15.雨上がりの山道
朝7時。
ナターシャは昨日同様リュックを背負い、靴を履き替えた。
玄関に座り込んでブーツの紐を結んでいると、同じく準備を終えたアルバート王子とテオドアも玄関にやってくる。
王子たちの荷物は昨日よりかなり小さくなっている。長距離を歩くことになりそうなので、ナターシャがそう助言したのだ。
衣類や野営道具など泊まりのために持ってきた多くの道具を雪割邸に置いていくことになった。
身軽かつ確実な装備を整えて、外へ出る。
地面の土はまだ昨日の雨を残してしっとりと湿っているが、足を取られるほどではない。
このぶんなら、休憩の時間を考えても、昼前には目的地である集落に着けるだろう。
一行は穏やかな雪割邸を発ち、ふたたび山奥へ向かう。
今日の最初の目的地は、料理店《木こりの暖炉》。ナターシャの行きつけの店であり、アルバート王子のリクエストで向かうことが決まった。
昨日訪れたムルデ湖からさらに北に進んだところにある、小さな山村にその店はある。人口は多くないが、農業や狩猟を営む人がたくましく暮らす、活気のある村だ。
村までは一つ山を越えないと辿り着けない。村民たちが踏みしめただけの、整備されていない山道をナターシャたちも辿る。
昨晩の雨か朝露か、濡れた木々の葉が太陽の光を反射してきらきらと光っている。
青々と茂る葉っぱたちは道のほうまでせり出してきているものだから、歩いただけで肩が触れて水滴が跳ねる。
「この景色が見られるのなら、旅先での雨もあながちハズレじゃないかもしれないね」
そう言ってアルバート王子は指先で目の前の木の葉をつつく。
彼の言うとおり、雨上がりの山道は綺麗だ。木漏れ日を浴びて自分たちまで輝いている気がする……というか事実、アルバート王子の金の髪なんか眩しくてしかたないくらいだ。
先導するナターシャは振り返り、王子の言葉に賛同する。
「そうポジティブに捉えてもらえると助かります。台無しになってしまったと悲観して、旅も嫌いになってしまわれては悲しいですから」
「うん。ポジティブでいられるのは、君の考え方にいつも接してきたからだと思うよ」
「……そうですか……」
当たり前のように自分への褒め言葉が返ってきて、ナターシャは言葉に詰まる。
ナターシャの書く紀行録をアルバート王子が気に入ってくれているのは喜ばしいことだ。
しかし、ただでさえ褒められ慣れていないところに、王子はまっすぐに賞賛を送ってくる。
喜んだり照れたりする以前に、その包み隠さない好意に驚き、戸惑ってしまうのは、出会って2日でもう何度目だろうか。
微妙な返事のせいで生まれた微妙な空気を払拭するため、ナターシャは話題を変える。これも何度目かのことである。
「そんなことより……無事、昼食にありつけるといいのですが」
「嫌なことを言いますね……」
ナターシャの言葉に思い切り顔をしかめるのはテオドアだ。
彼は先ほどから大きな体で窮屈そうにアルバート王子の後ろをついてきている。
歩きづらい山道をがんばって歩いてくれている彼らに美味しいものを紹介したいのは山々なのだが、こればかりはナターシャの一存ではどうにもならない。
「ありつけなかった経験があるのかい?」
肩をすくめて聞くアルバート王子に、ナターシャは黙って頷いた。
今から向かう《木こりの暖炉》はナターシャ行きつけの料理店である。しかし正直、ナターシャもまだうまく攻略法を掴めていない。
外からやってくる客に向けた観光地の飲食店とは違って、《木こりの暖炉》はあくまで村に住む人々のための憩いの場だ。
ゆえに、来訪者であるナターシャを邪険にすることもないが、へりくだってもてなすこともない。
材料がなかったり席が空いていなかったりしたら当然、追い返される。
領主一家の令嬢であるナターシャに対してそうなのだから、王子がいたとてその態度は変わらないだろう。……変わったらちょっと悔しいかもしれない。別に自分の身分にこだわりはないが。
そんな《木こりの暖炉》の特徴を説明しながら、昨日も歩いた道を辿っていく。自然と話題は食事のことへと移っていく。
「確か、ジビエ料理が食べられるのだったね。君が食べていた鹿肉のシチューは文字だけで美味しそうだったよ」
「はい、ぜひ食べてほしいものです。山でしか食べられない味わいだと思いますよ」
「それは楽しみだ。ありつけることを信じて、がんばって歩くよ」
「確かに、まずは現地に辿り着くところからですね」
店に入れるかどうかの話をしていたが、そもそもナターシャたちの現在地から《木こりの暖炉》まではかなり歩く。
山に慣れていないアルバート王子を置いていってしまうことがないよう、ペース配分も気にしなければならないだろう。
なんとなく、幼いナターシャを連れて旅をしていた父はこんな気持ちだっただろうかと思う。
もちろん子どもの頃のナターシャと今の王子を一緒にしては失礼だろうが、誰かに旅を教えるとはこんなにそわそわするものか。
責任感と緊張を覚えながら、ナターシャは歩き慣れた道を先導していくのだった。




