19.万能王子のここがすごい
食後、おかわりのハーブティーを味わってナターシャは長く息を吐く。
最後のバゲットまで美味しくいただいたおかげで、かなりの満腹感である。
アルバート王子は手を洗いに行くと言ってつい先ほど席を立って、今はナターシャとテオドアが二人で食後の余韻を楽しんでいる。
話題に上がるのは、テオドアとアルバート王子との関係性である。
「テオドア様は、騎士になった当初から王子の専属だったのですか?」
「はい……というか、私は騎士になる以前から殿下の召使でした」
「へえ。そういう場合もあるんですね」
テオドアは騎士爵持ちだと先ほど聞いた。騎士爵を得て貴族になったということは、逆に騎士になるまでは貴族ではなかったということだ。
貴族でない者、つまり庶民が王子の召使だったということだろうか。首を傾げるナターシャに、テオドアは軽く説明する。
「私は出身がこの国ではないので。貴族の血は引いていますが、爵位は持っておらず……もともとは殿下が幼い間だけの側仕えとして働く予定でした」
なるほど、テオドアの生い立ちが絡んでいるのなら納得がいく。明らかにシュタイン王国の人々とは違う、おそらく南方の砂漠地帯に暮らす人々の血を色濃く継いでいるであろうテオドアの顔立ちもそういうことなら筋が通っている。
彼の両親か祖父母かもっと上か、家系図にシュタイン王国出身の貴族と砂漠の民が混ざっているのだろう。
「では、王子に仕えつづけるために騎士爵を?」
「はい。明らかな混血である幼い私のことを、大人子どもにかかわらず誰もが冷遇した中、殿下だけは態度を変えなかったので。この方だ、と思ったのです」
「へえ……」
主君のことを熱く語るテオドアに、ナターシャも感心して声を上げる。
「もちろん今はナターシャ様にも感謝しております」
「え、私? ……ですか?」
「はい。ナターシャ様も差別をなさらない方でしょう」
突然話を自分に向けられて、ナターシャは戸惑ってぱちりと瞬きをする。
たしかにしようと思って差別をしたことはないが、それを言うならほとんどのまともな人はそうだろう。
差別をしないひと、という肩書きは自分には重いとナターシャは思う。たまたませずにここまで来た、というだけだ。
「私――というか辺境に暮らす人々が、あまり気にしていないだけ、だと思います。それがふつうと言うか……領主の妹が王族関係者に向かって言うことではありませんが、かつて山脈を越えてやってきた不法移民が、気づいたらこのパルメール領でパートナーを見つけて家庭を築いていることだってあり得ますから」
移民自体を取り締まってきた歴史はあるし、半世紀前までは警備隊を置いて国境を守っていた。しかしそれも完全ではなく、生活の中に知らず知らずのうちに移民や隣国の文化は混ざってくる。
ナターシャにとってはそれがふつうで、何一つ困ったこともない。だからふつうにしていられるだけだ。
「……でも、王都で生まれ育ったひととなると、きっと難しいのでしょうね」
ナターシャが息苦しい貴族社会に馴染めなかったように、貴族社会の中心を生きる人々は必ずしもナターシャと同じようには思えないのだろう。
そう想像して苦々しく呟くと、テオドアは大きく頷いて同意する。
「そう、私もまさしくそのふつうが難しいのだと言おうとしたところです。優秀な第三王子に仕える屈強な騎士、という名声を装備してなお、未だに私の分だけ食器が出てこなかったりしますから」
テオドアは自虐の混ざったような笑みを浮かべる。
そういえば、昨夜ナターシャが雨に濡れた王子とテオドアに対してタオルを差し出したときも、テオドアは「私にまでありがとうございます」と言いながら受け取った。意味がわからず、髪が短いから遠慮したのか、なんてヘンな考察までしたので記憶に残っている。ああいう場面で無視される経験をしすぎてきたのだろう。
「まあ、貴族社会なんてそんなモンですよね。……言ってましたっけ? 私は社交が嫌いで――」
「聞いていませんが、見ていて想像はつきます」
「う。返す言葉もないです……」
一歩間違えば悪口のようなテオドアの言葉も、ナターシャとしては認めるしかない。
しゅんとしてしまったナターシャにテオドアは慌てて言葉をかける。
「しかし、我々と話しているときはそんな風に見えませんよ。社交をきらって旅をしているのだろうと察しただけで、」
「……お気遣いありがとうございます。でもたしかに、お二人は話しやすいですね。余計な裏を疑わなくていいというか」
そもそもこんな山奥まで苦労してやってきている時点で裏も表もない。本当に見たいものや行きたい場所がなければわざわざ初めての旅にこの僻地の山脈を選ばないだろう。
理由が自分の書いた紀行録であることだけはむず痒いが、よい旅をしてもらえたらいいと思って接するのは苦ではない。
もちろん、もっと嫌味なひとたちだったらそんな風にも思っていないだろう。
「それもテオドア様が惹かれたのと同じ、王子のよいところかも――」
ナターシャが褒め言葉を口にしかけたところで、お手洗いに続く扉の開く音がした。ついナターシャは口をつぐむ。
戻ってきたアルバート王子は、あからさまに会話を止めた二人の様子を見て興味津々の様子で席へ歩いてくる。
「何の話をしてたんだい? 私の噂かな」
「ええ。良い噂ですのでどうぞご安心を」
「褒めてくれていたのか。それは嬉しいね」
と言いながらテオドアに詳細を話す気はないらしい。信頼関係を築けていたとしても、面と向かって言うには照れくさいこともあるだろう。
他人事のようにそう思っていると、アルバート王子はナターシャの方を見る。
「君も褒めてくれていたのかい?」
「い、いえ。まだ何も――」
「まだ?」
しまった、口を滑らせた。ナターシャは冷や汗をかく。
いや別に褒めていたとバレたってかまわないのだが、まだよく知りもしないのに評価しようとしたこと自体が恥ずかしい。
目を泳がせるナターシャと対照的に、アルバート王子はニコニコを通り越してニヤニヤしている。
その様子を見て、テオドアが小さく声を上げて笑う。
「ナターシャ様の言うとおり、まだ、でしたよ。殿下の戻りがもう少し遅ければ聞けていたのですが……」
わざとらしく残念そうにテオドアがそう言うと、アルバート王子は頬をむくれさせた。
「これでも君たちを待たせないよう急いで戻ったのだけど」
席に戻って用意されていたハーブティーを飲んで、アルバート王子は息を吐く。
「まあいいよ。いつか聞かせてもらうさ」
ナターシャの目を見て、王子は目を細めて笑った。




