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どうせならば俺の手を  作者: 朝吹
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第一章.護衛は空軍大尉

 箒で空を飛んでいた。雲があかく染まっているから夕方だ。

 わたしを箒に乗せている魔法使いは片腕でわたしを支え、もう片方の手で箒を操っていた。時折、箒がぐらつくのはそのせいだ。

 雲がすごい勢いで流れていく。やがて次第に空が暗くなり、雷鳴を合図に強い雨が降り出した。

 右脚がぶらぶらして、ずっと冷たい。でも風に混じる血の匂いはわたしだけのものではない。わたしを箒ではこぶ魔法使いも大怪我を負っている。

 沢山の箒が背後から追いかけてくる。雷雨に打たれながら箒は雲のあいだを逃げ回る。

 身体が氷のように冷え切っていた。わたしは、わたしを箒に乗せている魔法使いに告げた。わたしを下に落としてもいいわ。

 一人なら逃げ切れるでしょう。

 彼は大声を出した。

 駄目だ、決して離さない。


 

 木漏れ日が明るい蝶のように視界に揺れている。魔都の森林公園で眼が覚めた。空は涼しげな午後の青。魔法界にしかない昼間の月が薄い花びらのように雲の上に浮いている。

 柔らかな陽ざしの中でわたしは身体の力を抜いた。魔女が見る夢には意味がある。またあの夢を見ていたのだ。

「ユディット。大丈夫だよ」

「その脚はちゃんと治るよ」

 二人の兄の声を想い出す。幼い頃わたしが不安になるたびに、長兄ジュリオと次兄アレッシオはわたしの許に駈けつけて、治療中のわたしを励ましてくれた。彼らが確約してくれたとおり、千切れかかっていたわたしの右脚は重い後遺症もなく元通りになった。血の繋がらない二人の兄。

 頁が開かれたまま膝の上にのっている読みかけの本。ソフィア嬢から借りたものだ。これを読んでいるうちに、そよ風に誘われて木陰でうたた寝をしてしまったのだ。夢の最後はいつも決まって、燃え上がる一本の木で終わる。


 ところで彼は何処かしら。


 森林公園を見廻した。森の低空で鳥が群れている。鳥と見えたのは箒に乗った魔法使いだ。そのうちの一人は彼だった。七、八騎ほどの魔法使いを相手にして闘っている。

 慌ててわたしは立ち上がると口笛を吹いた。白い箒がしずしずと足許にやってくる。停止した箒に跨ると、わたしは白い箒に命じた。

「彼の許へ行って」

 箒はまず、もどかしいほどゆっくりと垂直に上昇した。それから次第に速度を上げて空に飛び出した。次兄アレッシオなどは助走している箒に並走して飛び乗るが、わたしにはそれは出来ない。長兄ジュリオにいたっては、「ユディットはもう十八歳の淑女なのだから、空中馬車を使いなさい」と勧める。でも今は緊急事態だし、二人の兄も魔都にはいないからいいだろう。

 乱闘中の魔法使いのひとかたまりは、最初に見た時よりもぐっと北寄りになっていた。ほとんどもう見えない。

 振り落とされないように両手でしっかり箒を掴み速度を上げているところへ、金属のような音がたて続けに風に乗って聴こえたと想ったら、彼がこちらに向かって飛んできた。上空へ一度躍り上がり、舞い降りるようにしてわたしの方にやって来る。滑空する様子はまさにつばめだ。

 手振りで回頭しろと彼は求めてきた。

 彼に指示されたとおりに空中で半円を描いてわたしは箒の向きを変えた。彼の箒が隣りに並んでくる。

「セレスタン。追わなくてもいいの」

「追い払った」

 軍服姿のセレスタンは短く応えた。そして振り返りもせずに付け加えた。

「少し懲らしめておいた。しばらくは魔都に来ないだろう」

 彼の箒は一般の箒とは違う。柄頭には空軍の徽章。色は濃灰色で、質実剛健で重々しい。並んでいるとあちらの気流に吸い寄せられていきそうだ。

 大型の箒を操るセレスタンはいつものように白い手袋をつけている。青灰色の上着は、背中側の裾が長く、二股に分かれている。空軍の中でも『銀燕ぎんつばめ』と呼称されている空挺特務部隊の制服だ。銀燕は魔都の中でも皇帝のいる空域を防衛するのが主たる任務だから、彼はいま、その仕事をやっていたのだ。

