第31話 来た
「にしても、この遊歩道……急に歩きにくくなったわね」
涙も収まり、キャロライン達は森の中を歩き出したのだったが、キャロラインは安定しない足元に怪訝な目を向けた。
遊歩道は綺麗に整備されていて、地面も平坦に見えるのになぜか歩きづらい。リチャードも気になっていたようで、隣で顔をしかめていた。
「本当だな。平坦だと思ったら、地面が盛り上がっていたり、沈んでたり……この森は整備されていると聞いていたんだが。まあいい。キャロル、しっかりオレの手を掴んでいてくれ」
「ええ……」
リチャードの手にしっかり掴まると、その手は意外にも力強い。思ったよりも身体はしっかりしているようだ。
(ちゃんと男の子なのね……それに……)
先ほど彼の前で自分が泣いてしまったことを思い出して、キャロラインは小さく俯いた。
自分は最低な女で、親不孝な子どもだ。
身分も貴族の役目も家族すらも捨てて、家を飛び出そうとしている。
公爵令嬢の仮面を外し、最低で無責任な自分がリチャードに感謝されるなんてありえないと思った。
しかし、そんな自分が嫌いかと問われれば、キャロラインは否と答えるだろう。
公爵令嬢として他者に求められている自分がどんなものか分かっていながら、本当の自分を見てくれない、分かってくれない苦しみへの唯一の逃げ先だったからだ。
そんな感情を抱く自分を大事にしてあげないと、それこそ自分が壊れてしまう。
だから、初めてグレイに自分の小説を「本にしないか」と言われた時は嬉しかった。小説を書いていることに引かず、むしろ推奨してくれて、公爵令嬢のキャロラインではなく、本当の自分を見てもらえたようだった。
しかし、現実は違う。彼は自分が作ったものに興味があるだけで、キャロライン自身には興味がない。そのことが分かった時、悔しさが胸に滲んだ。
それでも小説を書くことだけはやめなかった。それが公爵令嬢ではない自分が生んだ唯一のもので、作品を通して他者がキャロラインを認めるものだったから。書店で自分の本が並んでいるのを見る度に自分が誇らしくて、初めて売り上げ一位になった時はめいいっぱい自分を褒めた。
しかし、現実に戻ってしまうと、誰もキャロラインのことなんて知らない。
本を書いていることも、人気作家であることも。
両親も弟が家を継ぐ勉強をするようになって、今度こそ自分には興味がなくなったようだった。
誰も自分に興味がないからこそ、家出をする。そう思っていた。
『そうやって感情をぶつけられたからこそ、見えてくるものがあるんだな』
リチャードにそう言われた後、自分は親や友達に本音を話したことがあったか考えた。
やさぐれたキャロラインの素顔を知っても引かなかったリチャードだって、公爵令嬢のキャロラインしか見ていなかった。キャロラインが自ら仮面をはずしたからこそ、彼は自分を分かってくれたのだ。
自分の本心を見せないのに、自分に知って欲しいなんて、自分本位にもほどがある。
(もっとお父様やお母様と会話するべきだったかしら? それとも……)
ただ、親に話したところで「くだらない話をするな」と叱責されることは目に見えていた。
(バカね……お父様の言うことなんて分かりきってる。言ったところで結果なんて変わら……っ⁉)
考え事をしてて、地面がくぼんでいるのを見落としていた。
「きゃっ……」
「おっと……」
身体が傾きかけたところでリチャードに支えられる。自然と密着する形になってしまい、身体が強張った。
「大丈夫か、キャロル?」
「え、ええ……」
顔が急激に熱くなる。一つしか違わないとはいえ、年下に支えられてこんなに恥ずかしくなるなんて思わなかった。
(なんで顔が熱いの⁉ なんで胸がどきどきしてるわけ⁉)
なかなか頬の熱が収まらない。おまけに心臓が早鐘を打っている。おかしい。鋼の女と揶揄されたこの自分が、この程度で動揺するなんて。
「お前が良ければ、腰に腕を回していいか? その方が支えやすい」
「え⁉ いや、ええ。お願い……」
そのぐらいのエスコートなら従兄弟達にもしてもらっている。何も驚くことも恥ずかしくなることもない。
しかし、いざ腰に腕を回されて引き寄せられた時、キャロラインの緊張は更に高まった。
(ち、近い! 身体も、顔も!)
