12.勝負の行方は
「――危ない!!」
アルバート王子のそんな叫び声が、ナターシャの耳に届く。
瞬間、船が強い風に煽られてぐらりと揺れる。遅れて、波が下から船を突き上げた。
釣り竿と引っ張り合いをしていたナターシャの体は、その衝撃でぐらりとバランスを崩した。
海の方へ強く引きずられるナターシャの手を、後ろからアルバート王子が咄嗟に抑えた。
片手はナターシャの手ごと包み込むかたちで、一緒に釣り竿を握り、もう片手は船べりを掴んでいる。
「大丈夫かい?!」
「びっくりしました、ありがと――っきゃあ!?」
ナターシャの体制が崩れたのを器用に海の中から察知したのか、釣り糸の先でまた魚が大きく暴れ出す。
アルバート王子の手助けがなければ、釣り竿から手を離していたところだ。
「……ごめんね、少し我慢してくれ」
「え? わっ」
アルバート王子に突然謝られ、ナターシャは困惑する。
それも束の間、王子は船べりを掴んでいた手を離し、ナターシャの釣り竿を握りなおす。ナターシャの真後ろに立って、両側からぐるりと手を回して両手で釣り竿を掴んだのだ。
必然的に、ナターシャは後ろから抱き着かれたようなかたちになる。体は密着こそしていないが、二人の間の距離は帽子のつばの広さ分だけ。
驚きのあまり、ナターシャは硬直する。
「力なら私の方が強い。君はタイミングを見てくれ!」
「……えっ、あ、はい!」
アルバート王子の言葉に、ナターシャはなんとか返答する。
つまり、勝負は一時中断し協力しようということだ。ナターシャは再び、釣り針にかかった魚の動きに注目する。
もう水面に魚影が見えてきているので、機を窺うのもそこまで難しくはない。
魚の動きに合わせて、今だと思うタイミングで釣り竿を引くと、アルバート王子がナターシャより強い力で手助けしてくれる。
みるみるうちに、魚は船のすぐそこまで近づいてきた。
「最後です! 引きますよ、せーのっ!」
ナターシャのかけ声に合わせて、二人で勢いよく釣り竿を引き上げる。
ばしゃんと海面をかき分けて、大きな魚が空中へ踊り出た。その体長は1メートルを越えるのではないだろうか、一瞬見ただけでは種類までわからなかったが、またとない大物であることに間違いはなかった。
「やった!!」
「ああ……うわっ」
魚を釣り上げた反動で、アルバート王子が尻もちをつく。一緒に釣り竿を握っていたナターシャも当然一緒に転んだ。
二人して甲板に座り込んだまま、顔を見合わせて笑う。達成感と高揚感で、距離の近さなど忘れていた。
「やったね」
「はい。助けていただき、ありがとうございます」
「いえいえ。こうして飛びついて君を助けるのは2度目だね」
そういえば春の旅のときも、動物に襲われかけたナターシャを前にアルバート王子はすっ飛んできてくれたのだったか。
たびたびアルバート王子の前で危なっかしいところを披露していることに気づき、ついでに距離の近さにも気づいてナターシャの顔はかあっと赤くなる。
「す、すみません。周囲には気をつけます」
急に距離を取ってそう謝罪するナターシャに、アルバート王子は優しい微笑みのまま首を振る。
「ああ、責めるつもりはないんだ。気にしないで。それより、釣果が気になるところだが……」
釣り竿の先で、甲板に打ち上げられた魚がビチビチと暴れている音がする。
二人は立ち上がり、今日最大であろう釣果を確認するため魚の方を振り返る。
……が。
「あれ? 小さい……?」
そこでビチビチと跳ねているのは、中型の魚だった。
けして小魚ではないが、手応えほどの大物でもない。釣り上げた瞬間に見えた影と比べて、体感半分ほどの大きさになっている気がする。
二人して首を傾げるナターシャとアルバート王子に、後ろから船員が気の毒そうな声音で言葉をかけた。
「ええと……たいへん言いにくいのですが。ソイツは我々の間で通称ミカケウオと呼ばれる魚でして……」
ミカケウオ。
ナターシャはそのネーミングを脳内で反芻する。それはつまり。
「見掛け倒し、ってことですか!?」
船員は気まずそうに目を逸らした。
* * *
「釣り勝負は引き分け、しかも最後にとんだ肩透かしを食らったね……」
久しぶりの陸地は、まだ床が揺れている気がする。
港のそばにあったちょうどいい岩に腰掛け、ナターシャとアルバート王子は海の先を見つめる。
二人が釣った魚を持ち帰るため、使用人たちは準備をしてくれている。ナターシャとアルバート王子は今それを待っている最中というわけだ。
二人は遠い目になりながら、自分たちの釣果を振り返る。
「ミカケウオ……海水を吸って筋肉が膨張するため、水中でだけ体は大きく、力は強くなる、でしたか。驚きましたね」
「ああ。せっかく協力して大物を釣ったと思ったのにね」
「ですが、珍しい魚で身は絶品だそうです。まあ、可食部は少ないようですが……」
ナターシャたちをまんまと疲れさせてくれたミカケウオという見掛け倒しの魚について、不満げに二人は話す。
釣り船の船長から調理法を教わり、ミカケウオは夕飯の材料となることが決まった。
せめてとんでもなく美味しくあってほしいものだ。
「そう思ったらお腹が空いてきたな。このあたりで何か食べられるといいのだけど……」
「それなら、商店街があることをリサーチ済みです。このあと行ってみましょうか」
そう言って立ち上がるナターシャに、アルバート王子も続く。
そろそろ釣った魚を持ち帰る準備も済んだ頃だろう。ナターシャが連れてきたフローズンフロッグのおかげで、多少寄り道をしても魚たちは冷凍されて新鮮なまま持ち帰ることができるはずだ。
心地よい疲労感と空腹感の中で、二人は初めての街を散策するのだった。




