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どうせならば俺の手を  作者: 朝吹
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第二章 Ⅳ

 子爵家には昔から本当によくしてもらっている。ソフィアの母の子爵未亡人は母親代わりとなって折々に心づくしの品を送ってくれた。実際のところは侍女がよく気がついて不自由はなかったのだが、細々したところでは本当にお世話になってきた。

 もし義父が不穏分子の後盾で、東の王朝と通じているのが本当のことならば、こちらの子爵家にも累が及んでしまう。やはりもう一度、詳しい話をセレスタンに訊いておきたい。

 そう考えて彼を探したのだが、翌朝からいなかった。

「星まつりの夜、銀燕隊から選ばれた者が飛行披露をすることになっているのです。彼はその予行練習に今日から出ています」

 飛行の披露。セレスタンはまだ負傷からの回復期なのでは。

「彼の場合は療養期間と休暇が続いているだけです。この前飛んでいるところを見ましたが、すっかり元通りでした。ご安心を」

 心配するわたしにホルスト中尉とファウスト中尉は請け合った。


 

 ショールは星まつり当日までに編み上がり、わたしとソフィアは仕度を整えた。空中馬車で送ってもらい、帰りも迎えに来てもらうように御者には頼んだ。

「終了後の大混雑が始まる前に帰ってくるのですよ」

 子爵未亡人が心配そうに送り出してくれた。

 ソフィアの母の心配はあたった。押し寄せた魔法使いで込み合っていて、隣りの声もよく聴こえない。警備兵があちこちにいて整理にあたっているが、一度はぐれたら巡り逢うのは難しそうだ。

「なんて沢山の魔法使いなの、なんて沢山の夜店なの」

 星まつりは日没を合図に始まる。わたしとソフィアは童心に戻ったようにわくわくしていた。 星まつりの場所は天の河だ。夜空の天の河とは違う。はるか昔の戦場址が鎮魂の為の保存地区となっていて、夜露の降りた草原が青光りして星の大河に見えるのだ。会場一帯には夜店の他にも、出し物の大きな天幕があちこちにあり、簡易遊園地も出来ていた。

「これはすごいですね」

 ホルスト中尉とファウスト中尉はわたしたちを両側から挟むようにして、押し合う魔法使いの中で場所を確保してくれた。

 海月のような雪洞がふわふわと沢山浮いて辺りを薄明るく照らしている。星の世界に来たかのように想われた。

「大尉だわ」

 ソフィアが気が付いた。

 見れば、皇帝が臨席するために設えられた水晶雛段の脇に濃灰色の箒を手にしたセレスタンがいる。銀燕隊員と固まって、何やら最終確認の最中のようだった。

「皆さん銀燕なのですか。まだ少年のような、随分と若い魔法使いもあの中にはいるようですが」

「特務部隊は年齢に関係なく選抜制なのです。優秀な者から順番に在学中から隊に配属されて、並行して士官学校にも通います」

「なにしろ、攻守のあいだをすり抜けて敵情視察と伝令の役目を負うものですから、銀燕は戦死者の数が他の部隊よりも多くて」

 そこまで云いかけてファウスト中尉は口をつぐんだ。十代の頃のセレスタンも、待機所に見えているあの少年たちも、きっと戦死した者の穴埋めなのだ。繰り上げ措置として若年から銀燕隊に入れられたのだろう。

「どんな飛行演技を披露してくれるのかしら」

「演習と同じことをするだけです。我々にとっては当たり前ですが、初めて見る方の眼には、曲芸に見えるようですね」

 飛行隊は一度、控所となっている天幕に下がっていった。

「皇帝陛下がお見えになった。はじまるぞ」

 まだ落日の残照が空の雲に朱く残っている頃だった。


 天の河が地上の星ならば、夕暮れ空に現れた彼らは流れ星だった。一騎ずつ飛んできたように見えたものは、左右に分かれ、大空に羽根を拡げたかと想うと等間隔できれいな円形になった。夜光塗料を箒に塗っているのか、航跡がきらりと銀色に光って見える。

「隊長騎を挟んで、右翼です」

「入れ替わりました。中央をいま過ぎたのが彼です」

 わたしとソフィアが幾ら眼を凝らしても薄暮の中で素早く動き回る箒のうちのどれがセレスタンなのか全く見分けがつかなかったがホルスト中尉とファウスト中尉にはちゃんと分かるようだった。

 眼にもとまらぬ素早さで狭い範囲をあんなにも飛ばして複雑な模様を描きながら僚機と接触することなく飛び交っている。あれは、戦場においては敵兵や魔法砲弾を避けて飛ぶ動きなのだ。修練を積み重ねた者にしか出来ぬ紙一重のところを互いにすり抜けて飛んでいる。離れ業の曲芸のように見えるというのは本当だった。

「素晴らしいわ」

 いかなる暴風の中でも彼らは飛ぶ。わたしとソフィアはその銀色の美しい彗星がレース編みのように幾何学模様や花模様、星模様を描いては背面飛行で四方に分かれ、夜を告げる藍色の雲と黄昏の僅かな光の中をまだ見ぬ世界を飛ぶ鳥のようにして何度も往き過ぎるのを、本当に美しいものを見た時にはそうなるように泣きそうな気持ちになりながら見送っていた。

 わたしはセレスタンの姿を見つけた。隊員の箒と交差しながら少し低空を飛んだ今のがそうだ。二股に分かれた上着の裾をすっと靡かせながらセレスタンの箒は観覧席を掠め飛び、貴賓席にいる皇帝に敬礼をして通り過ぎた。セレスタンの後には少年兵が続いた。

