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エピソード 4ー4

 壁には華やかなタペストリーが掛かり、暖かな陽光が部屋に柔らかく差し込んでいる。セイルは優雅に装飾された客間でくつろぎながら、カタリナとアリーシャの感動の再会が終わるのを待っていた。ほどなくして、どこかすっきりした表情のカタリナが部屋に入ってきた。


「カタリナ侯爵夫人、姪との再会は楽しめたか?」


 セイルが立ち上がって尋ねると、カタリナは満面の笑みで『あの子は姪ではありませんでした』と言った。顔とセリフがあっていないため、セイルはとっさに意味を理解できなかった。


「……姪ではなかった、だと?」

「ええ。あの子が違うと言いましたから」

「それを信じるというのか?」


 皇女発見の知らせを受けたとき、セイルは最初から信じていた訳ではなかった。だが実際にその顔を見て、アリーシャが皇女本人だと確信していた。

 だからこそ、姪を必死に探していたカタリナに情報を流したのだ。なのに、カタリナがアリーシャが姪ではないと口にするとは夢にも思わなかった。


「あの子の目的は、立派な孤児院の院長になることだそうです。私はその意思を尊重します。だから、セイル皇太子殿下。貴方も彼女から手を引いてくださいませんか?」

「……そのような提案、呑めるはずがないだろう」


 セイルは苦々しい顔をする。


「呑んでくださるなら、レヴィリス侯爵家が貴方を支持すると言ってもですか?」


 提案されたのは、とても魅力的な対価だった。

 国内で有数の大貴族にして、大陸でも有数の巨大な商会を牛耳るレヴィリス侯爵家が味方になってくれるなら、セイルの地位は盤石になるだろう。セイルがアリーシャをカタリナと引き合わせた理由に、そう言った思惑がなかったといえば嘘になる。

 だが――


「悪いが、アリーシャから手を引くという条件は呑むことが出来ない」


 セイルはきっぱりと拒絶した。カタリナはピクリと眉を動かす。


「レヴィリス侯爵家の支持を必要としていないとおっしゃる訳ではありませんよね?」

「もちろんだ。それを得られるのなら、俺は大抵の条件を呑むつもりでいる」

「なのに、アリーシャから手を引くことは出来ないと?」


 セイルは静かに、けれど確固たる意思を秘めた顔で頷いた。カタリナは思案顔になり、「理由を伺ってもよろしいですか?」と口にした。

 セイルはカタリナから視線を外し、窓の外に広がる中庭を懐かしげに眺めた。


「約束をしたからな」

「約束、ですか?」


 カタリナはその約束について追求するが、セイルは窓の外に広がる中庭を眺め、微風に揺れる草花を眺めて物思いに耽っている。これ以上追求しても答えは得られないだろう。そう判断したカタリナは質問を変えることにした。


「……では、これだけはお聞かせください。アリーシャをどうするおつもりですか?」


 答えによっては敵対することも辞さないと。カタリナはそんな覚悟で問い掛ける。だが、カタリナへと視線を戻したセイルは、まるで迷子の子供のような顔をしていた。


「それは……まだ分からない」

「分からない?」

「ああ。だが……そうだな。俺もアリーシャに嫌われたくはない。彼女の意志に反して、無理に皇族に復帰させるような真似だけはしない。それは、この場で約束しよう」


 セイルとカタリナの視線が交差する。そうして客間に沈黙が降りた。部屋に置かれた置き時計の音だけが響く。そして長い長い一瞬が過ぎ、カタリナが息を吐いた。


「……分かりました。ではその約束が守られる限り、レヴィリス侯爵家はセイル皇太子殿下に味方すると約束しましょう」

「……いいのか?」

「ええ。それがアリーシャの望みですから」

「アリーシャがそのようなことを言ったのか?」

「貴方と仲良くして欲しいそうですわ」

「……そうか。アリーシャがそんなことを……」


 セイルはわずかに嬉しそうな顔をする。まるで初恋の相手に思いを馳せる少年のような顔をしているが、本人には自覚がない。

 カタリナだけがそれに気付き、ふっと息を吐いた。


「ところで、アリーシャは急用ですぐに孤児院に戻るそうです。いま馬車の手配をしていますが、セイル皇太子殿下はどうなさいますか?」

「そうか、ならば俺も出立の準備をしよう」

「……当然のように答えるのですね」


 カタリナはぽつりと呟いた。


「……どういう意味だ?」

「いいえ、なにも。……セイル皇太子殿下。アリーシャのことをよろしくお願いします」


 カタリナはあるかもしれない未来を想像して、少しだけ口元をほころばせた。



 こうして、カタリナとの秘密の会談を終えたあと、セイルはアイシャを伴って馬車へと乗り込んだ。それにわずかに遅れてアリーシャが乗り込んでくる。

 彼女はセイルを見るなり意外そうな顔をする。


「……どうした?」

「いえ、その……セイルさんは、カタリナ様と商談を続けられると思っていましたので」


 言われて気付く。

 仲介役という建前ならもちろん、皇太子という立場で考えても、カタリナと商談を続けるのが本来の役目だ。ここでアリーシャとともに帰るのは責務放棄と言われても仕方がない。


(侯爵夫人に呆れられる訳だな……)


 だが、それを自覚してなお、セイルの選択は変わらなかった。


「フローレンス商会との取引はまた後日おこなうつもりだ」


 そう言って馬車を出発させる。踏み固められた街道を、がたごとと馬車が進む。殺風景な景色を眺めていたセイルは、おもむろにアリーシャへと視線を向けた。


 前に目にしたときと少し年齢が変わっているけれど、優しい緑色の髪に瞳は変わらない。当時の面影は十分に確認できる。セイルのよく知っている少女がそこにいた。


「……セイルさん、私になにかご用ですか?」


 視線に気付いたアリーシャが振り返りながらそう言った。


「いや……急用と聞いたが、なにかあったのか?」

「それは……」


 アリーシャは言葉を濁した。恐らくあまり話したくないことなのだろう。そのまま引き下がることも考えたが、セイルは「無理にとは言わないが、よければ話してくれ」と口にする。

 アリーシャはそのエメラルドの瞳にわずかな憂いを浮かべる。


「……実は、孤児院へ攻撃を仕掛けようとしている者がいます」

「孤児院へ? どういうことだ?」

「孤児院へ嫌がらせをおこなっている集団が裏稼業の人間と接触したそうです。目的は分かりませんが、孤児院の子供達に危害を加える可能性がある、と」


 そんな報告は受けていない――と、セイルはとっさにアイシャを盗み見た。だが、アイシャも聞いていないと、わずかに首を横に振った。


「……なら、孤児院への嫌がらせというのは?」

「エリオさんから聞いていないのですか?」


 アリーシャは首を傾げ、それからエミリアが再び奴隷として連れて行かれるところだったという話をした。もちろん、セイルには寝耳に水だ。


(アリーシャが嘘を吐いているとは思えないが……)


 セイルはそのような報告は受けていない。警備隊と連絡を取っていないのではなく、問題はないという報告を受けているのだ。


(いや、そう言えば、孤児院の借金返済の件でも、連絡の行き違いがあったな)


 アイシャは借金立替の件を警備隊に報告していた。なのに、そのことをエリオは知らなかった。些細な行き違いだと思っていたが、そうでないのなら警備隊に自分を陥れようとする者がいるのかも知れない。

 つまりと一つの可能性に行き当たった。セイルの鼓動が早くなる。


(嫌がらせの対象は、孤児院ではなく俺、か……)


 自分の存在がアリーシャを苦しめている可能性に思い至り、セイルは思わず唇を噛んだ。

 

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