3.エメラルドグリーン
昼食を終え、お腹が満たされたところで、アルバート王子はナターシャを海へ誘った。砂浜に、観光客に人気の遊歩道があるらしい。
こんな海辺の街に来たのだから、海でできるレジャーが旅の主要な楽しみになるだろう。下見も兼ねて、二人は外へとくり出した。
昼下がり、海は夏の太陽を浴びてキラキラ光っている。
にごりのないエメラルドグリーンがずっと向こうの水平線まで広がっていた。透き通る水はきっと触れたら冷たくて気持ちがいいだろう。
夏が始まったばかりの海岸は、この暑さを待ち侘びていた人々の姿で賑わっている。
あまり人目を引かないようにあえて少人数で外へ出てきたのは正解だったらしい。アルバート王子とテオドア、ナターシャとシェフィールドの四人で海沿いを歩く。とはいえ、人の多い中を本当にたった四人で歩いていては危険なので、観光客に紛れて王子の護衛が数人、距離を保ちながら見守ってくれているそうだ。
ナターシャはあたりの人々の様子を眺める。
ただ海を見ながら散歩をする人、海水浴を楽しむ家族連れ、釣り道具が入っているのであろうカバンを担いだ人もいる。
皆思い思いに海を楽しむ中には、貴族だけでなくときどき庶民らしき人も混ざっていた。こうした場所でのバカンスが、貴族の特権になっていないのはとても良いことだ。
「こういう観光客の多いところを歩いていると、周りの方に声をかけたくなるんですよね」
ほっこりした気分であたりを見渡したナターシャは呟く。
「『紀行録』にもよく書いているね、最近だと旅先で出会った人々と一緒にバーベキューをしたとか。そう柔軟にいかない立場の私としては少し羨ましいよ」
さすがナターシャの『紀行録』の愛読者、アルバート王子はまるで自分の目で見てきたかのようにナターシャのバーベキューがいかに楽しそうだったか話しはじめる。
ナターシャの後ろで、シェフィールドが小さく悲鳴をあげた。
「お嬢様、旅先でそんな危ないことを……!?」
「おっと。これはオフレコの方がよかったかな?」
シェフィールドの様子を見てアルバート王子は肩をすくめる。
アルバート王子ほど高貴で重要な身分ではないが、ナターシャも家格の高い貴族であることは間違いない。あまりこの話を掘り下げられると余計なことがもっと明るみに出そうなので、ナターシャは海についてのことへと話題を変える。
「話しかけるのはやめておくとして……こうして多くの人がいろいろな目的で集っているのは見ていて楽しいです。私たちもこの海を楽しみ尽くしましょうね」
「うん、そうだね。君が提出してくれた旅程表によれば、海水浴も釣りも楽しめるのだったかな?」
「はい、そのつもりで計画を立てています。船の準備、ありがとうございます」
あくまでナターシャは旅の案内役だ。今回の旅も、パルメール領のときほど自在にはいかないぶん、事前に調べて旅の計画を組んである。船釣りの予定を捩じ込むために王家の力を借りたおかげもあって、なかなか充実した旅になる予感だ。
山地に比べて天候も安定しているので、滅多なことがないかぎり旅程が狂うこともないだろう。
せっかく二度目の案内役を仰せつかったのだから……という使命感はあまりなく。ただワクワクしながら旅先について調べ、旅程を考えた。
移動日である初日は全て自由行動としているが、明日からは行き先もやることも準備物も、全て大まかに決まっている。
ナターシャの計画に従えば楽しい経験ができると信頼してくれているようで、アルバート王子は旅程表について二つ返事で了承してくれた。
シェフィールドはともかく、テオドアも満足そうに頷いているのでナターシャのプランに問題はなかったと見ていいだろう。
今までは自分一人が楽しい旅をできればよかったが、こうして頼ってもらえるのはそれはそれで悪くない。
旅の楽しさを少しでも多くの人にわかってもらいたいと思うナターシャにとって、アルバート王子やテオドアからの信頼はおそれおおいと同時に、誇らしいものでもあるのだった。
しばらく他愛もない話をしながら砂浜を歩いた。のんびりと海辺で過ごしているとあっという間に時は過ぎる。
日が傾きはじめ、多かった観光客もそれぞれの宿に帰るか、食事処を求めてその場を去っていく。
「私たちも帰ろうか」
まばらになった人かげを見てアルバート王子が言った。
砂浜の雰囲気を十分満喫したナターシャをはじめ、その場の誰も異論はない。王家の別荘に向けて、来た道を戻ろうと踵を返した。
そのとき、砂浜から街の舗装された道へ戻るために続く階段の上から、誰かがアルバート王子に声をかけた。
「アルバート様! やっぱりここにいらしたのね!」
鈴の音のような声。
目を向けるとそこには絵に描いたような可愛らしさの少女がいた。長い銀の髪に、まんまるで大きい桃色の瞳。ナターシャと同じようにキャペリンを被りサマードレスを着ているが、ナターシャと違って服に着られている様子は一切ない。
身につけているアクセサリーも本人の佇まいも、間違いなく彼女が高位の貴族令嬢だと告げている。
知らない貴族。
少し後ずさって身構えるナターシャをよそに、アルバート王子はにこやかに返事をした。
「お久しぶりです、ミーナ嬢。まさか、わざわざ探してくださったのですか?」
嬉しそうに明るい声音で答えるアルバート王子に、ミーナと呼ばれた少女はにっこりと目を閉じて笑った。
「もちろんです! わたくし、アルバート様のことが大好きですもの!」
そう言い放って、階段を降りてアルバートのもとまで駆け寄ってくる。
可愛らしすぎるミーナの姿に、ナターシャはさらに数歩後ろに下がり、できるかぎり気配を消すことを選んだ。
後ろに控えるシェフィールドに助けを求めようかと小さく後ろを振り返ると、シェフィールドはなぜか驚愕の表情を浮かべていた。




