9.カメリア・パルメールの生涯
静かな部屋の中、一同の視線がシェフィールドに集まる。
シェフィールドは一度深呼吸をして、それから懐かしむように目を閉じた。
「では、私の知るカメリア様について、お話ししましょう。パルメール家に来られるずっと前、彼女の旧姓はクレインといいました。私がカメリア様と出会ったのは、王立学院でのことです――」
そんな前置きとともに、シェフィールドは話しはじめた。
カメリア・クレインは一言で表すならおとなしい令嬢だった。
生まれつき病弱な体で、上級貴族であるクレイン家に生まれた一人娘。
学院に入学し本格的に社交界に身を置くようになる頃にはもう、子を成せない体だと診断され、クレイン家は別で養子を取っていた。
家の将来を担うこともない、何かに打ち込める自由もない、ただ完璧な淑女として育てられただけの少女。
学院に入学した当初から、シェフィールドはカメリアと親しくしていた。
厳密には、おとなしいカメリアにかしましいシェフィールドが熱心に構っていたというのが正しいだろう。
カメリアを笑わせることがシェフィールドの日々の使命となって久しいある日、カメリアは恥ずかしそうにシェフィールドに打ち明けた。好きな人ができてしまった、と。
カメリアの言うその“好きな人”こそ、パルメール領前領主、モンドール・パルメールのことであった。
モンドールに出会ったカメリアは、それから――
「……あの、シェフィールドさん? うちの両親の惚気話を聞かせろって言ってるわけじゃないのよ?」
ナターシャは思わず、雲行きが怪しくなってきたシェフィールドの回想に口を挟む。
シェフィールドはハッとした顔で口元を押さえた。
「失礼しました、つい。では、カメリア様がパルメール家に来てからのことを……」
王都ではすぐに体を壊していたカメリアだが、パルメール領の空気の良さか、結婚してからはかなり体調が安定していた。順調に二人の健康な子を成し、幸福な日常を送っていた。
しかし、二人目であるナターシャを産んだ少しあとから、また体調を崩しがちになってしまった。
ナターシャを乗せた乳母車を押して家族皆で散歩に行くことも、時折子どもたちを使用人に任せて夫婦水入らずの旅に出ることもできなくなってしまう。
精神的にもダメージを追ったのであろうカメリアはみるみる生気を失った。
軽やかにつやめいていたオリーブ色の髪と大きな蜜色の瞳からだんだん色が抜けていく。
ベッドから出られない日が増え、外に出なくなった彼女の肌の色は不健康に白くなっていた。
「……私の記憶の中の母様は、最初からその姿だわ」
「そうでしょうね……ナターシャ様が物心つくころにはもう、カメリア様の病状はずいぶん悪化していました」
室内を重い空気が支配する。
カメリアについて尋ねた張本人であるアルバート王子が、いちばん沈痛な面持ちをしていた。
「治療の手立ては……」
アルバート王子におずおずとそう聞かれ、シェフィールドは黙って首を振った。
「手は尽くしました。モンドール様も死力を尽くして治療法を探されましたが……」
ナターシャも、母の病気について詳しく聞くのは初めてだ。
パルメール家では、なんとなく触れてはいけない禁忌のような雰囲気が流れていて、兄のルドルフもナターシャよりは当時のことを覚えているはずだが口を割らない。
ナターシャにとってはいつも優しく、穏やかだった母が、その裏でどれだけ苦しんでいたのか。
息の詰まるような心地がして、ナターシャはバレないようにそっと机の下で拳を握る。
そんな様子は見えていないはずだが、何かを察知したらしいアルバート王子はナターシャを見てから小さく俯いた。
「すまない、苦しいことを思い出させてしまったね」
「いえ。少し驚いていただけですから、気になさらないでください」
「驚いていた?」
「はい。……幼い私は、母の病気がそんなに悪いものだと知らなかったのです。風邪や感染症のように思っていて、早く治して遊びに行こうねと母に何度か声をかけた記憶があります」
だから、カメリアの容態が急変したときもナターシャにだけは現実味も危機感もなかった。家の中がピリピリとして、毎日父と兄が喧嘩をしている、その雰囲気の方がずっとつらかった。
思い出しながらポツポツと語るナターシャに、シェフィールドも同意するように頷く。
「当時、ナターシャ様にショックを与えないように、あまり詳しいことは話さないようにしていましたから……それに、カメリア様は最後まで笑顔で、愛に溢れた言葉を残して行かれましたから」
「ええ。それは私もよく覚えてる」
今思えば、カメリアは最後の日を悟っていたのだろう。
突然夜遅くに子どもたち二人だけを部屋に呼び、二人まとめてぎゅっと抱きしめて母は言った。
「いつまでも、わたくしはあなたたちの母として、見守っていますからね」と、そう言って、カメリアはしばらく子どもたちの背をなでていた。
そのことはおそらく、父モンドールも知らない。
その場にいたのはナターシャとルドルフ、そして子どもたちを部屋に呼んできたシェフィールドだけだ。
「素敵な母君だったんだね」
優しい声で、アルバート王子は言う。
ナターシャはその言葉に我がことのように嬉しくなりながら、答えた。
「ええ。何より自慢の優しい母です」
こんな話、誰かにしたのは初めてだ。
そう続けるとアルバート王子は微笑んだ。
「話してくれてありがとう」
* * *
カメリア・パルメールについての話を聞き終え、しんみりとした空気で会合はお開きとなった。
ナターシャとシェフィールドを客用の寝室に送り届け、アルバートとテオドアは王族用のプライベートルームに戻る。
アルバートの寝室でもあるそこで、二人は大量の書類を広げて難しい顔をしていた。
「――カメリア・クレイン。やっぱり彼女が、ナターシャ嬢の母親だったんだね。ファーストネームが同じだとは思っていたけれど」
運命とは数奇なものだ。
そう呟きながら紙面を辿るアルバートの指の先には、王族しか知り得ないこの国の貴族の家系図が綿密に描かれていた。
ナターシャの母、カメリアの人生について。少し重い話になってしまいました。
思わせぶりなアルバート王子は、カメリアの名を元々知っていたようですが……




