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【完結】旅好き辺境伯令嬢の気まま紀行録  作者: りっく
【第2章】夏の旅︰ウェーステッド領

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19.そして、最終案

 夕食は、終わりに出てきたスープの最後の一滴まで美味しかった。


 アルバート王子がナターシャの言い分を理解してくれたこともあり、ナターシャはほっとした気持ちでいた。

 アルバート王子がパトロンになるなんてことがもし実際に起こったら、萎縮しすぎて筆が滞ること間違いなし。いらぬプレッシャーを無事回避でき、これまで通りアルバート王子と接していけそうなことに安堵しているのだ。


 明日も旅は続く。翌日の予定を確認し、そろそろ湯浴みをしようかという流れになったところで、ナターシャはふと思いついた。


 夕食の前から悩んでいた、『紀行録』にアルバート王子のことをなんと書くかという問題についてである。


「そういえば……前の春の旅のときにも少しお話ししましたが、アルバート様のことを『紀行録』にも書くことになるだろうと思っていまして」


「そうだね。今回の旅は特に、私のリクエストだし……大好きなシリーズの登場人物になれるなんて光栄だ。好きなように書いてくれてかまわないよ」


 名前を出してもいい、と言ってくれるアルバート王子に、ナターシャは首を振る。


「できるだけ、貴族にしか共感できないことは書きたくなくて。私が貴族の生まれである以上完全には無理ですが、今『紀行録』を手にとってくれているのはほとんどが地元の領民や旅先で出会った人々なので、その目線に合わせたいんです」


 ナターシャの『紀行録』は、貴族としてではなく、一人のひととして旅をするナターシャの体験や感情を等身大に綴ったものである。

 作者として名前を隠しているわけではないが、人によってはナターシャが貴族令嬢であるということすら知らないかもしれない。


 豊かさや身分に関わらず、誰もが楽しみ、共感し、自分も旅をしてみたいと思えるようなものを書きたい。そこに当然のように王子様が出てきてしまっては、現実味が薄れるような気がするのだ。

 あるいはフィクションのおとぎ話や恋物語なら面白くなるのかもしれないが、ナターシャが書くのはあくまでノンフィクション、自らの目で見た旅の記録である。


「私はアルバート様のことを雲の上の人だとは思っていませんし、読む人にもそう思わせたくないので」

「……なるほど。いつも過剰なほど敬われる身としては嬉しい言葉だけれど……ならどう書いてもらうのがいいかな」


 アルバート王子はそう言って考え込む。

 ナターシャには少し意外だった。アルバート王子はナターシャに対しても旅先で出会った人々に対しても高圧的にならず気さくに話す。

 てっきり周りからも親しみやすく思われているものだと思っていたが、やはり王子は王子、敬遠されることも少なくないのだろうか。


 王都での普段のアルバート王子はどんな様子なのだろう、と今更興味が沸いた。本人に尋ねるのは気が引けるので、今度テオドアにでもこっそり聞いてみようか。

 そんなことをこっそり考えつつも、ナターシャはつい今しがた思いついた案をアルバート王子に向けて発表する。


「私もずっと考えていたのですが……いい言葉を思いついた気がするのです。アルバート様のこと、“同志”と書いてもいいでしょうか」


「“同志”……」


 アルバート王子は口の中でナターシャの言葉を反芻する。

 改めてそう噛み締められると少し恥ずかしくもあるのだが、ナターシャは続けた。


「私にとっては、旅の楽しさを共有し、同じものに怒ってくださる同志です。それに読者の方々にとっては、私の『紀行録』をともに楽しんでくださる同志、かと――なんて自分で言うのもおかしな話ですが」


 話しながら、まるで自惚れのように聞こえはしないかとナターシャは不安になる。しかし、アルバート王子は満更でもない様子で嬉しそうに笑顔を浮かべた。


「ああ――いいね、大賛成だ。君の同志として、明日からも一緒に楽しい旅をさせてもらうよ」



 その後、風呂の準備ができたと呼びにきた使用人の一声でその場はお開きとなった。


 ナターシャはサッと入浴を済ませ、与えられた部屋に戻る。シェフィールドをはじめ、メイドたちも皆外出してかいた汗を順番に流しにいく。その間、ナターシャは机に向かって黙々と筆を進めた。


 『紀行録』の執筆を妨げていた一番の原因がなくなったどころか、アルバート王子との関係はずっと良くなっているように思う。

 雲の上の人ではない、なんて面と向かって平気で言えるのは、それを言っても怒らない人だとわかってきたからだ。最初に会ったときナターシャは走って逃げたというのに。

 そのころの分から順番に、旅先で書いた日記の内容を『紀行録』の体裁にあわせて清書していく。できるだけ平易な文章で読みやすいようにしつつ、ナターシャがその場で感じた気持ちを言葉にしていく作業はなかなか時間がかかる。


 湯浴みから戻ってきたシェフィールドは、そんなナターシャの姿を穏やかな眼差しで見つめていた。


「懸念が一つ解決して、筆が進んでおられるようでよかったです」

「ええ……って、何ですかその生ぬるい顔は。またアルバート王子についてどう思うかとか聞いてくるつもりですか」


 紙面から顔を上げて話しかけてきたシェフィールドの方を見たナターシャは、途端に嫌な顔になる。

 シェフィールドの表情が、昨日お風呂の中でアルバート王子についてあることないこと聞いてきたときのものと同じだったからだ。


 顔をしかめるナターシャに向けて、シェフィールドは顔の前で両手を振った。

 

「いえ! ただ、旅についてこなくては見えないものがあったのだなと思っていたのですよ」

「それならいいですが……」


 彼女の言う通り、ナターシャとシェフィールドの関係もこの3日間だけで格段と良くなっている。これまではお互いに手のかかるお嬢様、口うるさいお手伝いさんと思っていたが、今ではそれだけではない。


 人付き合いがそこまで得意ではないナターシャが短期間でこうして人とわかりあえるのは、ここが非日常な場所だからだろう。

 やはり旅とは偉大だと、噛み締めながらナターシャは執筆に戻るのだった。

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