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悲しき仮面  作者: 碧野 颯
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罪と罰 4

署の駐車場に車を止めた。

前里専務が失踪してから一週間後、彼が自首してきたとの報告を受けたのは、専務の父親の家を訪問した直後だった。


彼は「自分が殺した」と容疑を認めているらしい。

だが、なぜ今になって自首してきたのか――

南城の頭には疑問が渦巻いていた。


駆け足で署内に入ると、課長が入口に立って待っていた。

「前里は取調3号室にいる。事情聴取はお前たちに任せる。こっちだ」

課長に続いて南城と上原は歩き出す。

3号室のドアの前で課長が立ち止まった。


「じゃあ、頼んだぞ」

南城がドアノブに手を伸ばし、ゆっくりと扉を開ける。

そこには、パイプ椅子に腰を下ろした前里専務の姿があった。


無精髭が伸び、疲れたような表情を浮かべている。

専務は軽く会釈した。

南城も椅子に座り、前里専務と向き合った。

上原は調書を取るため机に座った。


「前里さん。あなたには質問に対して、黙秘する権利と弁護士を呼ぶ権利もあります」

「私は、黙秘も否認もしませんよ」

専務は落ち着いた声で答えた。


「わかりました。それでは始めましょうか」

前里専務は背筋を伸ばし、静かに頷いた。

「まず確認のため、生年月日とお名前をお願いします」

「前里 勝、38歳。生年月日は一九六七年五月六日生まれです」


上原が生年月日を書き終えるのを待ち、南城が質問を始めた。

「では、被害者との関係を教えてください」

専務は深く息を吐き

「私の社員です」

と、答えた。


「その社員のお名前は?」

牧野マキノ タカシです」

「漢字を教えてください」

「マキは牧志の牧、ノは野原の野です」

「牧野 貴さんですね」

専務はゆっくりと頷いた。


「津波古株式会社に勤めていたんですね?」

「はい」

「では、なぜこのような犯行に及んだのですか?」

前里は鼻から息を吸い、長く吐き出した。


「あんなことを言うから…こんなことになったんですよ」

「どういうことですか?」

「彼は私が裏社会と関わっていた証拠資料を見つけ、それを警察に届けると脅してきたんです。そうなれば私のキャリアが終わり、これまでの努力が水の泡になる。だから殺すしかない、と思ったんです」

南城と上原は無言で専務の話を聞き続けた。


「彼を自宅に呼び出し、椅子に座らせました。そしてキッチンにあった包丁を手に取り、彼の腹部を刺しました。彼はしばらくして倒れ、動かなくなりました。それから鋸で手足を切断し、顔を鈍器で潰しました」


前里専務は淡々と話を続ける。

その内容は冷酷そのものだった。

前里はそのまま話を続ける。


「服に血が付いたので着替え、財布と携帯、他の所持品を取り出して、牧野の服を脱がせ、遺体を布団で包み、営業車に乗せてあの空き地に放棄しました。洋服と財布は燃やし、切断した手足はビニール袋に入れて海に放り投げました。携帯も同様です」

南城が発見したのは、その手足だ。


「その洋服と財布を燃やした場所はどこですか?」

前里は目線を天井に移し、場所を思い出しているようだった。そして再び南城に目を戻し、答える。

「すみません。覚えていません」

「覚えていない?」

「はい、あの時は早く証拠隠滅をしなければと思い、適当に人気のない場所を見つけて燃やしました」

「じゃあ、犯行に使った凶器は?」

「凶器は指紋や血を拭き取ってから、ゴミ収集に出しました」


「どうして自分の車ではなく、営業車を犯行に使ったんですか?」

「私の車に遺体を乗せたくなかったからです。営業車のワゴンが便利だと思いました。」

彼の犯行は計画的だった。

「そして、犯行に使った車はどうしたんですか?」

「スクラップ工場で処分しました」


南城は前里専務の目をじっと見つめた。

人間とは恐ろしいものだ。

理性で行動を抑えながらも、本能は動物と同じで、自己の生存のためには容赦なく殺害をも辞さない。


「殺害計画はいつ頃から?」

「彼が資料を見つけたのが三週間前なので、その時です。最初は金で黙らせるつもりでした」

「牧野さんが資料を見つけたその日に、犯行を決意したんですか?」

「はい…」

落ち着いた口調で答えた。


「あなたは裏社会の人間と、数々の裏取引を行ってきましたね。具体的には、どのような取引をしていたのか教えてください」

「情報提供です」

「情報提供?具体的にはどのような情報を流していたんですか?」


「具体的には、インサイダー取引や新規事業案件を、反社会勢力に提供していました。反社は不正に株取引をしたり、得た情報を競合他社に売ったりして利益を得るんです。その見返りとして、私に多額の報酬が支払われました」

