18.少し残酷な気もするね
店主が提供してくれたとっておき、月見ウサギのシチューの入った鍋が、食欲をそそる香りを放ちながらほかほかと湯気を立てている。
誰かの腹の虫が鳴いたのを聞いて、店主はにかりと笑った。
「さ、冷める前に食べておくれ」
店主はそれぞれに深皿を配り、お玉も持ってきてくれる。テオドアが自然にそれを受け取り、流れるような手際のよさで均等にシチューを取り分けた。
具だくさんの大鍋のシチューは、取り分けてなお鍋に残っている。食べ放題だ、とアルバート王子が上機嫌につぶやいた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
礼を言って、テオドアがよそってくれたお皿を受け取る。デミグラスソースの茶色が、店内の暖色の明かりを浴びておいしそうにてらりと光る。
三人で口々にいただきますを言って、スプーンに手を伸ばす。
ナターシャは、まず具材を避けてルウだけをすくう。湯気を立てているソースに息を吹きかけて冷まし、口をつけた。
肉と野菜の味がしみだした濃厚なソースは、おそらく赤ワインも入っていて深みがある。とろみはつなぎとなる粉を入れてつけたものではなく、長時間煮込むことで溶けたタマネギとともにソースが煮詰まってついたものだろう。
どろりと濃いのに口に嫌な味が残らないのは、すべて食材由来の味だからだろう。それにもちろん、月見ウサギのクセのない味のおかげでもある。
「月見ウサギ……浅学ながら、私は初めて聞きました」
うきうきで食べ進めようとするナターシャに対して、テオドアはスプーンに乗った大きな肉の一切れを見つめている。
アルバート王子はスプーンを手にもせず、ニコニコと他二人の様子を眺めているだけだ。
(……毒味待ち、かしら)
ナターシャは旅先で一人で初めてのものを食べるのに慣れきっているが、それはナターシャが貴族とはいえ何の実権も持たない、ただの辺境伯令嬢だからだ。王子という立場ではそうも行かないだろう。
本来は、テオドアも毒味役ではないのだろうとナターシャは予想する。知らない飲食店の未知の食材を食べることは、ふつうの貴族にとっては難しいことだ。
ナターシャは、心配ないことを証明するために自分からウサギの肉を口に放り込む。
「おいしいですよ、月見ウサギ。ほら、口に入れたひゅんかん、へんいがほろほおと……」
口に入れた瞬間繊維がほろほろとほぐれていきます――と言いたかったのだが、本当に口に入れてしまったせいでうまく話せない。
月見ウサギの肉は繊維質なのだがけして固くなく、噛めば噛むほど中から肉汁があふれだしてくる。手で口元を隠しながら、熱々の肉汁で舌を焼かないようにはふはふと息をした。
「ふふ、おいしそうに食べるね」
アルバート王子にくすくすと笑われたが、美味しいのは事実だ。ええ、と頷いて軽く流し、次の一口をスプーンにすくう。
「では、私も……」
おずおずとテオドアもウサギ肉を口に運ぶ。一際大きな塊肉を豪快に一口でいったらしい。頬を膨らませながら、彼は目を丸くした。顔の彫りが深いので表情が大きく見えて、ナターシャよりよほど美味しそうに食べているように思う。
テオドアがじっくりと口の中の肉の味を楽しみ、飲み込むのを見届ける。そこで初めてアルバート王子もスプーンを手に取った。
ナターシャの食べ方にならってか、アルバート王子も最初はソースだけを味わう。おそらくこの三人の中で一番舌が肥えているだろう彼だが、その濃厚なソースの味に思わず唸った。
「うん! これは素晴らしいな。お肉の旨みももちろんだけれど、ハーブとワインが絶妙なハーモニーを作っている」
続いて丸ごと入った小芋をスプーンで割って、一口大にして口に運ぶ。
美味しそうに食べ始めたのを見て、ナターシャは安心して目線を自分の皿に戻した。
