13.味気ない絶品の干し肉
木椀によそったスープが、ほこほこと湯気を立てている。
干し肉の香ばしい匂いがあたりをただよう。
干し肉と乾飯をお湯に入れて煮ただけの簡素な一品だ。リゾットと呼べるほど上等ではないし、そもそもそんなに米が入っていない。お粥というのも違うだろう。
つまり味気ない携帯食なのだが、三人はそれぞれ自分の分を持っていそいそと食卓についた。
いただきます、と手を合わせて木椀に手をつける。
「うん、食事というのは自分で作るとさらにおいしいね!」
ニコニコと目を細めて笑いながらアルバート王子はそう言って干し肉をかじる。
彼がしたのは火起こしと、鍋の中をぐるぐるとかき混ぜるだけのことだが、第三王子ともなればそれすら初めての経験だったらしい。
嬉しそうなアルバート王子を横目に、ナターシャもあたたかいスープを飲む。
薄味のスープだが、悪くない。
旅先で人とこうして食事をするのは父と旅をしていた頃以来だ。食堂に行けば人と食卓を囲むこともあるが、少なくとも干し肉なんて久しく一人で栄養補給として義務的にかじるだけだった。
それと比べれば、今日の食事は何万倍もおいしく感じる。
「……これがおいしいとは、さすがに共感できません」
テオドアだけがポツリとそうぼやいた。ナターシャが言うのもなんだが、テオドアが唯一の常識人らしい。
「明日以降はどうされるんです?」
干し肉から出た薄味の出汁をかろうじて堪能しながら、ナターシャはアルバート王子に尋ねる。
今夜ここにいる時点で、おそらく彼らの旅程は大幅に後ろにずれている。本来はもっと山奥の集落近くで野営をする予定だったはずだ。
「迎えが来るのが3日後の朝だから……明後日の夜までには下山して、海の近くで野宿するつもりだけれど。旅の道順はかなり崩れてしまったね」
顎に手を当て、神妙な表情でアルバート王子は考え込む。ナターシャは一瞬悩んだが、おそるおそる尋ねる。
「ちなみに、どこに行くつもりだったんですか?」
湖のそばで話したときにはバッサリと案内を断ったナターシャだが、この一晩でアルバート王子に情が湧いていた。というか、少なくともこの旅を彼らが無事に終えるまで、放っておいてはいけない気がしてきている。
「《木こりの暖炉》で食事をするつもりだったよ。それからコンコルド渓谷を見に行きたいし、君の書いていた雪解け水の渓流も見たいな。グラドゥーシャの花の群生地にも行きたかったけれど、時間がなければ諦めようかと思っていたところだ。ムルデ湖のそばで花畑は見たのだし」
「なるほど」
当然、アルバート王子があげるのはすべて『旅好き娘の気まま紀行録』で紹介した記憶のある場所だ。
絶景の名所として記したコンコルド渓谷とグラドゥーシャ畑はともかく、”雪解け水の渓流”なんて名前も再現性もないたまたま見かけた水の流れまで把握しているのは、あまりに熱心すぎるファンだという気がするが。
ナターシャは、脳内にざっくりとした周辺の地図を思い浮かべる。
アルバート王子の希望を叶えるルートを考えるが、確かに2日間で全て巡るのは難しいかもしれない。ナターシャが一人で動くならともかく、アルバート王子とテオドアはこれが初めての旅である。移動速度も必要な休憩の量も、旅慣れたナターシャとは違う。
「グラドゥーシャよりも、雪解け水を諦める方がいいかもしれません。必ず見られる場所が決まっているわけではないし、何より雨の後なので。見られたとして、残念ながら水が濁ってしまっていてそこまで感動的ではないと思います」
「そうか……名残惜しいけど、確かにそうだね」
「明日の朝時点で雨が止んでいれば、昼までに《木こりの暖炉》には着けるでしょう。ただ、あそこはすぐに食事が出てくるとは限らないので……一旦顔を見せたうえで、渓谷、いえグラドゥーシャ――」
ナターシャはそう言って考え込む。途中からはアルバート王子に向けて話しているのではなく、ただの独り言だ。やがて黙り込み、干し肉の最後の一切れを口に放って、咀嚼しながら考えつづける。硬い干し肉をすべて噛み切って飲み込んでから、やっとナターシャは口を開いた。
「まあ、行ってみて考えましょうか。すべては《木こりの暖炉》の店主のみ知る、ということで」
つまり何の結論も出ていないのだが、アルバート王子は嬉しそうに頷く。
ナターシャが怪訝そうに眉をひそめたのを見て、彼は笑って言った。
「同行してくれるということでいいのだよね? とっても嬉しいよ」
言葉通りにニコニコしているアルバート王子の笑顔はいやに眩しい。大前提彼の容姿は美しいのだが、それだけではない……全力で嬉しさを示すように、表情からキラキラしている。
それが自分に向けられたものだと思うと信じられないし、ひたすら気が引けるのだが。
「ここまで来れば何かの縁でしょう。さすがに放り出しはしませんよ」
ナターシャはできるだけ平静を装って答える。否定するのも失礼というか、否定したところで『旅好き娘』のよいところを語りはじめそうというか。
別にアルバート王子自体、嫌なやつでないことはわかる。自分の作品の熱狂的ファンであることを除けば旅の同行者として何の問題もないし、誰かと旅の時間をともにできるのはナターシャとしても嬉しいことだ。
それ以上でもそれ以下でもない、と自分の中で結論づけて、ナターシャはこの旅を王子たちとともにすることに決めた。
そんなナターシャの答えを聞いて、アルバート王子はより一層笑顔の輝きを強める。
「ありがとう。本当に光栄だよ、あの“旅好き娘”と旅ができるなんて! ああ、スープもますますおいしく感じる。今まで食べた干し肉の中で一番の味だ!」
そう大げさに感嘆するアルバート王子を横目に。
「干し肉なんて今まで食べたことないでしょう……」
それまで黙って話を聞いていたテオドアが、ぼそりとツッコミを入れた。
ここで長かった春の旅初日、ふたりの出会いの日が終わりました。
これから先のふたりにとって……少なくともアルバートにとって、この一日は忘れたくない大切な思い出になることでしょう。ナターシャは何にも思っていなさそうですが。