「なぜそんなことをしたんですか?」

「金のためです」

南城をまっすぐ見つめ、目線を落とさずに答えた。


「どのくらいの頻度で情報提供をしていましたか?」

「月に3回ほどです」

「報酬はどのくらいですか?」

「年間五千~八千万くらいです」


「この取引には津波古社長も関わっていますか?」

「いえ、社長は関わっていません。私が単独で動いていました」

「あと、その重要な資料をどうして誰でも入れる廃墟の地下室に保管していたんですか?見つかれば、津波古株式会社は破産の危機になりますよね?」


「逆に、ああいう場所は誰にも見つからないと思ったんです。あの資料は、もしもの時のために隠しておいたんですよ」

「もしもの時とは?」

「もしも私が逮捕されたりクビになったら、その資料を誰かに渡して代わりに仕事をさせるつもりだったんです」

「ではなぜ、あの廃墟で勅使河原会の幹部・大城と会っていたのですか?」


専務が少し動揺した。

「私と上原はあなたの会話を聞きました。あの情報提供の件だと思いましたが、事件の件で何か助言をもらっているようにも聞こえました」

咳払いをした後、口を開く。


「ああ…いえ、私からお願いしたわけではないんですが、あの人は気づいていたようです。私が人を殺したということを。それで電話がかかってきて、前里専務、困っているだろう。俺が助けてやると言われたんです。その代わりに金を払え、と。勝手に話を進められました」

大城の話になった途端、前里の口調は速くなり、落ち着きがなくなった。


「大城から助言をもらっていたんですね?」

「ああ…はい」

前里専務の額から、汗がにじみ出ているのがわかった。

「大丈夫ですか?」

「あ…はい」


その時、ノックの音が聞こえた。

南城がドアの方を振り返ると、課長が入ってきた。


「南城、上原、ちょっと」

小さく手招きする。

前里に視線を戻し

「すみません。少し失礼します」

と言い、二人は取調室を出て少し離れた場所で話をする。


「どうしたんですか?」

と、上原が小声で聞いた。

「被害者の遺体と、お前が見つけた切断された手足のDNA鑑定の結果が今出た」

「はい。取調中、彼も被害者について自供しました。津波古株式会社の社員だと分かりました」

課長が静かに告げる。


「あの手足は、大城だ」

「はい?」

驚く南城。


「勅使河原会の若頭、大城憲之のものだと判明した」

「どういうことですか!」

遺体と切断された手足のDNA鑑定の結果、勅使河原会幹部の大城のものだと分かった。

では、今生きている「大城」とは何者なのか?


南城は疑問を胸に、再び取調室に戻る。

「前里さん、被害者の鑑識結果が出ました。もう一度伺います。被害者は牧野タカシで間違いないですよね?」

専務は黙り込み、答えようとしない。

ただ瞬きを繰り返している。


「前里さん、今後あなたの発言は裁判で不利になる可能性が高いです。知っていることを全て正直に話してください」

前里専務は深く息を吸い込み、言葉を詰まらせながら話し始めた。


「あの…あぁ…」

言葉が途切れる。


前里は頭を押さえ

「被害者は…大城です…」

と、静かに答えた。


南城は眉をひそめ、さらに問い詰めた。

「え?じゃあ、あなたと会っていた大城は誰なんですか?」

前里は再び口ごもる。


「あの…あぁ…」

南城は声を荒げた。

「答えてください!」


「か…彼は…津波古社長です…」


その瞬間、南城は驚きのあまり椅子から勢いよく立ち上がった。

衝撃的な事実に、南城の頭の中は真っ白になった。

「津波古社長が…大城?」


「…はい。社長は大城と背格好がよく似ていました。それで、海外で整形を受け、勅使河原会の若頭と同じ顔になったんです」

南城の思考は停止寸前だった。

頭の中が、風船の空気が抜けていくような感覚に襲われる。

目の前の事実が信じられない。


「前里さん、廃墟の地下室にあった不正取引を示す資料は…一体何だったんですか?」

冷静さを失いながらも、なんとか保ちながら南城は問いかけた。


前里は目を閉じ

「あれは…私が捏造したものです。すべて、でっち上げです」

「なぜそんなことを?」

「社長を守るためです」

前里の声は震えていた。


「あなたたちが社長をマークし始めたので、どうにかしなければと思いました。そこで、あえて見つかりやすい廃墟の地下室にあの資料を置いたんです。そして、刑事さんたちがそれを見つけることで、私は姿を消し、捜査線上を社長から私に向けさせるつもりでした」


南城は愕然とする。

自分たちは、まんまと前里の計略にはめられていた。

前里は涙をこらえながら続けた。


「社長は勅使河原会に潜入し、重大な証拠を奪い、法の裁きを受けさせるつもりだと聞いていました。でも、先日社長から電話が来たんです。『今までありがとう。明日の襲撃が終わったら、残りの勅使河原会幹部たちを始末し、妻のもとへ行く』と…」


南城は硬直した。

「つまり、自分で命を絶つつもりだと?」

前里は涙声になりながら絞り出すように話した。


「お願いです!社長を止めてください!あの人がいなくなったら、大勢の職員は路頭に迷います!」

「彼は今どこにいるんですか?」

「おそらく、勅使河原会の本家だと思います…」


専務の瞳からは大粒の涙が流れ落ちていた。

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