第22話 理想と現実
ライオス達が王都郊外へ馬車を出発させた頃、リチャードは王立図書館の前で苦虫を噛み潰したような顔で、腕を組んで立っていた。
(あの叔父めぇ……人が敢えて報告しなかったことを父上に報告するとは!)
ライオスに子ども扱いされたあの日、普段のリチャードならミカエルに愚痴も含めて告げ口していた。しかし、その行動そのものが自分の子どもっぽさを感じてしまい、敢えて父親には報告しなかった。
ましてや「恋愛なんて早い」なんて言われて腹を立てたなんて、リチャードの沽券に関わる。
それなのに、あの叔父は素直にミカエルに伝えてしまったらしい。
(いつまでも父上の手を煩わせるわけにはいかない。自分で叔父上を諫めることができるようにならなければ……それに……)
本を買った理由を聞いたミカエルが、リチャードに言った言葉を思い出す。
『フロイス公爵令嬢の受け売りだったか。彼女は実に聡明な子だな。彼女との交流がお前の新しい学びになることを願っているぞ』
リチャードは勉強しにきたキャロラインの為に付き添っていたのに、これではまるで立場が逆ではないか。
(これもオレがまだ未熟だからか……)
ミカエルは自分とキャロラインを比べたつもりはなかっただろうが、リチャードの心がささくれを触られたように痛む。
「ああ、リチャード殿下」
声をかけられ顔を上げると、キャロラインがにこやかな顔をしてこちらに手を振る。
「本日はよろしくお願いいたします」
「ああ。では行こうか」
今日の予定は図書館の見学だ。この王立図書館では、一部の王立施設職員と審査を通過した研究者と貴族しか入館が認められていない。そのため、留学生であるキャロラインは本来入館できないのだが、ミカエルの厚意でリチャードが同伴であれば見学を許可された。
ちなみにカレンとヨルンは入館できない。父親は国の宰相だが、家族までは優遇されないのだ。
施設内は吹き抜けで階層は主になだらかなスロープで移動する。
最下階から見ると、天井まで本棚が並んでいるように見えた。
「素晴らしいですね!」
「我が国が誇る蔵書量です。蔵書は各分野の論文、歴史書だけでなく絵画や演劇など芸術に関わる実用書や地図、娯楽本などもありますね」
「まあ、そんなものまで! でも、なぜ娯楽本まで?」
「研究者の中には遠い昔の人々の生活を調べたり、お伽話の構成が当時の社会とどう関わりがあったかとか調べる人もいますからね。研究資料として、この図書館で保管しているんです」
「なるほど……ってことは、我が国から輸出した娯楽本も蔵書に?」
「他国の本ですか……調べたことはありませんが、もしかしたら、あるかもしれませんね」
リチャード自身、この図書館を最後に利用したのは学園入学前だ。他国の絵本もあったので、この国に輸入されたものならば、保管してあるかもしれない。
「時間が空いたら、調べてみますか?」
冗談半分で聞いてみると、彼女は苦笑する。
「いえいえ、さすがにそこまでは」
キャロラインがそう言い、本棚を眺めながら手帳のようなものを取り出していた。
これから館内の説明を司書から受ける予定なので、質問事項などを書き足しているようだ。
ノートにはびっしりと字が並んでいるが垣間見え、リチャードはため息をつきそうになる。
(実に真面目な人だ……)
説明係の司書と対面してからは、こまめにメモを取り、真剣に司書の話を聞いている。
なぜそんなにも疑問点が出てくるのかが不思議で仕方がない。
(オレが視察に行った時だってこんなに質問はできないぞ……)
司書の方もこれほど質問されることがなかったのか、嬉しそうに受け答えしていた。話す言葉にも熱がこもっているのが分かる。
全体的な案内が終わり、司書が名残惜しそうに離れて行った後も、キャロラインはメモを書き続けている。
「テーブルがあるので、そちらに移動しましょうか?」
「いえ、これでもう大丈夫です」
キャロラインはそう言ってメモをしまうと、にっこりと微笑む。
「殿下、今日はお付き合いくださりありがとうございます」
「いえ、礼を言われるほどではありません。しかし、なぜ図書館に興味を? シャルメリアの図書館も素晴らしいと伺いましたが?」
図書館を出て、リチャードが王宮へ向かう道を歩きながら訊ねると、キャロラインは難しい顔をしながら口を開く。