 光の尾を曳きながら彼らが夕闇の地平線に向かって一瞬で飛び去っていくのと同時に、天の河には金銀の花火が打ち上がった。星まつりが始まるのだ。

 演技飛行のあいだは消えていた雪洞がふたたび優しい色で灯り出す。

 辺りが仄明るくなったところで、わたしたちは気が付いた。隣りにいたはずのソフィアの姿が消えていた。



 動き始めた混雑の中、わたしとホルスト中尉とファウスト中尉はソフィアを探したが、近くには見当たらなかった。

「少し前まで確かに一緒にいたわ」

「ユディット嬢、動かないで。あなたまではぐれます」

 二人の中尉はわたしの傍を固めた。わたしは不安が募るばかりだった。黙っていなくなるようなことはソフィアは絶対にしない。

「警護兵にも探してもらいましょう」

 そこへ演技飛行を終えたセレスタンが戻って来た。

 事情をきいたセレスタンは顔を引き締め、ホルスト中尉とファウスト中尉の二人と素早く目配せをした。足先で引っかけるようにして箒を倒すと、セレスタンはわたしの前に箒を据えた。

「乗れ。子爵邸に送っていく」

「でも、ソフィアが」

「彼女はこちらで捜す」

 空軍の箒には他の箒にはない特徴がある。魔女の乗る箒の多くには箒の先端に買い物籠をぶら下げることが出来る鈎が付いているが、空軍の箒は、その鈎が上面についている。

 これは何かと中尉たちに訊いてみたところ、彼らは二本ある腰帯のうちの一本を引き抜いてそこに引っかけ、余った端を手に巻き付けた。

「高速で飛び回りながら色々やるので、手綱です。一本綱ですがこれを使うと二人乗りの際にも箒を御しやすい。非常時には書簡筒の紐をこの鈎に引っかけて箒だけを飛ばしたり、救助活動の際にも使います。綱を結び、下に落ちた者を引っ張り上げる訓練があります」

 と使い方を見せてくれた。

 セレスタンはわたしを箒の前に乗せると革の手綱を握り、飛び立とうとした。その前にわたしは箒から降りた。セレスタンは眉を寄せた。

「急いでくれ」

 うん、そうね。でもわたし、二人乗りが怖い。きっと大昔に箒ごと高所から落ちたことがあるから。

「ユディット」

「大丈夫。乗るわ」

 箒は舞い上がった。セレスタンはわたしの身体を引き寄せた。眼を閉じていたわたしは、あまりにも超安定飛行なので本当に空を飛んでいるのかどうか疑わしくなり、確かめる為に怖々と眼を開けてみた。

 濃灰色の箒は家々の屋根が足先の近くにみえるような低空を線を引くようにして真っ直ぐに飛んでいた。二人乗りのうちでも魔女が横乗りしている状態で箒の安定を保つのはとても難しい。飛行技術が高い者だとさほど差はないとはいえ、落ちないように箒を飛ばすのはひじょうに難しいことなのだ。

「銀燕だ」

 白い月がとりわけ大きく見える夜だった。露台に出て花火を眺めていた子どもが低速で過ぎ去る空軍の箒を愕きの眼で見送った。後にしてきた星まつりの花火が夜空に氷色の花を咲かせては粉雪のように散っている。

 子爵家の屋上が見えてきた。迅速を旨とする空軍らしく、たいてい急発進ですぐ飛んで、降りる時も小さな弧を描いて急停止に等しい停まり方をするセレスタンは、その夜は羽根のように静かに屋根に着地した。

 わたしの手を取って箒から降ろした彼は、わたしの手を放さなかった。

「いいと云うまで絶対に屋敷の外に出るな。約束してくれ」

 わたしは頷いた。子爵家の屋上からは、夜の魔都の水晶塔と、天の河の花火が小さく見えた。銀河は宝石函に閉じ込めてしまいたいような深い色だった。

「分かったわ」

 彼の真剣味に気圧されるようにして、わたしは繰り返した。

「家にいるわ、セレスタン」

 彼は掴んだままだったわたしの手を放した。

「ユディット。すまなかった」

 セレスタンの箒は離陸し、星の海に飛び込むようにしてその姿は夜空に見えなくなった。残されたわたしは彼に握られていた手を胸にあてた。今のは、一体どういう意味なの。

「まあ、ユディット」

 子爵未亡人は屋敷に戻ったわたしを見るなり、わたしを抱きしめた。

「今さっき軍の方が来て、ソフィアが帰っていないかどうかを確認していったわ。大丈夫よ、すぐに見つかるわ」

 わたしの不安を払拭するように子爵未亡人は落ち着いた態度でソフィアの手芸籠の中からショールを編んだ時の余り糸を持ってきた。

「この麗糸はそれを編んだ者と深く結びつくの。残った糸があの子の居場所を教えてくれるわ」

 天鵞絨の上に水晶珠を据えると、子爵未亡人は麗糸を水晶珠にかざし、「ソフィアは何処」と半透明の球体に訊ねた。


 子爵未亡人は時間を空けてもう一度水晶珠を試してみると云い、わたしにはもう休むようにと云ってくれた。

「何も心配いらないわ。軍の方々が捜索にあたって下さっているのだから」

 ソフィアの母は気丈にそう云うが、自室にしている三階の客室に引き上げたわたしは心配で落ち着かなかった。昼間、姿見の前で脱ぎ散らかしながらソフィアと一緒に選んでいた衣裳や小物はすっかり侍女が片付けて、室はがらんとしている。

 それからどのくらい経っただろう。星まつりの花火は数回に分けて上がるのだが、その合間だった。そよそよと庭木を揺らしている風の音だけがしていた。

 外から窓が叩かれた。

 はっとなって駈け寄り、鎧戸を開けると、窓の外にいたのは箒に跨った長兄ジュリオだった。



》2-Ⅴ


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