新たな誓約
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白亜の王城に、朝の光が差し込んでいた。
玉座の間には、各貴族家からの代表者たちが揃い、静かな緊張が漂っている。
「我が騎士団の医務官として、葵・マウロス・ファーガスを正式に任命する」
国王陛下の声が、厳かに響き渡る。
辺境伯爵家の令嬢でありながら、騎士団の医務官として認められた瞬間。
それは、この王国の歴史の中でも稀有な出来事だった。
「前代未聞だ」
「辺境の令嬢が、騎士団の...?」
「しかし、あの禁忌の魔獣の件は」
貴族たちの間で、小さな囁きが行き交う。
しかし、誰一人として強く反対の声を上げる者はいなかった。
それほどまでに、禁忌の魔獣との戦いは、王国全体を震撼させていたのだ。
「葵」
父である辺境伯爵が、静かに呼びかける。
「お前の選んだ道を、私は誇りに思う」
その言葉に、葵は深く頭を下げた。
かつては家の重荷とも思えた辺境伯爵家の血が、今は彼女の大きな支えとなっている。
(前世では想像もしなかった光景ね)
葵は、感慨を噛みしめながら、儀式の終わりを待った。
任命式の後、葵は国王との謁見の機会を得た。
カインも同席している広間には、古い書物が並べられ、歴史の重みが漂っていた。
「禁忌の魔獣の件、詳しく聞かせてもらった」
国王は、深い物思いに沈んだ様子で言った。
「人の魂を喰らい、記憶を取り込む存在...」
「はい」
カインが答える。
「第四部隊の魂を、無事解放することができました」
「解放...か」
国王の眼差しが、葵に向けられる。
「それが、君の持つ『生命の痕跡』という力なのだな」
「はい、陛下」
「その力」
国王は古い書物を手に取る。
「王国の歴史の中で、似たような記録がある」
ページがめくられ、古い文字が姿を現す。
「千年前、この地には『魂を癒やす者』と呼ばれる一族がいた」
葵の心拍が早まる。
「彼らは人の魂に直接触れ、傷を癒やすことができた。そして、多くは『別の世界の記憶』を持っていたという」
「別の世界の...」
葵の声が、わずかに震える。
「しかし、彼らは突如として姿を消した」
国王は、さらにページをめくる。
「その直後から、世界に歪みが生まれ始めたとも」
「歪み、でしょうか」
「ああ」
国王は重々しく頷く。
「魔獣の出現も、その一つだったのかもしれん。そして今、また新たな歪みが」
「陛下」
カインが一歩前に出る。
「何か、予兆でもありますか」
「辺境からの報告だ」
国王は、机の上の報告書を指さす。
「黒い霧を見たという目撃証言が、各地で相次いでいる」
葵とカインの視線が交錯する。
「しかし、それだけではない」
国王は、さらに衝撃的な事実を告げる。
「人々の中に、突如として別世界の記憶を持つ者が現れ始めているのだ」
謁見を終えた後、葵は騎士団の新しい医務室に案内された。
以前の何倍もの広さがあり、最新の医療設備が整えられている。
「これほどまでに」
葵が驚きの声を上げる。
「当然だ」
カインが、静かに告げる。
「お前は、もう騎士団には欠かせない存在なのだから」
その言葉に、温かみが感じられた。
「隊長!」
若い騎士が駆け込んでくる。
「例の件の報告が」
「ここで話せ」
カインは葵を指さす。
「医務官にも聞かせておきたい」
「はい。辺境の村々で、奇妙な症状の患者が増えているとの報告です」
「症状は?」
葵が問う。
「突然、別の人生の記憶が蘇るとか...」
若い騎士は、困惑した様子で続ける。
「しかも、この世界とは全く違う世界の...」
(私と、同じ...?)
「調査が必要だな」
カインが、葵の方を見る。
「医務官殿、共に行ってもらえるか」
「はい」
葵は迷いなく答えた。
「それが、私の務めですから」
夕暮れ時、葵は医務室の窓から夕焼けを眺めていた。
その時、不意に右手の小指が光る。
(この感覚...)
かすかな記憶が、意識の底からよみがえる。
白い空間。
女神との対話。
そして、もう一つの約束。
(私は、誰かと約束を...?)
記憶は、そこで途切れる。
しかし、確かな予感があった。
これは、まだ始まりに過ぎないという。
「葵」
カインが、静かに呼びかけてきた。
「カイン様」
「明日からの調査、準備はいいか」
「はい」
葵は、夕焼けに染まる空を見上げる。
「でも、その前に確認したいことが」
「なんだ」
「カイン様は、私の力の真実を...怖くないんですか?」
カインは、長い間黙っていた。
そして、真摯な眼差しで答えた。
「お前の力が何であれ、お前はお前だ」
その言葉には、深い信頼が込められていた。
「それに...」
「はい?」
「俺には、お前を守る義務がある」
「義務、ですか?」
「いや」
彼は、珍しく言葉を探るように続けた。
「義務を超えた、何かだ」
その告白めいた言葉に、葵の頬が熱くなる。
しかし、それは新たな決意も与えてくれた。
「私も、カイン様と共に戦います」
「ああ」
二人の視線が重なる中、遠くの空で、一瞬黒い影が光を遮った。
世界は、確実に動き始めていた。
葵の小指の光が、再び僅かに瞬く。
それは、まるで誰かとの約束を思い出すように。
(私の前世の記憶)
(この世界の歪み)
(そして、忘れていた約束)
全ては、これからゆっくりと明らかになっていくのだろう。
葵は、その時を静かに待つ覚悟を決めていた。
夜風が、医務室のカーテンを揺らす。
それは、まるで新たな物語の幕開けを告げるかのように―。