 わたしはセレスタンを盗み見た。濃灰色の箒を御しているセレスタンはただ空を飛んでいるだけだが、彼の所属する特務部隊が空を飛ぶと、地上にいる魔法使いの少年たちは「銀燕だ」と憧れの眼でその姿を追いかける。

 薄い雲を突っ切りながら、今度はそのセレスタンがわたしに視線を寄越してきた。

「なにかしら。セレスタン」

「云ったことを守ってくれ、ユディット」

 次兄アレッシオと歳も変わらないというのに、生え抜きの軍人であるセレスタンの眼つきはやたらと鋭い。

 わたしは言い訳をした。

「分かってます。あなたの箒にも、愚連隊の違法な改造箒にも、追いつけないことくらい。どうやら地上から傍観していたほうが良かったようね」

「そうだな」

 無礼すれすれの口調でセレスタンは応えた。わたしの箒は数年前に長兄ジュリオと次兄アレッシオが共同で贈ってくれた特注製だ。全体が白で、中からちらちらと海辺の砂のように虹色が見え隠れする。かわいい箒を兄から贈られた魔女のわたしはもちろん、心を弾ませた。

 いつか素敵な魔法使いとお知り合いになって、この箒で空中散歩をしたいわ。

 右脚の怪我が治ったら箒に乗る。それが幼い頃のわたしの夢だった。成長するにしたがってそこに少しばかり、年頃の娘らしい願望がついたというわけだ。

 その夢は、傍目にはかたちばかり叶ったといえるだろう。空軍の特務部隊『銀燕』は、皇帝の身辺警護に出向することもあってか、選ばれた青年魔法使いばかりで容姿がいいのだ。世話になっている子爵家の侍女たちなど、セレスタンが通るたびに挙動不審になっている。

 わたしは内心で肩をすくめた。

 勲章つきの銀燕さん。いつ見ても不愛想。

「俺はこれから上官に先刻のことを報告に行く」

 逗留している子爵家の屋敷までわたしを送り届けたセレスタンは、着陸もせずにそのまま飛んで行ってしまった。

「お帰りなさいユディット」

「ただいまソフィア」

「大尉はご一緒ではなかったの」

「彼は空軍本部に用があると云って行ってしまったわ」

 セレスタンと闘っていたのは不良の魔法使いたちだ。時折、度胸試しのように箒を連ねて帝都の上空侵犯にやって来る。放置しておくと軍の体面に関わるので、愚連隊を見つけたらその場の自己判断で成敗していいそうだ。

 箒の離発着場である屋上からセレスタンの箒が向かった先には水晶塔が幾つも雲を貫いて聳え立っている。あちらが魔都の中心部だ。

「速いわね。もう見えない」

 ソフィア嬢はおっとりとした仕草で手庇をつくり、屋敷の屋上からセレスタンの箒が消えた青空を見つめた。ソフィアはわたしよりも一つ年上で、こちらの子爵家の令嬢だ。わたしの育ったティリンツォーニ伯爵家とは遠縁にあたり、大昔から密接な交流がある。

「ソフィア姉さん、お茶の用意が出来てるよ」

 階段を駈け上がる音がして、ソフィアの弟のまだ幼いヘルマンが屋上に迎えに来た。

「お迎えありがとう、ヘルマン」

 ヘルマンと手を繋いで屋敷の中に入る前に、わたしは青空を振り返った。わたしが追いかけていなければ、セレスタンは愚連隊を追い払うだけでなく、空中で仕留めていたのかも知れない。




》1-Ⅱ



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