4.はじめまして、旅好きさん
彼女の名前はフェルミナ・ウェーステッド。ウェーステッド辺境伯令嬢であり、第一王子の妃クィンニーナの妹だ。
ウェーステッド家は王家ともともと繋がりが深いうえ、第一王子夫妻はかなり円満だと聞く。ゆえに、アルバート王子とフェルミナの間に親交があるのも不思議ではない。
しかし、フェルミナは今アルバート王子のことが大好きだと言った。アルバート王子も満更でもなさそうにニコニコと彼女を迎える。
もし彼らが本当に想い合っているのなら、それは言わば禁断の恋である。ふつう、王位継承者が同じ家と複数の婚姻を結ぶことはない。権力の偏りを防ぐためにも当然のことだ。
それでも想い合う二人は旅先でだけ逢瀬を――
小声かつ早口でそう説明するシェフィールドの言葉を、ナターシャはなんとなく聞き流す。
ナターシャは恋などしたこともないし、そんなことで心を悩ませる人たちの気がしれないとさえ思う。
つまり王子とフェルミナがどんな関係であろうと、ナターシャの知ったことではないのだ。
そんなことより、どうすれば喋らずにこの場を切り抜けられるのかのほうが重要だ。
知らない貴族令嬢と仲良くするスキルはナターシャにはない。
しかし、願いむなしくフェルミナはナターシャの方を向いた。ピンクの瞳が真っ直ぐとナターシャの目を射抜く。
「あ……えっと……は、はじめまして?」
ナターシャの上擦った声も気にせず、フェルミナはニコニコ笑っている。
「はじめまして! あなたが“旅好き”さんね? アルバート様からよく聞いています」
そう言われてナターシャは思わずアルバート王子の方を見た。まさか『紀行録』への愛を周りの人々にも語り聞かせているのだろうか。王子はニコニコと完全防備の笑みを浮かべていて感情が読めない。
しかたなく、フェルミナの方へ視線を戻す。
「え、ええ……それは、光栄です……?」
「わたくしもあなたの本、読んでみたいわ?」
「え? あ、いや、そんないいものでは……」
咄嗟に謙遜してから、間違えたなあと思う。王子の愛読書だと向こうも知っているのだから、卑下するのは逆効果だろう。とはいえ、明らかに社交辞令である彼女の言葉に何と返せばいいのか。
ナターシャがモゴモゴしていると、後ろから思わぬ助け舟が入る。
「申し訳ございません、旅先ですので差し上げるための本も持ち歩いておらず……パルメール家にご注文いただければ、迅速に用意いたしますので」
シェフィールドが、商魂たくましく遠回しな営業をする。
さすがはパルメール家に長く仕えるメイド長。父もこうしてナターシャの絵日記を広めていたのだろうか。
フェルミナはわかりやすく唇を尖らせて言った。
「いいわ、アルバート様にお借りすればいつでも読めますもの」
「なっ……やはり……!」
禁断の恋、と呟くのはギリギリ堪えたらしい。
シェフィールドはなぜかフェルミナと睨み合うかたちになる。どうしてそこ二人が張り合っているのかナターシャにはわからないが。
「あー……ええと、そうですね。アルバート様と『紀行録』の感想なんて話し合っていただくのも楽しいかもですね。はは」
ただよう微妙な雰囲気を紛らわすためにナターシャは言うが、下手くそな乾いた愛想笑いのせいでさらに沈黙度合いを増やしてしまった。
見兼ねて声を上げるのはアルバート王子だ。
「そんなことより、ミーナ嬢。このあたりのおすすめの観光地があれば教えてもらえませんか? 我々の第二の案内人として」
「第二の? 第一はやっぱり“旅好き”さんですの?」
「あ、はい。案内役を仰せつかりましたナターシャ・パルメールと――」
「最初からわたくしを案内人に選んでくださればよかったのに。ここはわたくしたちウェーステッドの街、完璧に案内できますのよ?」
ナターシャは会話の中に自己紹介を挟もうとしたがあえなく撃沈する。
ぷりぷりとアルバート王子の前で自分をアピールするフェルミナに、そこまで自信があるなら案内役を譲っても全然構わないのだが。……いや、旅のあいだじゅうずっとこのテンションがそばにいるのは疲れるか。ではやっぱり譲れない。
上手くかわしてくれ、と他力本願にもアルバート王子に願う。その視線を受け取ってか、王子はナターシャにだけわかるように目配せをした。
なんだかよくわからないがナターシャも頷く。はい、お願いします。はやく帰りましょう。そんな気持ちで。
「では……そうだ。ミーナ嬢、耳を貸して?」
「? は、はい、どうぞ!」
アルバート王子が内緒話をする素振りを見せると、フェルミナは嬉しそうに顔を輝かせ、背伸びまでして王子の口元に耳を近づけた。
ごにょごにょと王子がささやく言葉を最後まで聞いて、フェルミナは機嫌を直して体を引いた。
「ええ、約束よ、アルバート様! ミーナは楽しみに待っていますからね!」
「はい。私も楽しみにしています。もちろん、兄上と義姉上もね」
アルバート王子がにこやかに手を振るのをときどき振り返って見ながら、フェルミナは来た道を戻っていった。
嵐のように去っていった彼女を見て、ナターシャは眉をひそめる。
「効果覿面ですが……なんと言ったのです?」
「次に義姉上たちが帰省するときは私もついてくるから、そのときに二人で抜け出そう、と。……まあ、そんな予定は立っていないのだけれどね?」
最後、アルバート王子は口の前で人差し指を立て、声を抑えて言った。
さすが貴族の中の貴族だ。
先ほどまで煩わしく思っていたフェルミナに今頃になって少し同情しつつ、ナターシャはやっと緊張を解いた。