思ったよりも彼の顔が近くにあり、キャロラインが逃げるように顔を逸らした。
「よそ見していると、今度こそひっくり返るぞ?」
「あ、え……うん」
顔を前に戻した時、ぴとりと頬を触れられた。頬の熱は更に熱を上げて、頭のてっぺんまで昇った。
「さっきから注意力もないし、顔が赤いし、熱いぞ? お前、本当に大丈夫か?」
「そ、そそそそそそっ、そのっ!」
おかしい。本当に今の自分はおかしい。本当に熱があるのか。ひとまず彼から離れようかと思案していた時だった。
「…………キャーーーーーーーローーーーーーーラーーーーーーーーーーイーーーーー―ン!」
遠くから声が聞こえたかと思うと、背後から地鳴りと共に小さな人影が迫って来た。
それは全速力で近づいてきたかと、思いっきりキャロラインに抱き着く。
「きゃあっ⁉」
「うぉお⁉」
強い衝撃はリチャードが踏みとどまったおかげで、二人とも倒れずに済んだ。二人が呆然とキャロラインに抱き着いてきたそれに目をやる。
「………………エスメラルダ殿下?」
綿あめのような銀髪を振り乱し、彼女はキャロラインの身体に顔をうずめていた。泣いているのか嗚咽と共に鼻をすする音まで聞こえてくる。
「エスメラルダ王女、どうされた? クワント侯爵令嬢は?」
リチャードがそう声をかけると、エスメラルダはキャロラインを引っ張って、リチャードから引き離した。
「ダメ! キャロラインに触らないで! 近づかないで!」
空色の瞳に涙を浮かべてリチャードを拒絶し、力いっぱいにキャロラインを抱きしめてくる。
「エスメラルダ殿下、いくらなんでもリチャード殿下に失礼です」
「でも! でも! ダメ! キャロラインに触っちゃダメなの! 絶対に許さない!」
「エスメラルダ殿下!」
キャロラインが叱るように名前を呼ぶと、彼女はきゅっと唇を結んだ。
それでもエスメラルダはキャロラインを離そうとせず、キャロラインはそっとエスメラルダの頭を撫でた。
「せめて、理由をお聞かせください。このままではリチャード殿下も傷ついてしまいます」
優しく諭すと、固く結んでいた唇をなわなわと震わせた。
「だって……だってぇ、このままだと、キャロラインがぁ……」
「わたくしがなんですか?」
口調に気を付けながら問いかけると、とうとうエスメラルダの涙腺が瓦解した。
「キャロラインが……キャロラインが、リチャード殿下の手籠めにされるぅうう~~~~っ! うわぁあああああああああああんっ!」
そう言って大きな声を上げて泣くエスメラルダだったが、キャロラインは一瞬何を言われたのか分からなかった。
無言でリチャードに顔を向けると、彼は大きく目を見開いてキャロラインを見つめている。
彼も自分と同じように今の状況が理解できていないようだった。
「エスメラルダ王女ぉ~~……!」
「お姉様、しっかりぃ~!」
「もう、なんで私がこんなことを!」
奥から遅れてやってきたのは、シシリー、ヨルン、そしてカレンだ。
シシリーは泣いているエスメラルダを見てぎょっとし、慌てて彼女に近づいた。
「エ、エスメラルダ王女⁉ ど、どうしたんですか⁉ もしかして、最後の最後で転んじゃったんですか⁉」
「シシリィい~~~! キャロラインがぁ! キャロラインが不思議な力に侵されるぅ!」
「ひょえぇっ⁉ あれ、本当の話なんですか⁉」
シシリーまでもが顔を真っ青にしてキャロラインに抱き着き、化け物を見るような目をリチャードに向けていた。
彼女達が何を言っているのか分からないが、リチャードに不名誉な濡れ衣を着せられていることは間違いなかった。
リチャードは苛立ち気に眉間に手をやった後、ヨルンとカレンに目を向けた。
「そういえば、二人は……やけに森に入るのを渋ったり、意味深なアイコンタクトを送ったりしてきたな? オレが彼女達にあんな風に言われる謂れでもあるのか?」
低い声で問いただすリチャードに、ヨルンとカレンは震え上がった。
「ひぃ!」
「ご、誤解ですわ! 私達はただお父様に王族がこの森に入ったら追いかけないよう言われただけで! きっとリチャード殿下も歩き慣れていらっしゃるから大丈夫かと思い!」
「オレがこの森に入ったのは初めてだが?」
「えっ?」
そう声を揃えたのは、ヨルンとカレンだけじゃない。エスメラルダとシシリーもだった。
「なんだ、みんなしてその顔は?」
「え、だって……王族はみんなここに入るから歩き慣れてるって、お父様が……」
「しょっちゅう遊びに来ていた叔父上ならともかく、少なくとも父上からそんな話は聞いたことはないぞ?」
リチャードの言葉に全員が疑問符を浮かべる中、シシリーが小さく手を上げた。
「あ、あのう……王弟殿下なら、詳しいお話を伺えるかと。私もエスメラルダ王女も王弟殿下からお話を伺ったので」
無言でエスメラルダが頷き、リチャードはため息をつきながら頭を掻いた。
「ったく、あの叔父は……クワント侯爵令嬢、歩きながらでいいから叔父上から聞いた話をオレ達にも聞かせてくれ」
「は、はい!」




