18.消去法で却下します
こんがりと焼かれて湯気を立てる魚のステーキ。
目を輝かせて飛びつきたいところだがそうも言っていられない。ナターシャは困っていた。
ミカケウオの赤身がどうとか、ステーキの焼き加減がどうとか説明する使用人の声を聞き流す。
苦労して釣った絶品と名高い魚だが、純粋に楽しむためにはまず先ほどのアルバート王子の言葉をどうにか処理しないといけない。できれば、断る方向で。
ナターシャの反応で考えていることを大体察したのだろうアルバート王子も、バツの悪そうな顔で黙り込んでいる。
気まずい空気に、使用人はそそくさと退散していった。
二人の会話を遮るものはなくなり、ナターシャは目を逸らしたまま言う。
「失礼は承知ですが……意味を取り違えていました。王子殿下として援助してくださる、という意味でしたら、私には不要です」
応援の気持ちだと言われて贈り物につい飛びついてしまったナターシャは、含まれた意味なんて気にしてもいなかった。あれがアルバート王子からの政治的な援助を受け入れたという意味になるなら、今すぐに突き返したってかまわないくらいだ。
きっぱりと拒絶するナターシャを見て、アルバート王子は焦ったように口を開いた。
「どうしてだ? 君にデメリットは生まないよ」
そう言ってアルバート王子は眉間にシワを寄せている。
もちろん、王子の申し出が100%善意からのものであることはナターシャも分かっていた。ナターシャが不利を被ることにはしないだろう。なんと言っても彼は『紀行録』の愛読者であり、その愛はナターシャに過剰なくらい伝わってくる。
だから、アルバート王子の言う協力というのを信頼していないわけではない。何でも協力すると言ったらこの人は本当に何でもするのだろう。
そして、それがナターシャにとってのデメリットだった。
「だって、私の求める何かをしてもらった時点で、私たちの関係は対等ではありません。どちらが上とか下とか、そういうのは嫌いです」
ナターシャが貴族社会からできるだけ距離を置こうとする最たる理由がそれである。身分の上下なんて考えるだけで息の詰まる思いがする。
せっかくアルバート王子とはそんな中でもいい関係を築けているのだ。きっと今以外の関係ならナターシャはもっと萎縮したり突き放したりしてしまうはず。
この関係を変えたくないと思えるくらい、今がナターシャにとって心地よい旅なのだ。
「……私の書いた『紀行録』を読んで旅に出てくれたアルバート様の行動、とても嬉しく思っています。応援してくださる気持ちも嬉しいです。だからそれだけにしてくださいませんか」
「……」
ナターシャからの懇願とも言える言葉に、アルバート王子は押し黙る。
ナターシャは少し困った顔をしながらも、まっすぐにアルバート王子の瞳を見ていた。
アルバート王子は、唇を震わせてぽつりと言葉をこぼす。
「なら……私はどうしたらいい? 君が、君の『紀行録』が国中に広まって、君がもうあんな思いをしなくてすむように、私は、」
ナターシャは目を瞬かせる。
そうか、そんなことを気にしていたのか。……いや、全人類に自然の良さを広めてやると豪語したのはナターシャ自身なのだから、そんなことと言うのは違うかもしれない。けれどなんだか拍子抜けだ。
つまりは、見ているものは同じなんだから。
ふふ、とナターシャは安堵したように笑った。アルバート王子が目を見開いて、俯いていた顔を上げる。
「どうぞ、したいようにしてください。今までどおりに――旅がしたければ旅をして、私の本の感想を話したければテオドア様やご友人と話して……まあ、たまの贈り物くらいなら、旅に役立つものなら私は大歓迎です。あ、もちろんお礼もちゃんとしますので」
「そんなこと全然、」
大したことじゃないとか応援していることにはならないとか言おうとしたのだろう。
首を振って何か言いかけたアルバート王子の言葉を、ナターシャは真正面から遮った。
「そんなことだけで、応援されているってちゃんとわかるものですよ」
応援のしるしだと高価な贈り物を渡されて疑いなく受け入れてしまうくらいには、もうすでにナターシャはアルバート王子に応援されている。
そう伝えると、アルバート王子は眉を下げて困ったように笑った。いつも自信に満ち溢れた笑顔の彼からはちょっと想像のつかない顔だ。
初めて見たなぁ、なんて思っているとすぐにその表情は消えて、王子はいつもの微笑みに戻ってしまった。
「相変わらず君は貴族らしくないな。したいようにしろなんて初めて言われたよ」
「ええ、自覚はあります。現に先ほどから私の言動を咎めたい使用人に机の下で太ももをつねられていますし」
「ちょっと、お嬢様!」
しれっと現状を暴露すると隣に座る使用人ことシェフィールドは慌てたように声を上げた。
ナターシャは涼しい顔をしていたが、実は料理を運んできた使用人が下がった直後から、ずっとシェフィールドに太ももをつねられていたのだ。余計なこと言うなよ、というジェスチャーである。
しかし、そんなことでナターシャの気持ちが曲げられると思われては困る。それなりに痛かったが意地を張って平気な顔で耐えていたのだ。
恥ずかしげもなく開き直るナターシャを見て、アルバート王子は愉快そうに声を上げて笑った。その隣のテオドアは哀れむような目でシェフィールドと顔を見合わせている。
楽しそうにひとしきり笑ったアルバート王子は、やがて噛みしめるように呟いた。
「……したいように、か。初めてだから下手だと思うけれど、ご指導頼むよ」
「ええ。お任せください、私の得意分野なので」
気ままに自分のしたい旅をするのがナターシャの毎日だ。ナターシャは胸を張って、軽やかに笑う。
「……と、勝ち誇っている場合ではないですね。すみません。せっかくの食事を冷ましてしまいました」
「そうだった。食べようか、今日の一番の釣果だからね。……にしては小さいけれど」
大きなプレートの真ん中にちょこんと載った魚の切り身。ナターシャとアルバート王子が協力して釣った魚だ。
とんでもない大物を釣ったはずの手応えに反して小さなその身にナイフを入れて、頬張った。
口に入れた瞬間溶けるようなその魚は、たしかに絶品の味わいだった。
パトロン回避。王子がパトロンなんてプレッシャーだし、とナターシャが内心ビビっているのもバレずにすみそうです。




