■メイド長レリア・シェフィールド
パルメール辺境伯家のメイド長、レリア・シェフィールドは困っていた。
何度読んでも理屈のわからないお手紙を、ついうっかり館の主に変わって受け取ってしまったのである。
このパルメール家に仕えて20年ほど。体の弱かったカメリアに楽をさせるため誰よりもキリキリと働いてきた彼女は、周りからは“頼れるメイド長のシェフィールドさん”として長年慕われてきた。
自分でもよくやってきたと思う。
乳母の役目も果たし、手塩にかけて育てあげたルドルフは今や立派な領主様に。
そして、ナターシャは旅好きの貴族令嬢に――両親に似たのだろうナターシャの趣味はよくわかるが、シェフィールドにとっては少し残念でもあった。
母親に似てこんなにかわいい女の子が、社交の場に出ず山で土にまみれているなんて、もったいないにもほどがある。自分のエゴだとわかっているが、どうしてもそう思ってしまう。
だからこそ、シェフィールドはその日届いた手紙に書かれていることが、読んでも読んでも理解できなかった。
差出人の名はエールリヒ・グランシュタイン。この国の国王陛下の名前だ。丁寧な筆致で綴られた手紙の内容は、主に前半と後半に分かれている。
前半は政治の話で、シェフィールドには詳細が分からなくとも仕方ない。このまま読み上げれば伝言くらいにはなるだろう。何か王城で起こった不正事件に、このパルメール領も関わっているということで調査の手が入るらしい。国王肝入りのダズウェル宰相たちが使節としてやってくるそうだ。
問題は手紙の後半だ。シェフィールドは目を疑い何度もその文章を読み直したが、何度読んでも書かれていることは変わらなかった。
「『本年度の領地管理事業の一環として、シュタイン王国第三王子アルバート・グランシュタインが国内各地を漫遊する。その案内役を、ナターシャ・パルメールに任ずる』……と書いているように、私には見えるのですが……」
シェフィールドは周りの使用人たち一人ひとりに、手紙の内容を確認して回った。どうしてこんなことになるのか、まったく分からなかった。
しびれを切らした使用人の一人が、とうとう名乗りをあげた。
「わ、私が旦那様たちに確認してまいります」
執務の只中であるルドルフとナターシャの邪魔はできればしたくなかったが、背に腹は変えられない。シェフィールドは手紙をその使用人に託し、やきもきしながら事態の進展を待った。
* * *
それからのシェフィールドは目まぐるしく忙しかった。
ナターシャ曰く、すでにアルバート王子からも直々に案内役を頼まれたことがあるという。
近いうちにとはこういうことだったのね、と訳知り顔で頷く彼女の手には、手紙に同封されていたらしい次の旅の予定が握られていた。
7月の頭、移動日を含めた4泊5日で王国南西部にあるウェーステッド辺境伯領の海へ。年中寒いパルメール領の海とは違って、夏のウェーステッド領はいわゆるリゾート地だ。
確かに王からの書状を断る選択肢はないのだけれども、当たり前に行く気マンマンのナターシャに驚愕した。
そんなところで第三王子と辺境伯令嬢がふたり。いや、ふたりきりであるわけがないのはシェフィールドもわかっているが、だとしても。
そもそも、第三王子は評判の良いわりに婚約者が未だいないことで、たびたび貴族間の噂話を産んでいる方だ。もしかしたらもしかすることもあるだろう。いや、たとえそんな深い意味はないとしても、半端な準備でナターシャを送り出すわけにはいかない。
シェフィールドは、数年ぶりに気合いを入れてナターシャへ淑女教育を施すことにした。
……これがまた、難航するのである。
「さてお嬢様。まずは旅のご準備ですね」
「ええ、気が早くない? シェフィールドさん、そんなにせっかちでしたっけ?」
庭先の切り株に座ったナターシャは、いなすようにそう言いながら、手元のすり鉢で何かを熱心にこねている。覗き込むと、どうやら花をすりつぶしていたらしい。
「……それは何を?」
「あ、興味あります? やっぱり貴族女性にも求められるポテンシャルがあるってことね……いま、日焼け治しを作ってるんです。日焼けって実はやけどの一種なんですよ。だからポーションの成分が効くんじゃないかと」
花をすりつぶして、絞り出した半分液体、半分粉のようなぐちゃぐちゃの黄色の上に、ナターシャはそばに置いていた鍋の中身を注ぐ。とろみのある液体がすり鉢に流れ込み、花の粉を溶かした。
「うーん……でもやっぱりうまく行かない。オドリダケの粘液でカトルフルールを溶いたら軟膏風のポーションができると思ったんですが、混ぜると効果が打ち消し合うみたいで。効きませんね」
ナターシャは自分の指先にある細い切り傷にすり鉢の中身を塗りこむが、傷に変化はない。正しくポーションが完成していれば、切り傷など一瞬で治るはずなのだが。
実験が失敗して残念そうなナターシャに、慌ててシェフィールドは指摘する。
「オドリダケの粘液は皮膚炎を引き起こす毒ですよ? そんな危険なこと……! それに、ポーションの個人での製作には許可証が必要でしょうに!」
シェフィールドの悲痛な叫びに、ナターシャはきょとんとして首を傾げる。
「オドリダケの粘液は熱してあるので、毒性は消えていますよ。それに、ポーションの免許も持っています。ほら」
個人で取るには超高難度の筆記試験と1つのミスも許されない厳密な実技試験が必要なはずの製薬免許証を、まるで他愛ない紙切れのようにシェフィールドの目の前でぺらぺらと揺らす。
さて次の材料候補は……と呟きながら作業に戻るナターシャを前に、シェフィールドは天を仰いだ。
その優秀さを貴族社会で発揮すれば、本当に王子殿下の婚約者だって夢ではないだろうに。ナターシャは淑女らしさのほとんどない代わりに、好奇心と自然にまつわる知識が飛び抜けている。
シェフィールドは諦めたくなる気持ちを振り払い、改めて自らと、天国のカメリアに誓った。
(それでも私は……この子を王子殿下につりあう立派な貴族令嬢にしてみせるわ……!)
パルメール家の敏腕メイドで、ナターシャの三人目の親といっても過言ではない存在、シェフィールドさん。なかなか勢いのある女性ですが、彼女が恋愛脳なのではなく、ナターシャが無頓着すぎるのだというべきかもしれません……
さて、次の旅の行き先も明らかになったところで、
次回より『旅好き辺境伯令嬢の気まま紀行録』第2章、いよいよ開幕です!




