■王室より通達あり
ナターシャの目の前には冷め切った紅茶の入ったティーカップ。
それから大量の書類やメモ。そして、完全に表情の抜け落ちた顔をしている兄、ルドルフ・パルメールが応接机の向かい側に座っている。
旅から帰ってきたばかりのナターシャは、ルドルフの宣言通り帰ってくるやいなや執務室に通された。
これから、旅についての尋問が始まるらしい。
「ええと……どこから聞こうか。むしろ、どこから話す? 聞き逃せないことが多すぎてこちらはお手上げだからな、どこから話してくれてもいいぞ!」
明るい声音でそう言いながら、ルドルフは全くの無表情だ。これは自棄になっていると見える。
ナターシャは何も悪くないのだが、なんだか申し訳なくなってきた。
「じゃあ、アルバート王子殿下について、から? と言っても母様の墓の前で、ぶつぶつ呟いていた通りだけど……」
ナターシャが母の墓前で報告していたことを、ルドルフは後ろから聞いていたはずだ。
アルバート王子がナターシャの『紀行録』のファンだと言って現れ、流れで同行することになり、一緒に旅をした。報告は以上、だと思うのだがルドルフは首を振った。
「そもそも何故王子殿下がここへ? 僕が何も聞いていないということはお忍びなんだろう。お忍びにはお忍びである理由があるはずだろう?」
「だから、旅行に来たのよ。私が『紀行録』に書いた景色を見に……こんな恥ずかしいこと、何度も言わせないで」
「あのな、そんな物好きな王子が……いや……おまえが自分からそんな嘘や見栄言うはずがないか。しかし信じられないな……」
「ええ、私も信じられない。まだ信じてない、夢だったんじゃないかって5分に一度は思ってる」
そうナターシャが言い返すと、ルドルフは深いため息をつきながら手元のメモに言葉を書きつけた。アルバート王子、お忍びでの来訪、理由:ナターシャ。全力で抗議したいメモ書きだが、事態をややこしくするだけだろう。
ナターシャはグッと堪えて、次の報告に進む。
「それより大事なのが、コンコルド渓谷の東側にある高山地帯のこと。一応確認するけど、王家があのあたりで何か事業を進めてるなんて聞いたことないわよね?」
「ああ、それだ。それも一大事だよな……知らないさ、そんなおまえが怒りそうな話。もしあれば僕の方で止めてる」
妹思いのルドルフはそう即答する。
こちらはアルバート王子についての話より、もっと詳しく話した方がいいだろう。この領地全域を管理するはずのルドルフも知らない施設が今まさに建てられようとしているのだから。
「山頂の土地が切り開かれて、車とかが通れるように整備されているの。そこで何か、雪割邸より大きくてこの家よりは小さいくらいの建物が建設中。周りには、王家の紋章旗がこれ見よがしに吊るされたトゲ付きのバリケードがあって、人も動物も近寄れないようになっていたわ」
「明らかにきな臭いな」
「ええ。それで、バリケードを壊すために動物たちがずっと体当たりしてて、トゲがあるから当然傷だらけになっていて……えっと」
空飛ぶトラに掴まれて空を飛んだ話は割愛していいだろう。バリケードに打ち込まれたテオドアパンチのこともいらないか。
いろいろありすぎて、何を話せばいいのか迷ってしまう。
ああ、ルーガクックを見たことは言っておいたほうがいいだろうか。普段は生息していない場所まで野生動物がやってきていることは明らかな異常事態だ。
「多分そのバリケードで怪我をしてしまったせいで、ルーガクック……えっと、珍しい大きな鳥ね? 私も見たことのないその鳥が人の生活圏近くまで来ていた。傷が治ればまた人里離れたところに帰っていくとは思うけど。念の為、何か事故に発展しないように気をつけておいた方がいいかも」
ナターシャが思いつく限りにあれこれと報告するせいで、ルドルフのメモは散らかっていく。
「王家の紋章については、アルバート王子が調べてくれていると思うわ。王子も相当怒っていたから」
「……王子も? ああ、おまえも何か怒ったって言ってたな」
紋章調査中、アルバート王子、お怒り、ナターシャも――後から見返してそのメモは果たしてわかるのだろうか。
心配になりながら動くペン先を見つめていたが、ふとルドルフは手を止めた。
「何か宣言したとか言ってたな。まさかと思うがそれって王子殿下の前で宣言したのか?」
「? ええ。だって王子と専属の騎士と私の三人よ? 宣言する相手、他にいないでしょう。……そんな意気揚々と宣言相手を探したわけじゃなくて、ついぽろっとこぼしてしまっただけよ?」
「……それで、王子殿下はなんと?」
ナターシャには何もピンと来なかったが、ルドルフの顔には焦りが見える。
さっきまで何の表情もないような疲れた真顔をしていたのに、急に目が泳いでいる。
ナターシャは首を傾げつつも、アルバート王子に言われたことを思い出しながら答える。
「応援された、と思うわ? 私が自然の良さを世界に広めるって言ったから……『その通り! 君の紀行録は国中に広まるべきだ!』とか?」
できるだけそのときの景色を再現するべく、芝居がかった調子でナターシャは答える。ふざけているわけではなくいたって真面目に。
その言葉を聞いて、ルドルフは安堵の息をつく。
「協力とか支援とか、そういう話はしていないんだな?」
「えー……多分。してない? と、思うわ」
「なんでそこが曖昧なんだ……」
呆れ顔で言うルドルフを見て、やっとナターシャも彼の言いたいことを理解した。
つまり、アルバート王子から「支援する」とかの言葉を引き出したが最後、その時点で政治的な意味が発生してしまう、ということなのだろう。
そんなの言葉のあやにすぎないと思うのだが。王子はそんなことにも気を遣って話さなくてはならないらしい。大変だなあ、貴族って。
他人事のようにそう思っていると、突然執務室のドアがノックされる。それもただのノックではなく、慌てたように激しく。
ナターシャは部屋の主でもないのに咄嗟に返事をした。ルドルフの返事と声がかぶる。
ドアを蹴破らんばかりの勢いで転がり込んできた使用人は、ルドルフとナターシャのちょうど中間、机の真ん中に一枚の書状をバシン、と突きつけた。
「お、お、王室より通達あり! 我々では判断しかねますので、ルドルフ様にお渡しするよう、シェフィールド様のお達しで参りました!!!」
ナターシャにとっては、ここ数日で一気に見慣れた紋章。
仰々しく金の箔押しでその紋章が入った書状を、ルドルフは迷わずナターシャへと差し出した。
次回、通達の内容が明らかになり、第2章に向けて物語は動き出します。最近多いですが、またまた新しい登場人物も……! どうぞお付き合いください。




