5.フロちゃんとお風呂
フェルミナという嵐のようなウサギのような女の子が去ってから、ナターシャたち一行は真っ直ぐ帰路についた。
ただ歩いていただけだが、なにせ気温が高いのでかなり汗をかいた。
宿である王家の別荘に戻った一行は、風呂を沸かして待っていてくれた使用人たちにまず感謝することになった。
「今回はこれは必要なかったですね」
ナターシャは持参していたお風呂アイテム、フローラルチョークをリュックから取り出して呟く。
フローラルチョークは冷たい水を温める作用と香りづけの両方を担ってくれる最強の入浴剤だが、すでに使用人たちが風呂を沸かしてくれているのならもう使い道はない。
もちろん、入浴剤も上質なものが別で用意されているだろう。
輸入生物の道具ばかり入ったリュックの中身をごそごそと整理するナターシャに、テオドアが声をかける。
「そういえば、今朝から気になっていたのですが。ナターシャ様からいただいたパルメール領の夏野菜は、こんなに暑い中何時間も運ばれてきたのにまだひんやりして新鮮でした。あちらはどういった運び方を?」
テオドアの質問に、ナターシャはニヤリと笑う。
「さすがテオドア様、目のつけどころがいいですね」
したり顔でリュックのポケットを開けるナターシャの様子を見て、アルバート王子も何かを察して近くまでやってくる。
「新しい輸入生物のお披露目かい?」
「ええ、そのようです」
アルバート王子とテオドアに見守られながら、ナターシャはリュックの細長いポケットにすべり込ませた、筒型のかごを開ける。
ぴょん、とそこから飛び出したのは、1匹のカエルだ。
「うわっ!?」
アルバート王子が情けない叫び声を上げて、テオドアの後ろに隠れた。どうやらぬめぬめは苦手らしい。
ナターシャの手のひらより少し大きい、まんまるした体。その肌は涼しげな水色をしている。
久しぶりに外に出られて嬉しそうなカエルは、ナターシャの肩に飛び乗ってケロケロ鳴いた。
鳴き声と同時に、ひんやりとした息がその口から漏れる。
「フローズンフロッグのフロちゃんです。何でも冷やしてくれますよ。燃費はちょっと悪いですが」
氷の息を吐くカエル、フローズンフロッグ。
グルメで大食いの彼は特定のエサしか食べないので世話が大変だが、その分とても人間の役に立ってくれる。
食べれば食べるだけ冷たい息を吐いてくれるので、道中野菜が痛まないよう、出立の前に大量のエサを与えて野菜を箱ごと凍らせてもらったのだ。
「へえ、お利口なんだね……」
テオドアを盾にしながら、アルバート王子はおずおずとフロちゃんの方を見つめている。
王子を怖がらせたいわけではないので、一緒に携帯している特製のエサを与えてからフロちゃんをカゴに戻した。
アルバート王子はテオドアの後ろから戻ってきて、恥ずかしそうに言った。
「小さい頃、庭で顔にカエルが飛びついてきたことがあってね……それ以来どうも苦手なんだ」
王城の庭にはカエルがいるのか。自然豊かで良いことだが、幼きアルバート王子はトラウマを植え付けられてしまったらしい。
かわいそうなので王子の前ではフローズンフロッグをカゴから出すのはやめておいたほうがよさそうだ。
過ごしやすいようリュックサックを加工して作ったフロちゃん専用ポケットにカゴを戻す。
そうしていると、入浴の準備が整ったらしくメイドたちがアルバート王子とナターシャを呼びにきた。
この別荘の素敵なところは、男湯と女湯が分かれて設置されているところだ。おかげで雪割邸とは違って、どちらが先に入るか悩まなくていい。
いそいそと風呂場へ向かうナターシャに、アルバート王子が声をかけた。
「今夜、湯浴みと夕飯が終わったら、少し時間をもらえるかい? 君に伝えなきゃいけないことがあるんだ」
その思わせぶりな言い回しに、ナターシャは目を瞬かせる。
かしこまってそう言われて思い当たることは一つしかない。周りの使用人たちにあらぬ誤解を生んでいる気もするが、詳しいことを知らない者が多い中で噂を広めないように気を遣った結果だろう。
ナターシャは突き刺さるような周りからの詮索の視線を気にしないことにして、振り返って頷いた。
「はい。明日も早いので夜更かしはできませんが」
「ありがとう。もちろん、早起きのことは私も承知だよ」
ではまたあとで、と呟いて王子も踵を返す。
アルバート王子はテオドアを、ナターシャはシェフィールドを伴って、それぞれ浴室へと向かった。
浴室は広々としていて、やはり豪勢だ。
浴槽には乳白色のお湯が張られていて、花の香りがナターシャの鼻腔を満たす。
かけ湯をして一通り体を流したら、湯気を立てる浴槽にざぶんと体を沈めた。
「ふう……一日外を歩いたあとのお風呂って、やっぱり最高ね……」
シェフィールドも、ナターシャに続いて浴槽に足をつける。
完全に体ごと入ることはせず、浴槽のふちに浅く腰掛けている。
「入ればいいのに。気持ちいいですよ?」
「いえ。私がお嬢様とともに入浴を楽しむわけには」
「そうですか。なら……」
シェフィールドの好きにすればいい、と思いかけてナターシャはとどまった。
アルバート王子にとってのテオドアのような、心を許して頼れる使用人がナターシャの近くにいないのは、ナターシャ自身のこういう性格にも起因するのだろう。
必要以上に持ち上げられるとナターシャの方から壁を作ってしまうのだ。
正直、アルバート王子とテオドアの関係はナターシャにとってかなり羨ましかった。
日頃の反省を込めて、そして今後何かが変わるかもしれないという期待を込めて、ナターシャは呟いた。
「いや。やっぱり座ってください。この後の作戦会議をしましょう? そのためには目線が近いほうがずっといい」
「……作戦会議、でございますか? はっ、まさかアルバート王子との!?」
急に色めきたって前のめりになるシェフィールドに、ナターシャはため息をついた。
やはり勘違いをされているらしい。
あまりにも真逆なこの人と、分かり合える日が来るのだろうか。早くも自信を失いかけながら、ナターシャは彼女の誤解をとくところから始めなくてはならなかった。
これまでナターシャはシェフィールドさんと一緒に旅をしたこともなく、
日頃の献身に感謝はしているものの、仲良くはなれない、ナターシャの考えとは違うことを勧めてくる分かり合えない世話係……といったところでしょうか。
この旅をきっかけに歩み寄れるといいのですが。




