6.お昼寝に最適だ
翌朝。
一緒にいたい、と言った言葉を証明するかのように、朝早くからアルバート王子はナターシャのいる離れにやってきた。
昨日から、王城内で王子は使用人をつけていない。昨日の時点ではそういうものかと思っていたが、今日は明らかに抜け出してきた様子でコソコソしていた。
ナターシャとナターシャの使用人たちに念入りに口止めをして、アルバート王子は手に持ったかごの中から自分の分の朝食を取り出した。
「君たちの分はもうすぐ運ばれてくると思うけれど。私のことは内緒で頼むよ」
「使用人の方たちごと、堂々とここまで来ればいいのでは……」
何をそんなにこそこそすることがあるのか、ナターシャにはわかりかねる。しばらくするとアルバート王子の言葉通り作りたての朝食が届き、ナターシャはお忍びのアルバート王子と食卓を囲むことになった。
「このパン、おいしいですね。甘いパンって普段は食べないので新鮮です」
「確かに、他所じゃ珍しいかもしれないね。砂糖は高いらしいからな」
買ったことないから知らないけれど、とアルバート王子は聞く人が聞けばやっかみを買いそうなことをぼやいていた。肩をすくめる仕草で応えつつ、ナターシャはもちっとして甘いその真っ白なパンをぱくぱくと上機嫌に食べ進める。
朝食を食べ終わり、アルバート王子にせっつかれるまま外を歩く支度をする。離れから出てアルバート王子についていったところで、やっとナターシャにも王子がお忍びでやってきた理由が分かった。
ナターシャのいる離れに通っているのを隠していたわけではない。そのあとナターシャを連れて行こうとしている場所を、他の人にバレたくなかったのだろう。
誰だって知っていたらひとり占めしたくなるような、ひっそりとした裏庭の東屋。白い石造りの丸屋根の下に、木の椅子が置かれただけの簡素なものだ。
周りは緑に囲まれ、近くには小さな透き通る池がある。王城の他の場所では見かけなかった虫や小鳥がちらほら飛び交っていた。
「いい場所だろう? 子どものころから、息が詰まるとよく一人で抜け出してここに来ていた」
「へぇ……ええ。素敵な場所ですね」
石と布で囲まれた王城の中での生活では、確かに息苦しくもなるだろう。
しかし、城の敷地内にこんな人の目の届かないようなひっそりとした場所があるとは。ナターシャは首輪を外された犬のように、ふらふらとあたりを歩き回って探索する。アルバート王子は東屋に一直線に向かい、優雅に椅子に腰掛けてナターシャの方を見ていた。
他の場所とは違って、地面は石で舗装されておらず草が生い茂っている。周囲も来た道以外は木に囲まれていて、余計な視線が届く心配がなかった。
とはいえ、木の枝の長さは揃っているし、池も綺麗だし、適度に人の手は入っているのだろうけれど――そんなことを考えながら、池のほとりに立って水辺を見渡す。
「あ」
ナターシャはあるものを見つけ、池の端に生えた水草の中へ手を伸ばす。
東屋から様子を見ていたアルバート王子が、ナターシャの手の中のものを見ようとおそるおそる首を伸ばしているのがわかった。
「見ます? って、カエルが苦手なんでしたっけ。やめておいた方がいいかも」
ナターシャは王子の方へ開きかけた手を咄嗟に閉じた。捕まえたのは小さなイモリだ。ナターシャの地元にいるのと同じ種類か気になったので拾ってみたのだが、ぬめぬめが苦手なアルバート王子には見せない方がいいだろう。
案の定アルバート王子は見てもいないのに苦虫を噛み潰したような顔でナターシャを非難する。
「素手で両生類を捕まえるご令嬢なんて聞いたことがないよ……」
「へへ。まあ田舎生まれですから」
「褒めてないぞ」
珍しく王子が呆れ顔になる番だ。もちろん褒められていないことはナターシャにもわかっているが、兄やパルメール家の使用人たちともよくやるお決まりの小ボケである。
早く逃がせ、とジェスチャーをするアルバート王子のために、ナターシャは渋々イモリを逃がした。
「お昼寝に最適な場所だ、と言おうと思っていたけれど……君にはそうでもなかったみたいだね」
ナターシャが東屋に戻って椅子に腰掛けると、向かいに座っているアルバート王子はそう言って肩をすくめた。
「ええ。むしろ楽しい遊び場です」
しれっとそう言ってのけるナターシャを見て、アルバート王子は何か言いたげな顔だ。住む世界が違うとでも思われているかもしれない。だとしても別に、そのとおりだから構わないのだが。
「……まあ、その方がいいか。どちらにせよ今日はここでお昼寝している暇ないしね」
「今日はどこに行くんですか?」
アルバート王子の言葉に、ナターシャの目が輝く。王都に散々びびっていたが、まだアルバート王子としか話さずに済んでいるし、何よりめったに来ないこの街を楽しんでおかないと損である。観光の予感に、ナターシャはうきうきと身を乗り出した。
「あー……喜んでいるところ悪いけれど。今日の最初のミッションは学院からだ」
「なっ……」
がっくり、ナターシャは肩を落とす。恨めしそうな目でアルバート王子を見た。王子は困ったように顔の前で両手を振る。
「同志のためだと思って、頼むよ。帰りに郊外のおいしいレストランを紹介するから」
「しかたないですね……」
ムスッとした顔のまま、ナターシャは重い腰を上げる。
もう二度と戻ってこなくていいのだと、せいせいした気持ちで去年巣立った学院へ、再び舞い戻ることになるとは。憂鬱な表情のまま、ナターシャは来た道を戻るアルバート王子のあとに続いた。




