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【完結】旅好き辺境伯令嬢の気まま紀行録  作者: りっく
幕間

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■幸福はいつか、去っていく

 パルメール領に戻ってからのナターシャの生活は、とても穏やかなものだった。


 朝早くに起きて屋敷の近くや活気ある街道のあたりを散歩し、昼からひたすら『紀行録』の制作に打ち込む。集中が切れたら少しずつ父の手記を読み進め、そのうちまた作業に戻る。

 それを夜まで繰り返して、眠くなったらさっさと眠る。


 何にも邪魔されず、ナターシャは悠々自適な執筆の毎日を過ごしていた。


 そんな日々が何日か続き、『紀行録』は前半の第一稿が完成しつつあった。

 例年なら満足して、あとは秋と冬の旅を終えた自分に任せようと机を離れるほどの進捗具合だ。


「ふぅ……かなり進みが早かったわ。やっぱり、これのおかげかしら……」


 お昼前。ひとり、部屋で伸びをしてナターシャは呟いた。

 「これ」と言いながら優しく手に取ったのは父の手記だ。

 ナターシャが今書いている『紀行録』と同じような、それでいて少し糖度の高い、母への愛に溢れた日々の記録。パルメール領で自然を楽しんだ思い出だけでなく、学院でも幸せそうな二人の様子が描かれ、やがて学院を卒業して母がこのパルメール家へ嫁いでくるまで。


 もはや自分の父と母の若い頃を描いたものだということはすっかり忘れ、ナターシャは一つの物語としてその手記を楽しんでいた。


 書きたいものも用いる文体もナターシャの『紀行録』とはまるで違うが、面白い物語を読むと、自分も触発されて筆が進む。


 手に取ったのをいいことに、ナターシャは読みかけの手記の続きをぺらぺらとめくる。

 手記の内容はいよいよ父と母の一人目の子ども、ナターシャにとっては兄であるルドルフが産まれるところまでやってきていた。


「兄さんはこのあたりで泣いたのかしら」


 泣きながら読んでいた、という兄の言葉を思い出してナターシャは笑みを浮かべる。


 たしかに、一度は子が成せないほどの体の弱さと診断された母が無事、子を授かったのだから感動的だ。世継ぎのことなど二の次で、ただ愛のために結婚を決めたのだろう父も、とはいえどれだけ歓喜したことか。

 幸せの絶頂を描き出した文章に、ナターシャは愛しさすら覚える。


 しみじみとしていると使用人が昼食の用意ができたと呼びに来た。ナターシャは一度ノートを閉じ、階下の食堂へと向かうのだった。


 

   *   *   *


 

 昼食を終え、部屋に戻ってきたナターシャは、『紀行録』執筆に戻るのではなくもう一度父の手記に手を伸ばした。


 『紀行録』はかなり進みがいいので多少後回しにしてもなんとかなる。それより、昼食の席で兄と話が弾んだのだ。

 兄がどのシーンで泣いたのか尋ねると、もう少し読みすすめた先のシーンが一番だと言う。心して読め、と兄は至極真面目な顔で告げる。


 もう全体の3分の2以上は読み終わり、時系列的にもここからの内容がそんなに長いとは思えない。

 一体どんな話が待っているのか、ナターシャは意気揚々と読み進め――1時間と少し経つ頃には、すっかりそれを後悔していた。


 ルドルフが産まれ、四年経ってナターシャも産まれ、家族4人で団欒の日々が始まる……そこまではよかった。

 

 しかし――自分たち家族のことを描いた話なのだから、年を数えれば当然わかることなのだが、幸福はいつか終わる。


 母も父ももうこの世にはいない。

 幸せな毎日の先に待っているのは、ちゃんとした喪失だった。


 

  *   *   *



 パルメール領に来てから、カメリアの健康状態は嘘のように良好だった。

 走り回ったり長時間太陽の下に出たりすることこそできないものの、日傘があってゆっくりとしたペースなら、散歩や移動も自分の足でできる。

 よく眠り、よく食べ、よく笑うカメリアは、幼いころの診断を覆して二人も子を授かった。


 幸せなことだと思っていたが、実は無理をしていたのだろうか。本当は彼女の体に、見えない負担がかかっていたのかもしれない。


 ナターシャが産まれて1年足らずで、カメリアの病状は再び悪化した。


 外に出ることはほとんどできず、眠りは浅く、食も細い。見た目もだんだんやつれていくのと同時に、白髪が目立つようになってきた。

 いよいよ見るからに病人であるカメリアの姿に、モンドールの心にも焦りが募る。


 何か病を治す術はないのか、伝手を必死に辿ってあらゆる医者や、ときに怪しい占い師なんかにも頼ったが、ほとんどの者が首を横に振った。


 原因不明、生まれつきカメリアに宿る不治の病。


 それでも諦めなかったモンドールは、一つの伝説じみた噂に辿り着いた。


 異国の伝承に、どんな病も治す酒というものがあるらしい。

 しかし、ただ酒を飲むだけでは効き目がなく、とある特定の酒杯で飲まなくてはならない。

 その酒杯は北方の山脈地帯に棲息するイッカクルーンディアのツノから作られ、万病を治す代わりに、口にした者は全ての記憶を失う。


 普通の人なら夢物語と一笑に付すだろう。

 あるいは信じたとしても、記憶を消す薬なんてもしも作れてしまったら一大事だ。


 それでも、モンドールは探した。

 なまじ長年の辺境暮らしと旅好きが高じて輸入生物には詳しかった。商人とのつながりもあるし金もある。


 探して探して探しつづけて、趣味だったはずの旅も薬を探すための責務になって、それでも諦められなかった。

 領地のことも家族のことも顧みずモンドールはひとり足掻きつづける。

 

 それだけ、カメリアのことが好きだった。


 そして、モンドールは見つけた。運命には流れがあるようで、秘酒と酒杯はそれぞれ別のルートからほぼ同時期に集まった。


 モンドールは嬉々としてカメリアの元へ走る。

 勢いのまま薬の説明をして、伝説について話して、これでお前の病気は治るとモンドールは力説した。これでもう全部解決したと思った。


 けれど、カメリアは困った顔でただ、力なく笑うだけだった。


「……飲みたくないわ、そんな怖い薬」 

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