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1.『旅好き娘の気まま紀行録第10巻』あとがき

 私が旅を好きになったのは、まだ小さな子どもだったころだ。

 

 自然あふれるこのパルメール領に生まれた私は、物心もつかないほど幼いころから山の中を駆け回っていた。川や海で泳ぐこともあったし、砂浜を大きなキャンバスにして絵を描いたり城を作ったりしたものだ。

 だけど明確に、まだ見たことのない世界を旅するあの高揚を初めて味わったのは、私が7歳になったばかりの冬だったと覚えている。

 

 同じく旅好きだった父から、とっておきの場所があると案内された。広大なパルメール領の端、父の持つ別邸に前泊して準備を整え、早朝から山を登る。もちろんワクワクもしていたけれど、朝早くから無理やり起こされて寒い中を歩かされ、父から見ればあまり私は機嫌が良くなかったらしい。

 だからこそ、感動が倍増したのだろう。

「もうすぐ着くぞ」

 私のペースに合わせて少し後ろをゆっくり登っていた父がそう言って、私は残った力を振り絞って山道を駆け上がった。転ぶなよ、という父の声が聞こえて、返事をしようと開いた口がそのまま固まったのを覚えている。

 

 目に飛び込んできたのは、銀雪の花畑。

 花畑に雪が積もっていたのではない。間違いなく、そこには雪の花が咲いていたのだ。


 ――というのは、私の紀行録の愛読者ならよく知っている話かもしれない。私のデビュー作にはこの日のことが絵と手書きの文章でありのままに綴られている……どこの国に7歳の娘の絵日記が気に入ったからと言ってそのまま出版してしまう親がいるのか? 買う側も買う側である。買わされたのであれば同情するが。


 と、まあそんなことはさておき。とにかく私は7歳にして絶景に魅入られ、旅の楽しみを知ったのだ。

 小高い山の頂上から見下ろす、山間部のカルデラ湖。薄い氷の張った水面に、白いきらきらとした結晶が無数に広がっている。花のように見えたそれは氷の結晶である。地面に霜が降りているのは見たことがあったが、似ているようで全く違う。ひとつひとつの結晶が重なり合いながら、大きく膨らんで水面から立ち上がっているのだ。それも広大な湖面を埋め尽くしていた。結晶はさまざまな角度に光を反射して、キラキラと輝く。

 私がその日見たのは、フロストフラワーと呼ばれる現象だ。冬の早朝、風の凪いだ水面にだけ咲く雪の花。凍った水面から少しずつ蒸発する水蒸気が、空中で連なりながら凍って、きらめく白い結晶を構成するらしい。いろんな条件が揃わないと見られない光景だと熱弁する父の話を、私は上の空で聞いていた。


 それから私は季節が変わるたびに父に絶景をせびる、非常にワガママな子どもになってしまった。

 とはいえ父の撒いた種である。父も嬉しそうに私を各地に連れまわしてくれた。たくさんの旅の感動を忘れないために……それに、父が喜んでくれるのが嬉しくて、毎回絵日記を描いた。そのうち絵がうまくなって、感動を表現する言葉もたくさん覚えて、「子どもの絵日記」が「スケッチ付きの紀行録」と呼べるくらいの出来になってきたころ、父が勝手に私の絵日記を製本し、出版していたことを知った。


 先ほども言った通り、父の親バカぶりには呆れているけれど……感謝もしている。

 

 こうして今も私は旅を続けていて、読者諸君に旅について聞いてもらって、一緒に楽しんでもらえている。

 パルメール領をはじめとして、私が旅したさまざまな土地の人々に読んでもらえているのはもちろん、貴族の方々からもときどき感想が届く。それこそ最初は父に「うちのカワイイ娘が書いた傑作だ」なんて押し売りされたのかもしれないが……この自然美しき国に暮らすたくさんの人たちに、旅の楽しさを伝えられる機会をいただけているのは本当に幸せなことだ。

 

 いつか私は、この国の素晴らしいところを全部この足で歩いて、全部紀行録に記そうと思っている。

 何冊の本になるのかわからないし、そのころ私が何歳かもわからない。一生をかけて果たすべき使命、というのは大げさかもしれないけれど。でも私はきっと、死ぬまで旅をしているのだろう。愛すべき父のように。

 それから読者の皆様においては、もし私の旅の話で心が躍ったら、次はあなたも旅をしてみてほしいというのが本音だ。自然観光の旅が、辺境の町々の助けになることもある。もちろん、遠出をするのは必須じゃない。いつも通らない道を通ったらそれが一つの旅である。

 

 この世界中にあふれるまだ知らない魅力に、ひとつでも多く皆様が触れられますように。

 

 第4巻までは父が勝手に出した絵日記集だった『旅好き娘の気まま紀行録』シリーズも、とうとう第10巻の大台に乗った。

 父と、そしてこれまで世界中を旅し、切り開いてきたすべての先人たちへの敬意とともに、私の旅を楽しんでもらえていたら幸いである。


 ――旅好き娘 ナターシャ・パルメール


 

   *   *   *


 

 ――コンコンコン。

 規則正しいノックの音に、男は手の中の本から顔を上げる。耳にかけた金の髪がはらり、と落ち、薄暗い部屋を照らす読書灯の光を反射した。

 

「どうぞ?」

「失礼いたします」

 

 扉を開けたのは体格のいい黒髪短髪の男だ。スポーツ系の見た目に反して彼は落ち着いた低い声で言う。

 

「アルバート殿下、御父上がお呼びです」

「おや、この間打診した件かな? すぐに向かおう!」

 

 アルバート殿下、と呼ばれた男は勢いよく椅子から立ち上がった。緩やかにウェーブする金髪と透き通る翠色の瞳は、彼がこのシュタイン王国の王族である証だ。

 アルバートは手にしていた本を過剰なほど丁寧な手つきで本棚に戻す。間違っても本がホコリをかぶらないように、と布までかけるそのしぐさに、彼を呼びに来た男は困ったように肩をすくめる。

 

「殿下は本当にその本がお好きですね。そんなに旅はあこがれるものですか」

 

 そう言われてアルバートは眉をひそめ、唇を尖らせる。どうしてわからないのか! と顔に書いてあった。

 

「当然だよ。それにいつも言っているじゃあないか、この本は私のバイブルなのさ」

「バイブル、ですか。さして人気もない紀行録が……いえ、なんでもありません」

 

 あからさまに機嫌を悪くしたアルバートに気づいて召使はすぐに発言を撤回した。

 アルバートはため息をついて、部屋の外へ歩きはじめる。

 

「人気がないなら人々の見る目がないのさ。どれだけこのシリーズに、"旅好き娘"の言葉に私が救われてきたか」

「……まあ、王子が自国の文化に精通するのはよいことですが」

「そうだろう? ふふ、待ち遠しいね。彼女にファンだと伝えられる日が!」

 

 アルバートは眩しいほどの笑顔で言う。その足取りは軽やかで、今にもスキップをしはじめそうなくらいだ。

 そしてアルバートと召使は、王城の中心、国王のいる玉座の間へと歩みを進めた。

本日より連載開始します!

「旅好き娘」ことナターシャの旅のお話です。どうやら彼女には熱心な読者もいるみたいで、うらやましいかぎりです。


当面の間、毎日更新予定です。どうぞお付き合いください!

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