34.人の業、自然の怒り
アルバート王子たちの予想通り、そこから先はかなり穏やかな道が続いた。
バリケードにさしかかるまでの急勾配で細い道とは違って、道幅も広く緩やかな坂になっている。地面の凹凸もずいぶんマシだ。
この調子なら大勢で移動もできるし、荷物を運ぶこともできそうだ。
有刺鉄線と鉄網で作られたあのバリケードも、上から荷物を運んだのなら危険なく作れたことだろう。
しかし、上から降りてきて作ったのだとすると、土砂崩れの起きた場所より下にバリケードがあったことの説明がつかない。
道中、アルバート王子が眉をひそめて尋ねた。これは雑談だけれど、という前置きつきで。
「人為的に土砂崩れを起こすことはできると思うかい?」
「どうでしょう。地面を深く掘ってダメージを与えればあるいは……」
自然破壊の術を考えたことはないが、できないということはないだろう。
ナターシャの答えを聞いて、王子はふぅん、と相槌を打ちながら先ほど引きちぎったくしゃくしゃの紋章旗を睨みつけていた。
道なりにしばらく歩くとやがて頂上に近づき、上り坂が終わる。
あまりにあっさりとした到着に拍子抜けしつつも、ナターシャは目的であるルーガクックの居場所を探すためきょろきょろとあたりを見渡す。
しかし、その目に入ってきたのは自然の中に暮らす雄大な生き物の姿などではなく、完全に人工的な景色だった。
開けた土地の真ん中に、作りかけの建物の枠組みがどっしりと建っている。
かなりの面積を占める大きな建物は、周りに薄布がかけられ詳細な形こそわからないものの、完成すれば雪割邸を越える大きさになるのではないだろうか。別邸とはいえ辺境伯家の暮らす持ち家を越える大きさの建物など、ふつうこんな山奥には到底建てられない。
おそらく何年も秘密裏に大工事をしてきて、これからもしばらく工事は続くのだろう。
そして、建物の近くに獣除けであろうバリケードが張り巡らされている。
登ってくる道中で見たものと同じ鉄網のフェンスに有刺鉄線を大量に絡ませたものだが、こちらは見上げるほどの大きさである。ナターシャたち一行の中で一番背の高いテオドアが思い切り背伸びして手を伸ばしても、てっぺんまで届くことはないだろう。
そんなバリケードのてっぺんには、ダメ押しのように鋭いトゲが空に向かって伸びていた。
バリケードに近づいて、三人でまじまじとその建物の建設地を観察する。
建設中の建物にかけられた布やバリケードに吊られた布には、やはり王家の紋章が刻まれている。
「ルーガクックはここで怪我をしたのでしょうね」
「……そうだろうね」
バリケードについたトゲトゲのいたるところに、赤黒い汚れが付着している。
手の届かない上部の血は鳥が、足元の血は先ほどナターシャを襲おうとしたトラのような動物が傷ついた痕だろう。
目の前のむごい光景に、一同は言葉をなくす。風だけが鉄骨の隙間をぬってひゅうひゅうと細い音を立てていた。数秒、静けさがあたりを包む。
しかし、やがてどこかから聞こえてきた地響きのような音で沈黙はかき消された。
「なんだ……!?」
真っ先に異変を察知して身構えたのはテオドアだ。しかし、音の正体にはナターシャの方が先に気づいた。
ナターシャたちが登ってきた道とは反対側、まだ人の手が入っていないらしく遠くに森の残る方から、大勢の動物たちが走ってくるのが見える。クマに鳥にシカにトラに……本来は天敵同士であろう多種多様な生き物が混ざった群れの進行方向には、作りかけの建物を覆うトゲだらけのバリケードがある。
彼らが何をしようとしているのか理解したナターシャの体は勝手に動く。
「待って、ダメ!!」
ナターシャは勢いよく走り出し、迫りくる動物たちの正面に単身で立ちはだかる。
咄嗟のことに、テオドアもアルバート王子もナターシャの奇行を止められなかった。人が、しかも戦えもしない令嬢がひとり立ちはだかったところで、土煙をあげて走る獣たちの群れを止められるわけがない。
言葉通り奇怪で道理の通らない行動だと、ナターシャ自身もわかっていた。
それでも。
「傷つくってわかってるんでしょう!? 止まりなさい!!」
群れに向かってナターシャは叫ぶ。
一拍遅れでナターシャを助けに入ろうとしたアルバート王子の腕を、テオドアが掴んで制止する。
もう動物たちがそこまで迫っている。今助けに向かったところでもろとも踏みつけられるか蹴りとばされて終わりだ。
近づけない代わりに、アルバート王子は悔しげな声で悪態をつく。
「それはこっちのセリフだ、戻れ!!」
そう言われても、とナターシャはアルバート王子の方に背を向けたまま、自嘲のような笑みを浮かべた。
今更戻りたくても、恐怖で固まった足は動かない。
ナターシャだって当然、簡単に人を頭から食べそうな大きさの動物や、体当たりだけで全身の骨を砕いてきそうな速さの動物に正面から向かってこられたことなどない。怖いものは怖い。
けれど体が動いてしまったのだ。
自分の安全や生存どうこうよりも、ひとりの自然を愛するものとして、人類の罪を少しでも償わなくてはと、思ってしまった。
もう目前まで動物たちは迫っている。先頭を四本足で駆ける大きなクマと目が合ったが、当然、彼はナターシャのことなど気に留める気はないようだった。
「お願い、止まって――」
そう祈りながら、ナターシャは目を閉じる。
次の瞬間、強い力で首根っこを掴まれ、ナターシャの体は宙に浮いた。
世の中、自然を愛する人ばかりではないようです。
切ないですね。
次回は明日17時更新予定です。よろしくお願いいたします!