第32話 真相
やっと森を抜けると、そこにはルルイエと共に待つライオスの姿があった。
彼はキャロライン達の姿を見つけると、ひらひらと手を振る。
「ようやく戻ったか、我が甥よ。もっと早く帰ってくると思ったんだが……フロイス公爵令嬢とは仲良くなれたか?」
茶化すように言ったライオスに、リチャードは特大級のため息を漏らした。
「叔父上、エスメラルダ王女達に話していたこの森の力とか、歴代の国王夫婦がどうのというのは、一体何なんですか?」
そう彼が訊ねると、ライオスはオッドアイの瞳をきょとんとさせた。
「なんだ、我が甥はそんなことも知らずにこの森に入ったのか?」
「はい?」
「ここは吊り橋渡りの森と呼ばれていて、一種の訓練コースになっている」
聞いていた話とはだいぶ印象が違い、キャロラインが静かに手を上げた。
「あのう、ライオス殿下。ここの森に吊り橋なんてどこにもありませんでしたし、訓練コースというほどの障害物もありませんでしたが?」
出口まで歩いてきたが、川どころか小さな池すらない場所だ。なぜそんな風に呼ばれているのだろう。
「この森は途中から歩きづらかっただろう? 目の錯覚を利用して地面の高低差を巧妙に隠しているんだよ」
「なぜそのような仕組みに?」
「本来は体幹や注意力を鍛えるために作られたそうなんだが、足元が安定しなくて緊張するだろう? それが一種の吊り橋を渡るような作用があってね。グレイヴ家では二人組で歩かせて互いに支え合うことで結束力を高めるためにも利用しているんだ。それで、吊り橋渡りの森と呼ばれている」
それを聞いてキャロラインはピンとくる。
(それって、いわゆる吊り橋効果というヤツでは⁉)
「歴代の王族はこの森で婚約者と仲を深めることが多かったらしい……だから、てっきり彼女との仲良くなるために入ったと思ったんだが……違ったようだな」
クスクスと笑うライオスの話を聞いて、キャロラインは脱力を覚えた。
小説のネタに使えるという喜びよりも、まんまと引っかかったという悔しさの方が強い。なんだか夢から覚めたような気分だった。
しかし、キャロラインは我に返った。
「それを知っているということは……ライオス殿下とルルイエ様も入られたのですか?」
そう訊ねると、ライオスとルルイエが顔を見合わせて小さく苦笑する。
「小さい頃に一度だけ入ったんだが、あの時はすぐに引き返してしまってね。これからそのリベンジさ」
ライオスはそう言うと、ルルイエの腰に手を回して彼女に微笑んだ。
「行こうか、ルルイエ」
「はい」
「では、またのちほど。マシュー。あとは頼んだよ」
「御意」
二人は吊り橋渡りの森の中へ姿を消したが、正直あの二人には吊り橋効果なんて必要ないのではとキャロラインは思ってしまう。
話の全貌を知ったリチャードが「あの叔父め、紛らわしい話し方を……」と横で呟いているのを聞き、彼がライオスを苦手とする理由がなんとなく分かるような気がした。
エスメラルダは話を聞いてなお、まだキャロラインに引っ付いたままだ。彼女の銀髪を撫でながらキャロラインは声をかける。
「エスメラルダ殿下、森には何もありません。もうわたくしは大丈夫ですよ」
キャロラインの身体に顔をうずめていたエスメラルダが顔を上げる。その顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。彼女は涙を拭いながら小さく頷いた。
「わたくしを心配して追いかけてきてくれたのは嬉しかったですが、リチャード殿下にひどいことを言ってしまったからには、謝らなければいけません。それに彼は友好国の王太子です。どうして、あんな態度を取ってしまったのですか?」
ライオスの説明が紛らわしかったとはいえ、エスメラルダの行動は友好国の王族を拒絶したも同然。いくらキャロラインを心配したからといって、あんな態度をとってはならなかった。出口に向かう途中でリチャードは「どうせ叔父上が悪い」と今回のことを不問にするようだったが、他所ではそうはいかない。
「殿方に恥をかかせては、立派な淑女になれませんよ?」
キャロラインがそう言うと、エスメラルダは鼻をすすりながら言った。
「私……私、キャロラインが可哀そうだと思ったの……」
「………………わたくしが?」
思ってもなかった言葉にキャロラインが目を丸くする。
「私、キャロラインにお見合いさせるってお父様とお兄様が話しているのを聞いたの。キャロラインはいい子だから他国でもやっていけるだろうって……でも、そんなのキャロラインが可哀そう!」
再び空色の瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
「お祖母様が昔言っていたわ。他国に嫁ぐってすごい大変なことなんだって。それなのに公爵家を継ぐために今までずーっと頑張ってきたキャロラインを、他所の国に嫁がせるなんてひどい仕打ちだわ! キャロラインの弟なんてキャロラインの努力も知らずに我儘ばっかで全然可愛くないし! なんでキャロラインばかり我慢しないといけないの⁉ こんなの絶対におかしいわ! だから私、隠れてついてきたの! キャロラインが無理やり結婚させられないように!」
「…………エスメラルダ殿下」
まさかキャロラインの境遇を案じて密入国してきたとは。そんな彼女を叱るのは少し忍びない。それに、リチャードの前で可哀そうと言ったことに対してどうフォローを入れたらいいのか分からなかった。
「エスメラルダ殿下、わたくしは……」
「ああ……フロイス公爵令嬢、エスメラルダ王女。話の間に入ってすまない」
話を聞いていたリチャードが小さく手を上げた。
「お見合いとは……なんの話だろうか?」
しんっと周囲が静まり、エスメラルダの鼻をすする音だけが響く。
「え? なんだ? フロイス公爵令嬢は勉強しに留学に来たんだろう? 見合い話は我が国ではなく、他国での話では?」
天然なのか、それともわざとなのか、リチャードは大真面目な顔からではキャロラインも判断がしづらかった。
(そういえばリックって……最初は私といると緊張はしていたけど、最近は全然意識してないわね……もしかして、この留学が引き合わせの意図が含まれていたのを知らない?)
