■王位継承者会議・後
生温い沈黙。
王位継承者会議という重苦しく厳格なはずの場には似合わない、何とも言えない哀れみのような空気が部屋の中を満たしている。
「兄として助言してやるが……お前は少し実直すぎるよ」
ウィルヘルムが長男風を吹かしてそんなことを言った。言われた側のオルランドだけがその意味を解していない。
しかし、理由はともかく馬鹿にされていること自体はわかっているらしい。ますますオルランドは眉間の皺を深めた。
「何故です? 誇り高き王室が掲げる紋章に泥を塗られて咎めることのどこが実直すぎると言うのですか」
大真面目な顔でそう答えるオルランドに、ウィルヘルムはとうとう堪えきれず笑い出した。そこじゃねーよ、と口調を取り繕うのも忘れてくつくつ笑っている。
嫌味だがウィルヘルムはそういう兄だ。オルランドを気の毒に思いながら、アルバートは口を開く。
「兄上、まだ私は何も言っていませんよ。どこで見つけたとも誰が引きちぎったとも」
「うむ。てっきり私はどこかで引きちぎられ、打ち捨てられた紋章旗をアルバート王子殿下が見つけなさったのだと思いましたが……」
アルバートに続いて補足したダズウェルの言葉で、オルランドはやっとこの絶妙な空気の原因を理解したらしい。
唇を震わせ、顔も心なしか青ざめている。
「ックク……B級ミステリのオチかよ。それともアレか? 自白するのが恥ずかしかったからうっかりのフリをしたのか?」
トドメを刺すようにウィルヘルムはまだ悪い顔で笑って、オルランドを揶揄いつづける。
オルランドは言い返したくても言い返せないだろう。アルバートを糾弾するつもりが一気に自分の窮地なのだから。
悔しそうに黙り込んだオルランドのことをひとしきり笑ったあと、ウィルヘルムは王子然とした真面目な顔に戻ってアルバートに告げた。
「俺に心当たりはないな。お前の行ってきたパルメール辺境伯領では、辺境伯家の本邸以外に王家の旗を掲げている場所はないはずだ。少なくとも俺は承認していない。あー……領主の家の旗がそうなっていたなら話は別だが?」
「いえ。これはパルメール辺境伯の管轄とは全く別のところで見つけたものです」
ウィルヘルムの言葉の通り、王家の紋章を使用するには承認がいる。承認には王の判、または王位継承権を持つ者全員分の署名を必要とする。
目の前の紋章旗を“アルバートが旅先で引きちぎってきたものだ”と当たり前のように即断した時点で、オルランドはパルメール領のあの紋章旗を知っていたことになる。
アルバートもウィルヘルムも知らない旗を。
「わかったかオルランド、これが模範解答だぞ。ちゃんと自分が知らないはずのことは知らないと言うんだ。嘘も方便、口は災いの元だって、来年度の教科書に載せるべきなんじゃないか?」
無難な答えを返したウィルヘルムは、その勢いでわざわざ教育にまつわる言葉を使ってオルランドを口撃している。この男はオルランドを揶揄わないと死ぬのだろうか。
一つ間違えてはならないのは、ウィルヘルムは別にオルランドを嫌っているわけではない。むしろ弟として可愛がっている。可愛がり方が間違っているだけで。
歳が離れているからかもっと他の理由か、今のところウィルヘルムの可愛がりの対象になっていないアルバートからすれば、オルランドはひたすら気の毒だ。
しかし、どれだけ可哀想な立場であっても今はオルランドが最有力容疑者だ。
ウィルヘルムのように責めることこそしないが、いくつか訊いておかなくてはならないだろう。
「……ちなみに、言うまでもなく現王も承認しておられません。私に隠れて執務をされていなければ、ですが」
口を開きかけたアルバートの前に、ダズウェルが口を挟む。
アルバートが第一に先入観で疑っていたのはダズウェルだったが、どうやら杞憂に終わったらしい。
もしダズウェルを政敵とすることになれば、それすなわち王を政敵にすることに等しい。彼は王に最も信頼され、長年政治の大局を任されてきた男だ。
それに比べれば、オルランドのいっときの悪事をやめさせることなど簡単だ。
「では、いくつか質問を。よろしいですか、兄上?」
「……ああ。素直に答えるよ」
それだけが取り柄だからな、と拗ねたようにオルランドは言った。
* * *
通例、王位継承者会議は主催した者が議事録と報告書を作成しなければならない。
王への奏上を前に王位継承者一同で意見をすり合わせる場としての意味も持つため、その報告書を持って主催者が王に謁見を申し込むこともある。
しかし、今回は謁見までする必要はなさそうだ。アルバートは、オルランドとの問答をまとめた報告書を改めて読み上げる。
「報告その一、パルメール辺境伯領における王室紋章利用の承認不備について――」
オルランドは観念して、言葉通り澱みなくアルバートの質問に答えた。
なぜパルメール領に紋章旗があることを知っていたのかという質問に対して彼が言うには、そもそもウィルヘルムとアルバートがあの紋章旗を承認していないことを知らなかったらしい。一度は全員が承認したはずの自分の家の紋章旗をアルバートが突然ボロボロにして持ち帰ってきたから、あらぬ勘違いをしてしまったと。
そして、自身が紋章旗について承認した経緯を事細かに語った。
曰く、学院時代の友人から、ある日突然王家の紋章旗について話があった。他二人の王子からはもうサインをもらってある、という友人の話を聞いて、二つ返事で自分も署名をしてしまったと。
それもどうかと思うが、幸いなことにオルランドが何か罪に問われることはなさそうだ。なぜなら。
「……報告その二、文官ケイト・ハンブルクによる王家紋章利用申請の偽造疑惑について。こちらが今回の一件の肝になりそうだね」
オルランドから説明を聞き、アルバートが追加で聞いたことは二つ。
オルランドがウィルヘルムとアルバートの署名を偽装したわけではないのか。そして、あの紋章旗がどんな場所に掲げられているか知っているのか、という質問だ。
答えは、どちらもノー。厳密には、後者の質問に対して、オルランドは完全に的外れな答えを返した。
オルランドの友人、王城で文官として働くケイト・ハンブルク公爵は、あろうことかアルバートの主導するある施設に掲げられる旗だ、とオルランドに吹き込んだらしい。
「いろいろ疑問点は絶えないが……報告書に今書けることはこのくらいだろう。私たちがあの場で言ったことだけをまとめるべきだろうからね。テオドア、君はどう思う?」
「殿下に同意いたします」
「本音は?」
「捨て駒が一人失脚するだけで、根本的な解決には至らないだろう、と」
「……まったくその通りだね」
テオドアがため息まじりに吐いた言葉に、アルバートも同意する。
ケイトというそのオルランドの友人が悪巧みの黒幕で、あの施設を造営している張本人だとは到底思えなかった。
しかし、アルバートの単なる予想や予感を報告書に書くわけにはいかない。
他愛ない文官と第二王子の不手際として片付けられてしまうのは歯痒くはあるが――パルメール領に建てられたあの怪しい施設とバリケードについて、王家の正式な調査を向けさせることには繋がるだろう。
アルバートの立場でできることは、実はあまり大きくない。ここから先は優秀な権力者たちに任せることにして、アルバートは数日ぶりの泡風呂にありつくべく部屋を出た。
次回はナターシャ視点に戻ります。今頃、旅について兄に質問攻めにされていることでしょう。




