16.案一、「旅好き青年」
お互いに選びあった贈り物を手に、ナターシャとアルバート王子は帰路につく。
商店街のマーケットでお土産としていくつか食料品も購入した。カマボコという練り物が買えて、ナターシャはご機嫌だ。
商店街を出る頃には、午後4時をすぎていた。もうかなりいい時間だ。
二人はまた別々に馬車に乗り、宿となっている中心街の王家の別荘へ戻る。
小一時間ほど馬車に揺られ、無事別荘に帰ってくる。うとうとしながら帰ってきたナターシャは一眠りしたおかげで元気が回復していた。
夕食まで時間があるというので、割り当てられた客間に戻る。シェフィールドをはじめパルメール家のメイド数名しかいない落ち着いた場だ。
ナターシャはそこに戻るやいなや、机に向かってノートを広げる。
「旅先で日記をつけるのですか」
シェフィールドが後ろから手元を覗きこみ、感心したように呟いた。
彼女はナターシャの旅についてくるのは初めてだ。当然、旅先でのナターシャの筆まめ具合も知らないことだろう。
「ええ。記憶が新鮮なうちに書いておかないと。それを帰ってから『紀行録』のかたちにまとめなおすんです」
そう言ってカバンから筆記具を取り出そうとして、手を止める。
「……せっかくなら、いただいたものを使いましょうか。この旅の思い出がより深まるし……」
ぶつぶつ言いながら代わりに取り出したのは、つい先ほどアルバート王子から贈られたばかりの万年筆だ。
ナターシャは普段旅先にインクなど持ち歩かず鉛筆を使っているが、この豪勢な屋敷にインクだけ置いていないということはないだろう。
一人のメイドがインクを探しに行ってくれたのを待ちながら、ナターシャはシェフィールドと雑談する。
「長らくお嬢様の『紀行録』のことは見守ってきましたが……どうやって書いているのかは、とんと知らないままでした」
「私も進んで人には見せませんからね。ですが、むしろ見せていったほうが宣伝になるのでしょうか」
ナターシャがぽろりとそう零すと、シェフィールドは目を丸くした。
「あら、宣伝したいのですか? そこまで見せびらかすタイプではないのかと……いえ、見せびらかすと言うと悪いことのようですね。広めようと思うのは良いことですが」
シェフィールドは何やらしどろもどろになっているが、つまりナターシャが『紀行録』を積極的に広めようとしていることが意外なのだろう。
ナターシャ自身もそう思う。自己顕示欲もなければ自信もそこまでない。ただの自己満足と、手の届く範囲の人々の感想だけがナターシャの執筆の糧だ。……いや、糧だった。
今は、少し違う。
「言ったでしょう? パルメール領の山奥で謎の建造物を見たって。そこで、人の作ったもののせいで傷つく動物たちを見て思ったんです。こういうことをなくすために、私は伝えていかなくちゃ――って」
などと大きなことを言ったわりに、まだ春の旅の分の『紀行録』もまとめ終わっていないのだが。この夏の旅の準備で忙しかったせいなので、帰ったらまとまった時間が取れるはずだ。
2回分の旅の記録をまとめるにあたって、どう書いてどう伝えるかをちゃんと考えなくてはならない。ナターシャに商売のノウハウなどないので、もちろん一から手探りだ。
自信に満ち溢れているというわけではないが、やる気だけは十分。
それなのにナターシャの筆がこれまであまり動いてこなかったのには、もう一つ理由があった。
「ただ、一つ決まっていないことがあって。アルバート様のことを、文章中にどう書けばいいのか……」
シェフィールドなら何かナターシャの思いついていない案をくれるかもしれない。そう期待をかけて悩みの種を打ち明けると、シェフィールドは唸った。
「やんごとなきお方だと言うのは、隠したいのでしょう? となると……」
「ええ。と、なると?」
「……「旅好き青年」とか!」
シェフィールドはぽんと手を打って、まるで名案を出したような顔だ。
ナターシャは気勢を削がれてがっくりする。
「そのままじゃない!」
「タイトルの『旅好き娘』と対になって良いかと……ナターシャ様は王子殿下と随分心を通わせているようでしたし」
「通わせてな……くはないかもしれないけど……だめ、却下です。自分で考えます」
シェフィールドはこと執筆においてはあまり役に立たなそうだ。ナターシャは自分のノートに向き直る。
ちょうど、インクを探しに行っていたメイドが帰ってきた。手には黒々とした液体がたっぷり入ったガラス瓶を持っている。
「お待たせしました、お嬢様」
「お手柄ね、ありがとう」
インクを受け取り、いざ新たな旅について文章をしたためていく。もちろん、今回の旅について書くのにもアルバート王子は必須の登場人物だ。
筆が止まらないよう、ついさっき却下したばかりの「旅好き青年」を暫定案として採用する。
――さて、旅好き娘こと私、ナターシャがこの夏訪れるのは、誰もがよく知るこの国きってのリゾート地、ウェーステッド領。実は、ここを旅の舞台に選んだのは私ではない。前回の旅で出会った旅好き青年の誘いである――
(旅好き旅好きうるさいわね……)
やっぱり却下だ、と思いながらも、代替案は思いつかないまま。ナターシャは一度アルバート王子についての悩みは頭の隅へ追いやって、さらさらと言葉を書き進めるのだった。
残していた宿題とも言える、アルバート王子のことなんて呼ぼう問題。もう王子の旅はお忍びではないので名前を出してもいいのですが、『紀行録』に身分を感じさせることを極力書かないのがナターシャのポリシーなのです。