彼は素直な男だ。顔にも出やすいし、態度が分かりやすい。そんな彼の為に、周囲は今回のことを黙っていたのではないだろうか。
実際に、ライオスも森に入った理由がキャロラインと仲を深めるためだと思っていたし、カレンもヨルンも詳細は知らずとも分かっている雰囲気はあった。
しかし、リチャード本人がお見合いの話を否定したことにより、エスメラルダはぽかんとした顔した。
「そう、なの……?」
「お見合いって、もっと仰々しく集まって顔を突き合わせてやるものだろう? そんなことは一度もしなかったし。一応、今回の留学に政治的な意図が含まれていると、父上と叔父上がこっそり話しているのを聞いていたが、オレはてっきり『お前はもっとしっかりしろ』と訴える為に絵に描いたようなお手本を連れてきたのだとばかり……まさか、本当にそうなのか?」
(ここは…………この天然さん達を利用させてもらおう)
キャロラインはにっこり笑って、首を振った。
「いいえ、わたくしは勉強しに留学へ来ました。実際、陛下からお見合いの話は直接されていません」
そう、キャロラインが勝手に察しただけで、国王から直々に説明されたわけではない。
それにキャロラインの真の目的は王弟カップルの観察だが、ちゃんと勉強する為に来ている。そんな姿を見ていたから、リチャードはお見合いだとは全く認識できずにいたのだろう。
「ね? カレン様達も知らないですよね?」
キャロラインは笑顔で『話を合わせてくれ』と訴えると彼らは首振り人形の如く頷いた。
「きっとこれからの予定かもしれませんね。卒業後のことも決まっていないし、父の補佐をするにしたって、弟が学校を卒業するまでずっと未婚のままいるわけにもいきませんしね」
あのプライドの高い父親も、未来の王妃になるかもしれない大事なお見合いについて、うんともすんとも言わなかった。つまり、政治的にも重要視していないと考えられる。相手は祖父母の代ですでに縁がある国だ。無理に政略結婚する必要もない。
(このままエスメラルダのお見合いの時のように、有耶無耶にしてしまえ!)
キャロラインはそう心に決めて、さらに言葉を続けた。
「それにエスメラルダ殿下。わたくしが本当にお見合いをすることになっても、ちゃんと自分の意思を持って臨みたいと思っています。その時はお父様達に言われるがまま従っていた頃と違って、わたくしが自分で考えて選んだことだと思って、見守っててくださいね」
数か月後に家出するけど、その時は見守っててねと言う意味も含ませてそう口にすると、エスメラルダはゆっくりと頷いた。
エスメラルダは涙を拭ってリチャードの方へ向くと、淑女の礼を取る。
「リチャード殿下……この度は私の勘違いで無礼な態度を取ってしまい、大変申し訳ございません。深くお詫び申し上げます」
「フロイス公爵令嬢のことを思ってのことです。謝罪を受け入れます。ただ……次回からはもっと慎重に動いてくれると……助かる」
エスメラルダの奇行のせいで、様々な者達が振り回された。彼ももちろんその一人である。周囲の者達も彼の言葉に内心では大きく頷いていることだろう。
「はい……」
「では、皆さま。慣れない遊歩道だったので、さぞお疲れでしょう。お茶の準備ができているので、どうぞこちらへ」
マシューがそう言って案内すると、裏庭に二つのテーブルが用意されていた。もう一つは二人掛け用のテーブルなので、おそらくライオス達が座っていたものだろう。
皆が席に案内される中、キャロラインはマシューに声をかける。
「あなたは、ライオス殿下の侍従でよろしかったかしら?」
「はい」
「王弟殿下の侍従にこんなことを頼むのは気が引けるのだけれど、実は王宮に到着する我が国の第一王子とミカエル国王陛下に『こういうことになりました』と連絡したいの」
彼なら事情をよく分かっていそうだ。第一王子とミカエルに『今回の一件は、お見合いだと勘違いしたエスメラルダが心配して付いてきたということにしたい』と伝えたいことをほのめかすと、マシューは恭しく頭を下げた。
「早馬を出しますので、その旨を手紙にしたためていただけると」
グレイヴ家の使用人達がさっと手紙一式とペンなどを持って現れ、内心驚きながら受け取った。
「ありがとう。すぐに書くわ」
キャロラインは王宮に到着したであろう第一王子とミカエルに手紙を書いたのだった。




