12.王子の調理実習
「さて! 今日の夕食は何にしようかな?」
キッチンの真ん中、どこからか持ち出してきたエプロンを身につけて仁王立ちしながら、満面の笑みでアルバート王子は言う。
その顔はこれでもかと言うほどキラキラ輝いていた。
雪割邸のキッチンはそこまで広くない。もちろん一般家庭のキッチンよりは広いのだろうが、大勢の使用人や料理人がひしめくようなことは想定されていないサイズ感だ。
ナターシャたちが三人で作業するとなると、場所を分けないと少し窮屈だ。
幸いかまどのあるメインの調理台とは別にいくつか机が置かれているので、いたるところに用意した食料や調理器具を広げている。
その中心でひときわ楽しそうなのがアルバート王子だ。
王族が自ら厨房に立つ経験など日常生活ではありえないのだろう。王子は新たな遊び場を見つけた子どものようにうきうきしていた。
ナターシャにもその気持ちはわからなくないが、残念ながらここは旅先の仮の宿。作り甲斐のある美味しい料理が作れるような用意はない。
はしゃぐアルバート王子を見ていたずら心が芽生えたナターシャは、彼の前にそっと食材を差し出す。
「ええ、一体何を作りましょうね?」
キッチン机の上に置いたのは乾飯のパック、ラップに包まれた干し肉、缶詰の乾パン、乾麺、スパム。どれもアルバート王子たちの荷物の中に入っていたものだ。王室御用達品なので品質には信頼がおけるが、調理と言う調理ができるものでもない。
アルバート王子はムッと唇を尖らせた。
「意地悪を言わないでおくれよ」
「だって張り切っているのがおかしくて」
くすくす笑いながらそう言うとアルバート王子は目を丸くして黙ってしまった。
少し馴れ馴れしかっただろうか。ナターシャは態度を改めるべくコホン、と咳払いをする。
「お二人の主食の好みはいかがです? 個人的には、乾パンがあまり好きではないのですが」
「旅慣れていてもそういうものですか……私は合わせますよ」
ナターシャの質問にまずテオドアが答える。王子のそばに仕える立場として、予想通りの答えである。
続いて、アルバート王子は目の前に置かれた食材の中から乾飯を手に取った。
「それじゃあこれがいいかな。腹持ちがよさそうだし、何より興味がある」
つまり、食べたことのない乾飯を食べてみたいということだろう。
好奇心に満ち溢れたキラキラした瞳で、アルバート王子はナターシャに教えを乞う。
「どう調理したら美味しく食べられるだろうか。お湯でもどすのかな?」
「そうですね。では……干し肉と一緒にお粥風のスープにするのはどうでしょう。ただのお湯でほぐすより、肉の出汁が出て美味しくなるかと」
「出汁の味を活かすんだね。うん、かなり料理らしい。それにしよう!」
アルバート王子は楽しそうにそう言って、エプロンのひもを後ろ手にくくりなおしている。ちらりと見えた結び目はとんでもなく下手くそだ。
ナターシャの中で、完全無欠の万能王子様と聞いていたアルバートの評価が崩れつつあった。それがいいことか悪いことかはさておき。
心配になりながら、料理する気満々の彼に火起こし用のファイアリザードの爪を手渡す。
「そこの薪にこれで火をつけます。まずワラに火花を移して種火にするといいですよ」
気分は遠足の引率をする先生だ。ふたりでかまどのそばに移動する。ナターシャは鍋を用意し、料理を始める準備をした。
万全のお膳立てのもと、アルバート王子は二つのファイアリザードの爪をおっかなびっくりぶつけ合わせる。ぱちり、と火花が散った。
「む、うまく火が移らないな」
「もっと至近距離のほうがやりやすいですよ。一気に燃えることはないので、怖がらなくて大丈夫です」
ナターシャの助言をもとにして、アルバート王子はもう一度挑戦する。今度こそ火花が藁のほうに移った。
ぷすぷすと燃えはじめる小さな火を、薪の下まで棒でつついて落とす。薪の隙間にあおいで空気を吹き込むと、だんだん火が大きくなる。
おお、と達成感に満ちた声を上げるアルバート王子。日常で火を使うことはほとんどないであろう、その表情は輝いている。
ナターシャも内心ほっこりとした気持ちを抱きながら、てきぱきと次の作業に移る。
大鍋に水を注いで、王子が起こしてくれた火にかけた。
「あとは干し肉の準備ですね。お湯が沸くのを待つ間に、塊肉をスライスしましょう」
そう提案すると、今まで王子の挑戦の陰で手持ち無沙汰になっていたテオドアが一歩前に進み出る。
「それは私がやりましょう」
「おや、そうですか。では、まな板を用意しますのでこちらでお願いします」
「仕事を取られたな……」
突然、率先して動き出したテオドアの様子に、アルバート王子は眉をひそめている。たしかにナターシャにも、刃物を扱わせたくないのか、肉を切らせたくないからなのかわからないが、とにかくアルバート王子にやらせたくなくて反応したように見えた。
付き人として譲れないところがあるのだろう。
不服そうに口をとがらせているアルバート王子をスルーして、テオドアはまな板に向かう。
そして小さな包丁で干し肉を包むラップの封を開け、塊肉を削ぐように刻み始めた。
やることがなくなったアルバート王子は、テオドアの作業を横から覗きこみつつもナターシャに話しかける。
「干し肉って初めて食べるな。やはり風味は落ちるものかい?」
「本来の肉の味が落ちるというよりは、ほとんど塩味で打ち消されるような感覚でしょうか。保存料として、大量の塩を揉み込んで作るので」
「へえ、塩辛いのか」
「だからスープにして食べるのがいいかと思って。塩味だけのスープが味気ないことには変わりありませんが」
そう話しているうちに、テオドアが干し肉を切り終える。
ちょうど鍋のお湯も沸騰してきた。
アルバート王子が意気揚々と乾飯のパッケージを開けて、細く刻まれた干し肉と一緒にお湯の中へ投下する。
「美味しくなれよ、っと! あとは煮込めば完成かな?」
「はい」
ぽこぽこと煮立つ鍋の中に、細い米と薄切りの肉が沈んでいく。
米が鍋の底で焦げつかないようにかき混ぜながら、ひと煮立ちさせれば食べられるだろう。
アルバート王子に木べらを渡して、中身をかき混ぜてもらう。上機嫌に鍋の中身の世話をする王子と違って、テオドアは淡々としていた。
「しかし、これだけでは寂しいですね。野菜があるとよかったのですが」
お世辞にも彩りがいいとは言えない鍋の中身を覗き込んでテオドアが呟いた。
これでもナターシャの普段の食事に比べればまだ料理らしい料理だが、そんなことを彼らに言ってもしかたないだろう。
「……山菜採りなんかも楽しいですよ」
この天気では叶わないことだが、悪あがきにナターシャはそう主張する。
せっかく初めての旅なのだから、帰るまでには彼らにもっと美味しいものを紹介したい。
そう考えながら、ナターシャはスープができるのを待った。




