8.恨まれる覚えはありません
「待ってください。その……私はそのダズウェル・サイショー様? をよく知らないのですが」
重い雰囲気がただよう中、一人置いてけぼりのナターシャは会話についていくべく慌てて口を挟む。
真剣な顔をしていたアルバート王子が思わずぷっと吹き出した。
「ふっ、ふふ……あのね、サイショーという苗字じゃないぞ。宰相、役職名だ。王の補佐をする、上級文官よりさらに上の特殊な役職だよ」
笑いながらそう教えられて、ナターシャは恥ずかしさに顔を赤くする。
なぜ皆呼び捨てにしているのだろうと思っていたのだ。まさか役職名だったとは。
言われてみれば、宰相という響きに聞き覚えがあるような気もするが……政治にめっぽう弱いナターシャにとっては別の世界の言葉のようだ。
「さすがお嬢様、政治の授業中に旅先での記憶を頼りに大作の風景画を完成させていただけありますね……」
シェフィールドも冷たく追い打ちをかける。
もはや皮肉でもなく、本気でナターシャの世間知らずさに感心しているようだった。
実際、ナターシャは学院時代いつも授業中に授業と違うことをしては叱られていた。学院で身につけた政治の知識などないに等しい。
しかし、開き直ってこれ以上の無知を晒す気にもなれない。ナターシャは、できるだけ真剣な顔を作って話を戻す。
「失礼なことを言う自覚はありますが。そのダズウェル宰相という方が、ちゃんと報告していないだけ……という可能性はないのでしょうか?」
「なっ、お嬢様! なんて無礼なことを!」
ナターシャの無礼な発言を諫めるシェフィールドを、アルバート王子は片手を上げて制した。
「ここだけの話だ、かまわないよ。……王城では言わないようにね? 君が投獄されたら私でも助けられるか怪しいから」
へらへらしながらそう言うアルバート王子に、ナターシャの背筋はきゅっと伸びる。
投獄なんて冗談でも言うことではない。そしてアルバート王子の言うことはどこまで冗談かよくわからないし。
ナターシャが姿勢を正したのを見て、アルバート王子は続けた。
「実は、ダズウェル宰相のことは私も最初怪しんでいた……が、それはあくまで最悪の想定というところだ。もし敵に回れば我々の勝ち目は薄いが、そもそも敵に回る理由がない」
アルバート王子はそう言って、王城での勢力を軽く説明する。
かつては貴族たちが派閥に分かれることもあったが、今は国王の名誉が強すぎて派閥を作るまでもないらしい。というか、全貴族が国王エールリヒの派閥に属しているといった感覚だろうか。
そんな中で、国王の補佐として政治のNo.2を担うダズウェル宰相は、第一王子すら越える発言力を持つ。
「……王にもっとも近い男が、わざわざ王を裏切る必要ないだろう? 可能性としてありえなくはないが、理由が見当たらない。だから、もっと別の悪意を持った第三者を疑う方が自然だろうね」
アルバート王子はすらすらとそう答える。ナターシャの考えることくらい、彼も思いついていて当然らしい。
ナターシャは再び考え込みながら答える。
「そう、ですか……しかし、第三者となると手がかりはなんでしょう。明らかにパルメール領の方針には反する所業ですが、恨まれている覚えもありませんし……」
ナターシャはちらりとシェフィールドの方を見たが、彼女も心当たりはないらしく、黙って首を振る。
「こちらもまた、失礼ですが」
それまでずっと発言せず見守っていたテオドアが、おそるおそる切り出す。
全員の視線を浴びながら彼は続けた。
「ナターシャ様に覚えがなければ、ご両親はどうでしょう。たしかナターシャ様のお父上は、領地を一代で再建した敏腕領主と名高かったはず。その過程でトラブルに巻き込まれていたり――」
「いえ、ありません」
ナターシャが答えるより先にシェフィールドがきっぱりと答えた。
たしか、シェフィールドはナターシャの父モンドールと幼馴染だったはずだ。彼女がないと言うのならないのだろう。
しかし、万が一ということもある。たとえば、シェフィールドの知らない旅先ではどうだろう。ナターシャの記憶では、彼女が父や自分の旅についてきたことはこれまで一度もなく、今回が初めてだ。
ナターシャは、シェフィールドの言葉に付け加える。
「私の記憶の中でも、怪しいことはなかったと思います。でも好きに調べていただいて構いませんよ。必要な情報もあればお伝えします」
「ですが、お嬢様……」
「アルバート様たちに今更見栄を張ったところで、解決が無駄に遠のくだけでしょう? いいじゃないですか、後ろめたいことなんてないんですから」
ためらっている様子のシェフィールドをそう押し切って、ナターシャはアルバート王子の方に向き直った。
アルバート王子は安堵したように笑みを浮かべる。
「協力してもらえるなら非常に助かるよ。早速、お言葉に甘えて一つ聞いてもいいかな? 君の母上について」
その言葉に、ナターシャは目をぱちりと瞬かせる。
てっきり父について聞かれると思っていたが、アルバート王子が気にしているのは母の方らしい。
それなら、部屋にこもりきりの母の記憶しかないナターシャよりも、昔から知っているシェフィールドの方が適任だろう。
ナターシャはシェフィールドに説明を任せることにした。
ナターシャ自身も、腰を据えて母についての話を聞くことはほとんどない。
アルバート王子とテオドアにつぐ三人目の聞き手として、シェフィールドの言葉に耳を傾けた。
次回はシェフィールドが語る、ナターシャの母カメリアの生涯についてです。