「たしかに建物は立派なのですが……昔、我が国では認められた書物以外は焚書対象だった時期があって、偏りが激しいのです」
「あぁ……」
確か歴史の授業で習った。キャロラインの祖父の代では、当時の国王が恐怖政治をしていており、それを引き摺り落とすのに協力したのがリチャードの祖父だ。
いつ戦争を起こされるか分からないのもあって、当時の王家は戦々恐々としていたと家庭教師から聞いたことがある。
シャルメリア現国王が、第一王子だったキャロラインの父ではなく、第二王子だったエスメラルダの父親になったのも、当時の為政者を彷彿させると周囲の貴族達が反対したのが理由らしい。
「なるほど……」
「今回、私が図書館の見学に訪れたのは、父と友人からの強い勧めでして。確かに来てよかったです」
彼女が嬉しそうに言う姿が何か羨ましいような、妬ましいような思いが浮かんでしまう。
(フロイス公爵令嬢を妬むなんて見当違いにも甚だしい……)
「…………リチャード殿下?」
名前を呼ばれてハッとし、リチャードは顔を上げた。
「どうかされましたか? どこか具合が悪いのですか?」
「いえ……少し考え事を。フロイス公爵令嬢が眩しいというか。私と違って、噂に違わぬ優秀な人で、こういう人を皆、王位に望むのだろうな……と」
リチャードがそう口にすると、キャロラインが大きく目を見開いた。
「王位……ですか?」
「はい。私は至らないところばかりで、一つしか違わない叔父上にはからかわれてばかりですし、父上や周囲の期待にも応えられているのか分からないんです」
キャロラインが到着する日、ミカエルとライオスが執務室で話している内容を聞いてしまった。
『ルルイエ嬢には今回の留学の趣旨を伝えているだろう?』
『もちろん。リチャードには伝えていますか?』
『あれは顔に出やすいからな。変に緊張されても困るし、留学生と仲良く交流しろとだけ伝えた』
『兄上、それは優しさとは言えませんよ? リチャードはもう十六になるんですから、今回の留学が政治的な意図が隠れていると伝えた方が、自分も政治に関わっている自覚が生まれると思いますよ?』
自分が顔に出やすいからと言って教えてくれなかった政治的な意図が、リチャードは未だに分かっていない。
キャロラインを通してもっと王太子として自覚を持てと言いたいのか。息子の自分には話さず、弟のライオスには伝えられていると知って疎外感を覚えた。
「父上と叔父上は年が離れていますが、父上は息子の私より信頼している気がします。幼い頃は私より手を掛けていましたしね」
特殊な生まれというのもあってか、ライオスは常に貴族達の噂の的だった。そのストレスからライオスは心を閉ざし、人の言葉が分からなかくなった時期がある。それからだろう。ミカエルはリチャードを置いて、ライオスに手を掛けるようになったのは。
当時のリチャードは、父代わりのミカエルに構って欲しさにライオスが嘘をついていると思っていた。
「それに私の友人達、未来の側近候補達とちゃんとやっていけるかも不安です。彼らは優秀なのですが、どこか抜けているというか、弱いというか……ヨルンがいい例ですね」
彼らはリチャードの行動に関してあまり口を出してこない。
キャロラインがエスメラルダの頬を引っ叩いた時は衝撃のあまり気付けなかったが、キャロラインの穏やかな一面と聡明さを知った今、彼女が取った行動は正しかったと理解できる。
もし、自分が道を踏み外した時、彼らは止めてくれるだろうか。おそらく今の彼らは無理だろう。彼らは側近というより太鼓持ちなのだから。
「父上の側近達や叔父上の従者の様子を見ていると、やはり私と友人達とは違うと思うんです。もし、私がフロイス公爵令嬢のような人だったらもっと彼らを上手くまとめられて、周囲の期待にも応えられただろうなと思うと、やっぱりあなたが羨ましい」
本当に子どものような感情だとリチャードは自嘲する。
目の前にいるキャロラインは何も言わなかった。内心ではリチャードに呆れているかもしれない。
(彼女から見ても、オレはきっと子どもなんだろうな……)
「リチャード殿下」
彼女の呼び声が聞こえたかと思うと、キャロラインはリチャードの手を取った。
「私と、デートしませんか?」
「………………はい?」