16.《木こりの暖炉》
雪割邸から、歩くこと約2時間。
歩きっぱなしではなく合間合間に休憩を挟んでいたとはいえ、かなりの距離を歩いた。それも、都市の舗装された道とは違って凹凸だらけの剥き出しの地面だ。
普段は使わない筋肉を使って、アルバート王子もテオドアも顔に疲労の色を浮かべている。山道を歩き慣れているナターシャもそれなりに疲れてきていた。
「ほら、見えてきましたよ」
後ろを歩く疲れ切った二人を励ますため、ナターシャは明るい声を心がけて言う。
アルバート王子が、安心したように長い息を吐くのが聞こえた。
先ほどまで木々の緑しか見えなかった視界が突然開ける。森を抜けた先に、昔ながらの一軒家が立ち並ぶ集落の様子が見えてきた。
自然の中に広がる豊かな土地を分け合うように、それぞれの家が大きな畑を持っている。栽培しているものは家によって違うので、道を挟んで多様な野菜や果物の育つ様子を観察できる。
道の左右を眺めて農村の雰囲気を満喫するナターシャを見て、つられてアルバート王子もきょろきょろと辺りを見渡す。
コウゲンベリーを栽培している畑を見て、興味深そうにまじまじと見つめていた。ベリーが好きなのだろうか。
「……お言葉ですが、あまり広がって歩かない方がよろしいのでは」
周りの景色に興味津々で、思うままに自分の見たいものに近づきながらフラフラ歩くアルバート王子とナターシャに、一人だけ道の真ん中を外れずまっすぐ歩き続けているテオドアが苦言を呈した。
ナターシャは浮かれていた自分が恥ずかしくなってすぐに道の真ん中に戻り、テオドアの横をまっすぐ歩く。
しかし、アルバート王子はそれ以上に好奇心が抑えられなかったらしい。右へ行ったり左へ行ったりふらふらしている。
「まあ、この場所なら大丈夫でしょうか……」
心配そうにそわそわしながら、テオドアはアルバート王子の様子を見守っている。
付き人として王子のことが気にかかるのはわかるが、あまり口を出しすぎては過保護というものだろう。
ナターシャは呆れた声で言う。
「田んぼに落ちたりしない限り心配いらないでしょう」
「そういうときに落ちる方なんですよ、殿下は」
テオドアは声をひそめて嫌そうな顔をして言った。
しかし、小声でも聞こえてしまったらしくアルバート王子が振り返る。
「人聞きの悪いことを言わないでおくれよ、それもナターシャ嬢の前で!」
ぷんぷんと効果音がつきそうなほど、眉を上げて唇を尖らせて怒る。つまり本気で怒っているのではなく、じゃれ合いのようなものなのだろう。
ナターシャはそんな二人の様子を見てうっすら笑みを浮かべる。
「お二人はずいぶん息の合った主従ですね」
「そうかな」
「そうでしょうか」
二人とも同じようなことを言いながら、互いに顔を見合わせている。
そういうところが息の合った二人だと思う理由なのだが、彼らは無自覚らしい。
そんな他愛もない話をしながら歩くこと数分、村の中心部で一際目立っていた、大きな煙突のある三角屋根の建物に辿りついた。
木造で雰囲気のあるコテージのようなその建物の玄関口には、《木こりの暖炉》と看板がかかっている。
「さて、到着です」
店名の通り、木こりである店主が営む暖かな憩いの場である。
建物自体も店主が山でとってきた木を材料に自ら建てたものだという。味のある木製のドアノブに手をかけ、重いドアを勢いをつけて開ける。
店内から、暖かいオレンジ色の光がナターシャたちを出迎えた。
「おや……珍しいお客さんだねぇ」
店内にはお客さんはおらず、木を切り出して作られたテーブルが二つ、ドカンと置かれているだけだった。
その奥の調理場で作業台に腰掛けてタバコを吸っていたおじさんが、ナターシャたちを見てふさふさの眉を上げた。
「……ドワーフのようなひとだね」
アルバート王子がナターシャの後ろで小声で言った。的確なその表現に笑いそうになるのをこらえながら、ナターシャは店主と話す。
「お久しぶりです、おじ様。今日は……友人を、連れてきたのですが。準備中でしょうか?」
友人、と言うのをかなり躊躇したが、経緯を長々と話すよりは嘘でも一言にまとめたほうが話が早いだろう。
何か言われるかと思ったが、後ろにいる友人たち――アルバート王子もテオドアも特に何も言わず、なんだか不審そうな顔をしていた。
やっぱり友人呼びはダメだっただろうか。
そんな心配をよそに店主は歯を見せて豪快に笑った。
「おぉ、それはますます珍しい! 御客人、どうぞこちらへ。俺が独り占めするつもりだった大物があるんだ、ちょっと時間はかかるが出してやるよ」
「えっ?」
予想外の展開に、ナターシャは驚きの声を上げる。
しかし店主は上機嫌にテーブルの上を拭き、木の椅子にふかふかのクッションを敷いてアルバート王子とテオドアを手招く。
もちろんクッションは3つ目の椅子にも敷いてくれたが、まるでついでと言わんばかりの様子である。
「ありがとう」
アルバート王子が笑顔で礼を言って席につく。テオドアはその隣に立って、驚きで固まったままのナターシャを不思議そうに見た。
「ナターシャ嬢?」
王子にそう呼ばれて我に返る。慌てて二人の向かいの席につくと、テオドアも着席した。
ナターシャたちがみな席についたのを見届けて、店主は厨房へと引っ込んでいく。
「聞いていた印象とかなり違うけど……それに驚いていたのかい?」
厨房にいる店主に聞こえないよう、アルバート王子が小声で尋ねる。
ナターシャは頷き、同じく声をひそめて答えた。
「いつもはもっと無愛想で、食事の用意がなければすぐに追い返されるし、自分から客に椅子の用意をするなんてありえないことです。やはり一国の王子を相手にすると違うんでしょうか?」
小声ではあるがつい言葉にトゲが混ざる。媚びない態度が当たり前だったくせに、王子のことは喜んでもてなす店主を見て複雑な気持ちなのだ。
外面はいいのね、と文句を続けようとするナターシャの言葉にかぶせて、テオドアが尋ねる。
「それを言うなら、ナターシャ様もかなりの身分では?」
「……まあ、そうですが。でも私は――」
「親戚の娘、みたいなモンだからなァ」
ナターシャの頭上から店主の声が降ってくる。
店主は、三人分の木椀とお茶の入った銀のピッチャーをテーブルに運んできてくれたところだった。手際よくそれらを配り終え、空いた手をナターシャの肩に置く。
「娘というか孫か? まあ、なんでもいいが」
「……孫ならますます、優しくしてくださいよ」
店主からの荒いスキンシップに、ナターシャはよりいっそう顔をむくれさせた。
無事、秘境の名店に到着したナターシャたち。ナターシャと《木こりの暖炉》の店主には、『紀行録』には書いていない特別な関係性があるようです。
次回はご飯回なので、腹ぺこで見ないようご注意ください(*´ 艸`)




