■素敵な出会い
ナターシャは作業を中断し、夢中になって父の手記をめくっていた。
話は今より数十年前、ナターシャの父、モンドールがまだ学生だったころに遡る。学院で同級生だった将来の妻、カメリアとの出会いから、手記の記述は始まった。
* * *
このシュタイン王国の貴族のほとんどが通うことになるのが、王都の郊外にある王立学院という学舎だ。
緑豊かな庭園に囲まれた敷地内には、広大な土地を贅沢に使った大きな建物が立ち並ぶ。授業や研究を行うための学習棟だけでなく、社交の場となるパレスや、大勢の貴族たちが悠然と暮らしてあまりある広さの学生寮も備えた、全寮制の学校。
ただ勉強をするだけでなく、貴族のたまごたちが社交を学び大人になっていくための場所でもある。
学院の運営方針としても、社交を学ぶことは重要視されている。年に数回パーティーが開かれ、積極的に参加することが学業の出来とはまた別の指標として学生たちの評価にもつながる仕組みだ。
そんな重要なパーティーの中でも一番大きく人気があるのが、毎年10月に行われるフェアウェルパーティー。
名前の通り、学院の卒業生を送り出すパーティー……という名目なのだが、人気の理由はそこではない。他のパーティーが学生だけで行われるのに対して、フェアウェルには招待された学院の卒業生たちが多数やってくるのだ。その中には当然、上級貴族や王族の人々も含まれてくる。
未だ狭い学生たちの世界が一夜だけ大きく広がる夢のパーティー。
学院のどこかしこも浮ついたその夜から逃げるように、一人の少年は人気のない図書館に立ち寄った。
短く切りそろえられた茶髪に、健康的に焼けた小麦色の肌。筋肉のついた大きな体と横一文字に口を引き結んだ冷たい表情は、その場に人がいたなら威圧感を与えたことだろう。
(誰も彼もパーティー、パーティーと……社交の基礎すら知らんのだから、ただ遊びたいだけだろう)
少年の名はモンドール・パルメール。
学院に通いはじめてまもなく一年、まだまだ年幼いわりにモンドールは冷めていた。厳密には、出会いだなんだと騒ぐマセた同級生たちに辟易していたのだ。
辺境伯家の跡継ぎという誰と出会わずとも揺らがない彼の身分が、一層冷めた気持ちを加速させる。
当然のことながら、皆パーティーに夢中なので図書館には人っ子一人いない。やっと騒がしい雰囲気から抜け出すことができて、モンドールは安心したように一つ伸びをした。
時刻はちょうど学院の授業が終わり、パーティーの受付が始まったころだ。外はパーティー会場であるパレスを中心に学生と来賓たちで溢れかえっていて、とても歩き回れたものではない。
もう少し人がはけた頃の寮の自室に戻ろうと決めて、モンドールは時間を潰すために適当な書架に歩み寄る。
モンドールが一冊の本を手に取ったのと同時に、図書館の扉が開く音がした。
この静けさでなければ聞き逃していたであろう、キィ……と小さく扉が軋む音に、モンドールはつい息を潜める。
パーティーの夜には、見回りの先生がいるのかもしれない。先生たちも学生がパーティーに参加することを推奨している、上級貴族である自分がこんなところで怠けているのを見つかったら叱られることだろう。
そう考えて本棚の陰からそぅっと扉の方を覗き見たが、そこにいたのはモンドールの予想とは全く違う人だった。
胸の下まで伸びるオリーブ色の髪を揺らしておそるおそる図書館の中に入ってくるその人は、モンドールと同じ学生服を着ている。
「あれ、アンタは――」
「う、うわっ!? びっくりした……どうして図書館なんかにいるの!?」
「アンタもだろう」
「あっ、確かに……」
ふふ、と恥ずかしそうに小さく笑った線の細い少女は、カメリア・クレイン。モンドールと同じクラスの上級貴族令嬢だ。
友人の男どもの中では言わば高嶺の花のような扱いをされている彼女と、モンドールはこれまで一度も言葉を交わしたことがなかった。
意外な人物の姿に、モンドールは少し興味を惹かれた。とはいえ、女性との上手い接し方など知らないので、ぶっきらぼうに尋ねることしかできなかったのだが。
「アンタ、パーティーには行かなくていいのか」
「……ええ。素敵な出会いなんて、私にあっても意味がないもの」
「意味がない?」
引っかかる言葉を口にするカメリアに、モンドールはおうむ返しにしながら首を傾げた。
カメリアはそれ以上触れられたくなかったのか、モンドールの方に話題を返す。
「貴方こそ、行かなくていいの? 将来有望な上級貴族様が――って、先生方やおうちの方に言われないかしら?」
「別に、これから何年も機会はあるしな……今年は行ってもどうせ友人同士でビクビクするだけになるだろうと思ったから、やめた」
素直に、はしゃぐ友人たちについていけなかったと言うのは憚られて、モンドールは少し見栄を張った答えを返す。
そんなモンドールの気持ちを知ってか知らずか、はにかみ笑いでカメリアは提案した。
「なら、人混みがなくなるまで、少し二人でお話ししません?」
「――ああ」
普段なら、話したこともない女子生徒と二人での会話など、話すことがないと断ってしまうのがモンドールなのだが。その日はなんだか気分が乗った。
なんだかんだ言いながら自分もパーティーの雰囲気に乗せられていたのかもしれないし、目の前のカメリアという少女のことが気になったからかもしれない。
モンドールは固い表情筋を目元だけ緩ませて、カメリアの言葉に応じる。
学院随一の出会いの夜。
パーティー会場とは遠く離れた場所で起こったこれもまた、一つの運命の出会いであった。
珍しく、ナターシャの父・モンドール視点の回でした。次回までこれが続きます。番外編としてお楽しみください。