先ほど一つ勢いで食べてしまったが、皿の中にはまだまだ肉が残っている。それに、彩りの考えられた野菜たちも具だくさんだ。柔らかくなるまで煮込まれた小芋とニンジン、それから半透明になったこれはラディッシュだろうか。
散りばめられた緑豆と、絡んだルウと一緒にラディッシュを食べてみる。
「んー、これもなかなか……!」
ラディッシュの優しい甘みがシチュー自体の味と合わさって、口の中で奥深い味になる。実がとろりと舌に絡んで、次の一口までコク深さが継続していた。
外はプチプチ、中はホクホクの緑豆も食感が楽しくて、ついつい舌で追いかけてしまう。
肉だけでなく、野菜もこのあたりで採れたものを使っているはずだ。店主が作っているものもあれば、近くの農家から仕入れたものもあるだろうが、どれも一級品の美味しさだ。
都市部では食べることのできない、採れたての新鮮な野菜の旨みがふんだんに活かされている。
ナターシャたちはほとんど会話もせず、シチューを食べ進める。口々に味の感想をつぶやくことはあるが、みなが食事に夢中でなかなか会話まで発展しなかった。
最初に皿を空にしたのはテオドアだった。続いてアルバート王子、最後にナターシャがよそわれた分を食べ終わる。
具材の多さのおかげですでにかなり満足感があるが、鍋の中身はまだ残っている。
そこに、見計らったタイミングで店主がやってくる。その手には焼きたての大きなバゲットが3つ入ったカゴを持っていた。
「わあ、最高……!」
ナターシャは喜び勇んでそのカゴを受け取り、バゲットを1つ自分のお皿に取り分ける。お玉で鍋からすくったシチューを器用にバゲットの上にかけると、アルバート王子とテオドアもそれにならった。
最高のシチューのおとも、〆のシチューパンである。
「つけるんじゃなくてかけるんだね。見るからに美味しそうだ!」
いただきます、と食前にもした挨拶を繰り返してアルバート王子もシチューパンを口に運ぶ。バゲットの毒味はいいのか、と思ったがテオドアはとっくに一口目どころか二口目まで食べていた。
〆ともなれば余裕が出てきて、会話が弾む。三人で料理を絶賛する中、そろそろ食べ終わるというころにテオドアが言いにくそうに呟いた。
「幼いころ、ウサギを家で飼っていたのですが……月見ウサギとは、どんな動物なのでしょう?」
う、とナターシャも思わず言葉に詰まる。答えづらい質問だ。
しかし、このあたりで育ってきたナターシャの方がアルバート王子よりも詳しいのは間違いないだろう。
ナターシャは目を逸らしつつも、できるだけ淡々と答える。
「月見ウサギは、額に小さなツノがあって、クリーム色の体毛を持つウサギです。体は小さいですが、ふつうの……ペットのウサギよりは大きいくらい、でしょうか」
「つまり、大きさとツノの有無以外は――」
「……」
そんなことを言われても答えようがない。しかし無言は肯定とよく言うし、テオドアにもそれはわかっているだろう。
真理に至ろうとしているテオドアに、アルバート王子が声をかける。助け船を期待してナターシャも王子の方を見た。
「君が昔の話をするのは珍しいね」
「はい。頭の片隅にもない他愛ない思い出でしたが、月見ウサギのシチュー、と聞いてふと思い出したのです」
いい感じに話が変わった、とナターシャは一瞬安堵する。
しかし、アルバート王子はニコニコとした笑顔で追い打ちをかけた。
「過去の小さな思い出が浮かんでくるのは素敵なことだけれど……食べて思い出すというのは、少し残酷な気もするね」
「どうしてそんな率直に……」
ナターシャの小さな抗議の声は、拾われることなく消えていった。
食レポ回。
料理が大鍋で出てきたのは毒味の手間を減らすためで、元王都騎士である店主の計らいです。




