2.王都アレルギー
それからさらに待つこと数週。
夕暮れの影がだんだん伸びて、夏の終わりを知らせはじめた頃に、ナターシャの元に王家の紋章入りの手紙が届いた。
やっと来た、と意気込んで封を開け、中身を見てから2時間と少し。
ナターシャは悩みつづけていた。
「どうしよう、行きたくない……」
そんなぼやきが、一人きりの部屋に虚しく響く。
何もアルバート王子との旅が急に嫌になったわけではない。問題はその旅の行き先だった。アルバート王子から届いた手紙の中には、ただの書面だけでなく、一通の招待状も同封されていたのだ。
「『次の旅は、私に案内させてほしい。王都での2週間、君が知らないこの国の中心地の魅力を余すことなく伝えることを約束しよう』――ってだけならまだしも。問題は、こっちよね」
ナターシャは唇を尖らせて沈黙し、手紙の続きを読み進める。
案内してもらえる代わりに、王立学院でのアルバート王子の発表を手伝ってほしいのだと言う。イチオシの輸入生物かその加工品をいくつか持っていくように書かれているので、輸入生物に関する発表を行うのだろう。それも嫌だがさらにそのうえ、成功した暁には学院のフェアウェルパーティーをともに楽しもう、と書かれていた。
手紙に同封されていた招待状も、学院での卒業発表会とフェアウェルパーティーに参加するためのもののようだ。
「絶対に、嫌なんだけど……」
大前提、ナターシャは人前に出るのが苦手だ。特に貴族の集まる堅苦しい場は息が詰まってしかたない。そんなところで発表をするなんて緊張してしかたない。
しかし、それだけならまだ、やれと言われれば嫌々ながらやれる程度だ。
問題はもう一つ。ナターシャはこの、学院の卒業発表会というものに大きなトラウマがあった。
今でも思い出すと冷や汗をかく。
準備していた発表の資料が全てどこかに消えてなくなってしまい、本来はたくさんの旅先でのスケッチが貼られるはずだった真っ白い壁の前で、一人で台本もないまま必死に口を回したあの瞬間の緊張。
誰も立ち止まらないでくれたらそれでよかったのに、辺境伯令嬢という身分だけで他の上級貴族と比べるような不躾な視線を浴びる。
誰一人味方のいない場所でなんとか予定通りの尺を話し終えたナターシャには、一つの拍手も与えられなかった。
そもそも、発表することになったのも当然ナターシャの意志ではなかった。誰かの推薦だったのか何か、詳しいことは忘れたが、成り行きで壇上に上げられたのだ。
そのうえ大失敗を喫して、ナターシャの学院時代の黒歴史筆頭となった日、それが卒業発表会である。当然、その翌日のフェアウェルにも良い思い出などない。
「これは打ち明けた方が……いや、打ち明けたとして断れるのかしら……」
発表を断ったとしてこの旅はどうなるのか。アルバート王子とは話さなくてはいけないことがたくさんある。アルバート王子の秘密のこと、夏の旅で見てしまったあの瞳について説明したいと言われている。母にそっくりな色をした彼の瞳が、本当に母と同じ理由でああなっているのだとしたら、ナターシャから薬の話も伝えたい。
それに、ナターシャもこの機会が『紀行録』を世に広めるいいチャンスになるのはわかっていた。当然アルバート王子は織り込み済みで場を与えてくれたのだろう。
自分の弱い部分を理由にこの機会を逃したら。今回はそれでよくても、繰り返していたら一生進歩は望めない。兄に指摘されたように、ダズウェル宰相のような知らない貴族に疑われて好きなように思われるだけの毎日が続くだろう。
目指すものがあって、それに近づくためのチャンスがあって、手を引いてくれる人がいるのだから、これ以上のタイミングはない。だとしたら。
「最悪、アルバート様になんとかしてもらうとして。挑戦してみるのは、あり、かも、だけど……」
ずりずりとナターシャは椅子に沈む。
自分を変えたいとか前向きにとか思ってみたところで、嫌なものは嫌で変わらないのである。
そしていよいよ、王都への馬車がパルメール領を発つ日。
ナターシャは馬車の中でしおしおと小さくなっていた。
「まあ、そう気負わず頑張れ。僕も発表会当日は現地に行くからさ、味方がいないわけじゃない」
「ええ。お供できませんが、王子殿下と一緒にがんばってくださいな」
見送りに来たルドルフとシェフィールドは、軽やかに微笑んでそんなことを言っている。
無責任な人たちだ、と思いながら、ナターシャは動き出す馬車の中から弱々しく二人に手を振った。
ルドルフは雪割邸へ父の荷物を確かめに行くらしく、シェフィールドもそちらに同行することになったためナターシャの今回の旅にはついてこられなかった。しかし前回の夏の旅より大所帯になった使用人たちを連れて、ナターシャは王都へ向かう。
学院や貴族社会にいい印象がないこともあり、王都を旅の目的地にしようという考えは今までのナターシャにはなかった。
そういう意味では楽しみでもあるが、わずかな期待を押しつぶすような不安と責任感でナターシャの心は怯えて震えている。
どうかなんとかなりますように。
曖昧すぎる祈りを抱えながら、ナターシャを乗せた馬車は王都まで片道3時間かかる街道をゆっくりゆっくり進むのだった。
いよいよ出発、震えるナターシャをどんな旅が待っているのでしょうか!




