■一年で最も忙しい季節
一方その頃。
王城に帰り着いたアルバートを大量の書類仕事が待っていたことは言うまでもないだろう。
心躍る旅が終われば、そのあとには変えようのない現実が待っているというわけだ。
旅の報告書は手早く書き終え、アミダ桟橋での事故のことも丁寧にレポートする。これで国とウェーステッド領の予算で修復が進むだろう。地域住民には金銭的な負担ではなく、同じようなことが起こらないよう対策する役を担ってほしい、と一筆書いた。
それで仕事が終わりかというと、そうでもない。むしろ、ここからが始まりだった。
秋は、王都が最も活気に満ちる季節。国をあげた収穫祭と芸術祭が立て続けに行われ、それが終わる頃には王立学院のパーティーがある。王子としてはそのどれもに招待される立場だが、政治の担い手として準備もしなければならない。
アルバートはまだ兄たちのように要職についているわけではないが、だからといって何もしなくていいわけではないのだ。
むしろ、専門を持たないゆえの雑用仕事が山のように積み上げられていく。
「まったく、兄上たちは人遣いが荒い。来年からはこうはいかないのだから、少しは手加減してほしいね……」
アルバートの能力を買ってくれている――と言えば聞こえはいいが、長兄も次兄もアルバートの労力を頭数に入れて仕事の計画を立てているらしいのが厄介だ。アルバートは一人しかいないので、雑用とはいえ二人分の仕事をするにはなかなか忙しい思いをすることになる。
グチグチとひとり文句を言いながら、アルバートは託された書類に一枚一枚目を通す。
隣ではテオドアがアルバートの認めた書類に次々と署名を代筆していく。
「こうして署名を代筆していると、ますます納得が行きませんね」
「偽造の件かい?」
アルバートは手の中の書類から顔を上げずに答える。書類にズラッと並んだ王立学院フェアウェルパーティーの来賓一覧に不備がないか機械的に確認しながら、耳だけをテオドアの言葉に傾けた。
「はい。署名というのはただ名前が書いてあればいいわけではない。筆跡も確認されるはずですが、代筆者としては私しか登録していないでしょう」
テオドアはそう言って自分がつい今しがた書いた書類の署名をペラリと持ち上げる。
そこにはかなり特徴的な文字でアルバートの名が書かれている。
「まあ……確かに真似はできない字だね。特徴的だけれど、同じ文字を書こうと思うとどうしてもお手本を見て書いた感が拭えなくなるだろう」
「そうでしょう? 普通なら殿下の筆跡を騙るリスクより、代筆者を騙る方がずっと現実的だと思いますが……私の文字には、祖国の文字を書きなれたからこその癖があります」
「ふむ……現物を確認してもいいかもしれないな」
テオドアの筆跡をコピーできる者がいたとしたら、それが黒幕への手がかりになるかもしれない。 少なくとも、今書類偽造の罪で刑を課されたケイトという男には、テオドアの出身国との繋がりも、特別な外国語のスキルもないことは確認済みだ。
逆にアルバートの筆跡を真似ているのだとしたら、それはそれで不可解だ。アルバートが自分で書類に署名をすることはめったにない。
適当に一枚、王城で書類を盗んだとして、アルバートの筆跡を確認することができる可能性は何千分の一くらいだと言っても過言ではないだろう。
そうなったら内部犯か。嫌な想定が浮かんでアルバートはため息をつく。
「少し業務が落ち着いたら、その確認も進めてみましょうか。まずはこの書類の山からですが」
「……そうだね」
ただ確認すればいいだけのものは早く済むのだが、アルバートの方から案を出したり、修正したりしなくてはならない書類もときどき出てくる。それから、財政を担っているウィルヘルムから託された書類の中には煩雑な計算と記帳も。そういうものが出てくると気が滅入る。
確認を終えた名簿をテオドアの方に回し書類をめくると、次に出てきたのは穴だらけの香盤表だった。フェアウェルパーティーと、その前日に学院で行われる学術発表会のものだ。
「ここまでは私の仕事じゃないと思うんだけれど――」
そう言いながら渋々ペンを握ったアルバートの思考は、ノックの音で中断された。
「どうぞ?」
「悪いな、邪魔をする……もちろん、邪魔をしにきたわけじゃないが」
生真面目にそんな断りを入れながらアルバートの執務室に入ってきたのは、第二王子オルランドだ。
手に分厚い書類の束を持っているところを見ると何か仕事の話だろう。
フェアウェルパーティーのことだろうか、と当たりをつけアルバートは手の中の書類を見えやすいように机に広げた。
「ああ、ちょうど見てくれていたのか。助かるよ」
オルランドは机の向かい側から書類を覗き込む。そして、フェアウェルパーティーのタイムテーブルの中で空欄になっているいくつかの枠を指して淡々と言った。
「こことここは出し物が決まった。在学生主導の芸事になるだろうからこちらでの準備は一旦不要だ。それで、残りの枠をお前に頼みたいんだが……」
「残りの枠――パーティー前日の学術発表会の方ですね。何をしましょう? 候補者の選定ですか?」
やるべきことはずいぶん軽くなった。
何をやるか決まっていないのは、学術発表会の前座として行われる、来賓による一時間の研究発表だけだ。そこに何かを当て込むくらいなら、専門外のアルバートでもできなくはない。
二つ返事で頷いたアルバートに、オルランドは微妙な表情を返した。
「あー、そうじゃなくて……お前に、発表を頼みたいんだ。ここ最近の旅と、この国の美しさについて」
オルランドの予想外の言葉に、アルバートは目を丸くした。




