2.夏野菜の応酬
ナターシャの夏の装いは、アルバート王子には相当予想外だったらしい。
似合っていると言いながら、まじまじとナターシャの姿を見つめて、数秒。
さすがに居心地が悪くなってきたころに、アルバート王子の硬直はやっと解けた。
「私もそれなりの服を着てくればよかったな……君の助言通り動きやすさを重視してしまったよ」
「それが正解だと思います。この服は着せられただけですからね?」
そう念押しするとアルバート王子はくすくす笑う。
ナターシャが旅のために気合いを入れてオシャレをするタイプではないのは、前の旅でよくわかっていることだろう。
笑いながらも、揶揄うようにアルバート王子はナターシャの首元を手で示した。
「そのペンダントも似合っているよ。ふふ」
大粒の翡翠に銀のあしらいをまとったペンダント。
今日の衣装を見て胸元が開いているのが嫌だとナターシャが懸命に主張したところ、急遽用意されたものだ。
綺麗だとは思うし鉱石にロマンは感じるが、値が張っただろうと心配にもなる。
生活に不自由はしていないし領地の財政も順調だと聞いているが、お金はもっと有益なことに使うべきだ。輸入生物の便利道具を買ったり旅先で美味しいものを食べたりとか。
「これもメイドが買ってきたものです。貴族って感じですね」
眉を上げてしれっとそう言い放つナターシャに呆れることなく、アルバート王子はニコニコとしている。
やっぱり、学院で会ったような他の貴族とは違う。学院でのクラスメイトたちなら、どれだけ最初は褒め称えてくれていても、ナターシャの冷たい言動を見ると困ったように距離を取られるのが常だった。
嫌な記憶をぼんやり思い出していると、アルバート王子はいつの間にか歩き出しており、振り返ってナターシャを手招いた。
屋敷の中へ案内してくれるらしい。
「どうぞ、こちらへ。まずは昼食がてら、ここまでの長旅の疲れを癒そう」
ナターシャはシェフィールドはじめ数人のメイドたちを引き連れて、自分が訪れるなど思いも寄らなかった王家の別荘の中へと足を進めた。
別荘の中はとにかく荘厳だった。広いことは言うまでもないが、それよりも装飾品の多さがナターシャの目を引く。
豪奢だが趣味悪く見えないのはトーンが合っているからだろう。センスのないナターシャにも、こだわり抜かれていることはわかる。
付き人や護衛の者が一同に介した食事部屋の席につき、あたりをきょろきょろと見渡していると、向かいの席に座ったアルバート王子が解説をしてくれた。
「ここには兄上……第一王子のウィルヘルムがよく来ていてね。インテリアも彼の趣味だよ」
「へえ。ウィルヘルム王子殿下は海が好きなのですか?」
「いや? よく来るというのは、彼の妃の実家がこのあたりだからさ。君、そういうのにも疎いんだな」
そういえばシェフィールドから教わった気がする。第一王子ウィルヘルムは確かウェーステッド領主の娘と結婚したのだったか。
身分で言えばナターシャと同じ辺境伯令嬢ということになるが、随分な違いである。かたや未来の王妃候補、かたや旅バカ。まあ、適材適所というやつだ。
それよりもナターシャの気を引くのは先ほどから部屋に漂っている美味しそうな香りだ。隣の厨房から漂ってくるブイヨンらしき匂いは、先ほどアルバート王子が言っていた昼食だろう。
「そうだ、せっかく宿を用意していただくので、差し入れを持ってきたのでした。シェフィールドさん、あれを」
食事で思い出した。ナターシャは後ろに控えていたシェフィールドに声をかける。
用意したのはパルメール領で収穫した夏野菜だ。手土産には適さないとメイドたちに大反対されたが、王子たちは地方を知るために旅をしているのだから各地の特産品を味わうのもいい経験になるはず、とナターシャが押し切ったのだ。
いそいそと用意を始めたシェフィールドのことを、アルバート王子は興味深そうに見ていた。
「こちら、ナターシャ様からの手土産になります」
貴族の手土産には似つかわしくない発泡スチロールの箱。シェフィールドが差し出したそれを、控えていたテオドアが受け取った。
「開けても?」
「ええ、どうぞ!」
ニコニコと反応を見守るナターシャの前で、アルバート王子とテオドアは箱の中身を覗き込む。
「おお……! パルメール領のお野菜ですか?」
「はい。前の旅では、せっかく来ていただいたのに一度しかまともな地産品の料理を食べられなかったので……」
「ありがとうございます。ナターシャ様がこちらにいらっしゃる間にぜひ食事に出しましょう」
「ふふ、楽しみにしていますね」
和気あいあいと盛り上がるナターシャとテオドアの横で、シェフィールドは驚いたような顔をしていた。
ほら見なさい喜ばれた、と内心ナターシャは勝ち誇る。
「しかし……我々は気が合うのかもしれないね」
箱いっぱいに詰められた野菜を見ながら、アルバート王子は突拍子もないことを言う。
首を傾げるナターシャに王子が答える前に、王室のメイドが厨房からワゴンを押してやってきた。
会話を中断して居住まいをただすナターシャの前に、スープとパンが配膳される。先ほどから香っていたブイヨンはこのスープの香りだろう。
目を輝かせるナターシャに、アルバート王子は恥ずかしそうにはにかみながら言った。
「実は、ここに来る途中で野菜の直売所を見かけてね……夏野菜をたくさん買ってきた。旅先での食事にぴったりだと思って」
「へえ! それはそれは、本当に気が合いますね」
王都の郊外には農業地帯が多い。きっと採れたての野菜を売っていたのだろう。王子一行の目に留まるということはなかなか良質なものに違いない。
具だくさんのスープに入ったトマトやナス、コーンは、どれもハリがあって美味しそうだ。
早朝にパルメール領を出てから何も食べていなかったナターシャのお腹がくぅと鳴る。
続けて運ばれてきた食前酒を片手に、アルバートは微笑む。
「では、まずは再会を祝して。それからこの旅も楽しくなることを願って、かな?」
「はい。いい旅にしましょう」
グラスをぶつけあうと、チリン、と涼しげな音が鳴った。




