱くなりホリーは困ってしまった。
そんな顔をしないで、とホリーは思う。私は大丈夫。ちゃんと笑えているでしょう?
「ギルバートさん、私、甘いものが食べたいわ。思いっきり甘いやつを、胸やけがして泣いちゃうくらい、たくさん」
―――美味しいやつじゃなきゃ嫌だけど。
わざと拗ねたように言うと、ギルバートが綺麗な顔を歪めてくしゃりと笑った。
「もちろんだ、俺のお姫様」
ホリーの手をそっと握ると、ギルバートは席を立った。
「何件でもお供するよ。君が満足するまで、いくらでも」
「破産しても知りませんよ?」
厨房へ目をやると、兄嫁まで泣きそうな顔をして手を振ってくれた。
ホリーの周りはみんなホリーに甘い。
甘くて、優しくて。
だからホリーは上手に泣き言が言えなくなるのだ。
「大丈夫。それなりに稼いでいるし、君以外に使うところがないから」
ギルバートに手を握られたままダニエルを振り返ると、ホリーは微笑んだ。
「また来てくださいね」
ダニエルはちらりと繋がれた手を見ると「またね」と笑ってくれた。その笑顔を見てひとつ瞬きをすると、ホリーはギルバートと店を出た。
―――次の日。
ホリーの予想通りお店はとても華やかになった。けれど、ホリーの顔に浮かんでいたのは営業用ではない笑顔だった。
だってみんな泣きそうな顔をするから。新しい恋が一番よ!!と、ホリーのために涙を浮かべて悲しんでくれたから。
「いらっしゃいませ」
今日もまた入り口のベルが鳴る。入って来た客にホリーはいつも通り微笑んだ。兄の店は今日もそれなりに繁盛していて、ホリーが上がるまでにはもう少し時間がかかりそうだった。
「ご注文は?」
今日もまだまだ、ホリーは憂鬱で。
―――だけど。
今日より明日、明日より明後日。
きっとホリーは、もっと綺麗に笑えるはずだ。
初投稿でした。
見つけていただき、読んでいただき本当にありがとうございました。