第23話 忍ぶ心
再び訪れた城下は、休日ということもあってより一層活気に溢れていた。
「これこれ! 私、これを食べてみたかったの!」
雑踏にもまれながらリチャードの元に戻ってきたキャロラインは、未だかつてない笑顔を浮かべており、その手には飴でコーティングされたイチゴが握られている。
「はい、リックの分」
「ああ、ありがとう……」
ずいっと差し出されたイチゴを戸惑いながらもリチャードは受け取ると、キャロラインは椅子代わりに近くにあった樽に腰掛ける。
大きな口を開けてぽいっとイチゴを口に放り込む姿は、普段の彼女からするとあり得ないものだ。
「はぁ~~~~……美味しい」
頬に手を当てて言う彼女の顔はとても幸せそうだった。
「飴が甘ーい。イチゴも甘酸っぱ~い」
(これが、あのフロイス公爵令嬢……?)
品行方正で優秀な彼女が、今は下町の娘となんら変わらない姿をしている。今の彼女の様子を他人に話してもきっと誰も信じてくれないだろう。
『私と、デートしませんか?』
彼女はそう言うと、リチャードを着替えさせ、颯爽と城下へ連れ出し、敬語の使用を禁じ、互いにリック、キャロルと呼び合うことを強要した。
前回はどう頑張っても従者にしか変装できなかったリチャードだったが、今では彼女の手腕によって完璧な平民の少年へと変身している。
髪を灰で痛ませ、衣服は薄汚れており、ところどころ繕っている箇所があった。こんな格好をしているのをヨルン達に見られたら、悲鳴を上げられるかもしれない。
なお、瞳は帽子を目被ることで隠している。
隣にいるキャロラインも町の娘に完璧に化け、前回の姿がおままごとのようだ。
「どうしたの? 食べないの? いらないなら私が食べちゃうわよ」
「いや、たべる……」
彼女に砕けた口調で話しかけられるのが違和感でしかなく、リチャードは片言で返事してイチゴを口に入れた。
(クソッ、味が分からん! なんなんだ、この状況!)
口の中で転がるイチゴがただの異物と化している。いつになく緊張しているせいか、変な汗まで出てきた。
(というか、本当に彼女はフロイス公爵令嬢か? いつのまにかすり替わっていた影武者ではなく?)
頭の中でごちゃごちゃ考えていると、隣からぷっと失笑する音が聞こえた。
「変な顔~」
「変っ⁉」
思わず素っ頓狂な声を上げると、キャロラインはケラケラと笑い返した。
「私、普段と全然違うでしょ? 本当はこっちが素なのよ。と言っても、今の自分を知ったのは最近になってからだけどね~」
彼女はイチゴを口に放り込むと、行儀悪く口をもごもごさせながら話し出す。
「私のお父様はすっごく厳しくて、私は一人娘。公爵位を継がせるためにそれはもう馬鹿真面目に教育を施したの。おまけに従兄弟は猿ばっかだから、余計に教育に熱が入っただろうしね」
「は……はあ?」
従兄弟とはいえ、仮にも王族を猿扱いとはいかがなものか。
「それに、たとえ猿でも従兄弟でしょ? 王族だから支えなくちゃいけないじゃない? 恐怖政治していた頃を考えると、三代くらいまでちょっとゆるいくらいのトップがちょうどいいらしくてね。私は将来、お猿さんたちの尻叩き役として教育されてたってわけ」
キャロラインは「調教師かってーのよ」と鼻で笑った。
「だけど私、急に家を継ぐ必要がなくなったのよ」
「…………は?」
思わぬ言葉にリチャードは目が点になる。
「え……なんで?」
「五年前に弟が生まれたのよ。男が家督を継ぐのは当然でしょ?」
キャロラインがそう言って大袈裟に肩を竦めた。
「私の立場はぜーんぶ弟に取られちゃって、私の努力はパー。おまけに親は私に興味なくなったみたいだし、私の幼少期を返せって感じ」
最後の一つを口の中へ入れると、キャロラインは言った。
「それで趣味を見つけたり、親に隠れて下町に遊びに行ったりしてるうちに、こんな蓮っ葉でやさぐれた感情が自分にもあるってことを知ったってわけ」
「はあ……なるほど……?」
これはいい話なのだろうか。変に肯定してもおかしい気がして、リチャードは曖昧な返事しかできなかった。
「ただね。最近五歳になった弟がそれはもう口が達者で。勉強がしたくないと『お姉様、ずるい! 女の子だからお勉強をしなくていいなんて! ボクは好きで男の子に生まれたんじゃないのに! お姉様は家を継ぎたかったんでしょ! お姉様がお勉強すればいいのに!』って駄々をこね始めたの」
彼女がそう言うと、手にしていた容器がぐしゃりとひしゃげる。
「私だって! 好きで女に生まれたわけでも! 家を継ぎたくて勉強してたわけじゃないってーの!」
「キャ、キャロル! お、落ち着け!」
どうにかキャロラインを宥めると、彼女は大きなため息をついてからリチャードに笑いかける。
「…………幻滅した?」
その笑みはいつも見せる淑女然としたものではなく、年齢相応に悩みを抱えた少女のもの。
初めて彼女の素顔を見た気がして、リチャードは自然に笑みが零れた。
「いや、むしろ安心した」
そう言葉にすると、彼女は歯を見せて笑う。
「なら、良かった……じゃあ、私はおかわりを買ってくるわ」
リチャードはキャロラインの背を見送りながら、再びイチゴを口にする。
異物感しかなかったイチゴは、今度はちゃんと甘い味がした。