7.君に伝えなきゃいけないこと
「はあ、美味しかった……。ごちそうさまでした」
ナターシャは皿の上にルウの一滴すら残さぬ勢いで、テオドアお手製の夏野菜スパイスカレーを食べ終えた。辛さがピリピリと残る舌に、ひんやりとして爽やかなレモン水を流し込む。
口内から喉にかけてスッと冷たさが流れて、心地よい。
ナターシャは斜め前の席に座るテオドアに視線を向けた。
「テオドア様、どうかスパイス料理のレシピを伝授していただけませんか? 私に、もしくはシェフィールドさんにでもいいのですが」
「そう言っていただけて光栄です。ただ、レシピはどうでしょう……」
「え。や、やはり秘伝のレシピが?」
ナターシャは驚いてそう尋ねるが、テオドアは慌てて顔の前で両手を振る。
「とんでもない。ただ、スパイスの量は感覚で決めているので。レシピとして明文化できるかどうか、定かでないのです」
その返事にナターシャは唖然とする。感覚でこんなに美味しいものを作れるとは。
料理のセンスは、人によって生まれ持って違うらしい。
あからさまにショックを受けているナターシャを微笑ましく見つめながら、アルバート王子が声をかけた。
「傷心のところ悪いけれど、このあと少し場所を変えて話せるかい?」
「――はい。お風呂の前に仰っていた、“伝えなきゃいけないこと”、ですね」
ナターシャは意を決して答える。
ナターシャの愛する故郷、パルメール領で何が起こっていたのか。第一発見者として、しかと聞いておかねばならない。
アルバート王子の案内にしたがって、使用人たちもほとんどが知らないという隠し部屋に向かう。
道中、ナターシャは改めて王子たちにシェフィールドについて紹介しておくことにした。隠し部屋での会話に同席する許可を得るためだ。
「ところで……彼女が、パルメール家のメイド長であり私の乳母、そして《木こりの暖炉》の店主の娘さんでもある、シェフィールドさんです。同席させてもらってもいいでしょうか」
「もちろん。パルメール領のことをよくわかる人にいてもらった方がいいものね」
あなたのお父上の料理は絶品だった、と言われてシェフィールドは変に恐縮していた。
使用人のいない空き部屋の並ぶ廊下をしばらく歩き、やがて目的の場所に辿り着いたようだ。
パルメール家の本邸にも隠し部屋がないわけではないが、ナターシャは使われているところを見たことがなかった。
初めての隠し部屋に心をそわそわさせながら、物置に隠された小さな扉をくぐる。
部屋の中はナターシャの予想以上に広かった。部屋の中央に置かれたでっぷりとした木製の円卓には、8個の椅子が備えられている。
薄暗い部屋には、机の真ん中に弱い光のランタンが一つ置かれているだけだ。
ナターシャとアルバート王子は向かい合って席につく。テオドアがアルバート王子の隣に座り、最後にシェフィールドに席を勧めた。シェフィールドはナターシャの補佐役として、右隣に座る。
全員の準備が整ったのを確認して、アルバート王子は口を開いた。
「まず改めて、この旅の案内役を引き受けてくれてありがとう。君の気ままな旅の行き先をこちらで決めてしまうことになったが、どうか寛大な心で許してほしい」
ナターシャは恐縮して、無言でぺこりと頭を下げる。相変わらず過大評価されている気がするうえ、こうした堅い場だと社交辞令なのか本心なのかわからないのだ。
しかし、今日の本題はそこではないはずだ。アルバート王子からの評価については、今は見ないふりをしておこう。
王子も特に気にせず、話を続ける。
「楽しい旅の最中に雰囲気を壊すのも悪いのだけれど……君も気になっていることだろうからね。あの日、パルメール領の山中で我々が見た建造物について、現段階での情報共有をしよう」
そう前置きをして、アルバート王子は話しはじめた。
わかったことは二つ。
一つ目は、アルバート王子の知らぬ間に勝手に使われていた、王家の紋章旗について。
あれがまかり通ってしまったのは、下級文官による偽装のせいだった。第二王子を騙し、ほか二人の王子の署名を偽造し、紋章旗の使用許可を取ったのはケイト・ハンブルクという中流貴族の男だったらしい。まだ年若い、第二王子のご学友だという。
ケイトは文官としての任を解かれ、実家に帰って実質上の謹慎処分となった。これでこの事件は表向きの解決をみる。
「ここまでが、王城で行なわれた会議で判明し、公的に報告された内容だ。ご質問はあるかな?」
アルバート王子は一度話を切り、一同の表情を見渡す。
ナターシャはすかさず質問した。
「表向き、ということはアルバート様は何か裏があるとお考えなのでしょうか?」
「うん、そうだね。第一、紋章旗があそこにあった理由は解けたけれど、あの建物が何なのかはまだわかっていない。……先月の遠征調査で明らかになるはずだったんだが」
アルバートは隣に座るテオドアにちらりと目を向けた。テオドアは黙って首を振る。
つまり、パルメール領に派遣された調査団はあの建物の正体を突き止めることができなかったのだろう。
「確か、名政治家と名高いダズウェル宰相がいらしたはずですが……」
シェフィールドがおずおずと声を上げる。これに関しては、ナターシャよりシェフィールドの方が詳しいだろう。先月、領主ルドルフとともに、彼女も王家の使節を迎え入れる任についていた。
アルバート王子は、目を逸らしながら言いづらそうにシェフィールドの疑問に答える。
それがまさしく、アルバート王子の思う、“二つ目にわかったこと”だった。
「そう、あのダズウェル宰相が行って何も見つからないということは、よほど尻尾を掴ませないよう凝った何かがあるということだ。少なくとも、ただの中流貴族の気の迷いでは片付かない……もっとずっと深い陰謀が、あそこにはあるのかもしれない」
難航するのは間違いないだろう――王子は苦い顔で、嫌な予言をした。




