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12.全力で走り続けて

 天亜蘭ティアラは京極家のひとり娘であった。両親にとってやっと恵まれた子供だったということもあって、その教育には金を惜しまなかった。

 天亜蘭自身も、親の期待がわかるだけに勉学に励み小学校から優秀な成績を収めてきた。

 当たり前のように地元でもトップクラスの高校へ進学したが、大学進学をどうするかで両親と対立したのがその後の人生の分岐点となった。

 新潟県内の大学を勧める両親に対し、天亜蘭は東京の大学への進学を希望した。金銭的な問題はなかったが、一人娘を大都会へ単身で行かせることは親として心配であった。が、高校の進路指導の教師の、本人の希望を叶えるべきだという後押しもあって東京で一人暮らしをすることになった。高校としても東京の大学への進学実績が欲しかったから、それに乗る形となった。

 新潟にいるよりも刺激の多い大都会。天亜蘭にとって、そこはまるでパラダイスであった。これまでの生活がまるで鳥カゴのなかだったように感じられた。ことに、同じ経済学部でゼミで知り合った一学年上の彼女――閏木うるうぎ涼美すずみの存在は、天亜蘭を導く灯台のように光り輝いて、大学生活を華やかに彩ってくれた。

 初対面から印象に残る先輩であった。面倒見がよく、エネルギッシュで、さすがの天亜蘭も圧倒されるほどだった。

 これまで学校では勉強漬けであった天亜蘭に対し、そのようなフレンドリーな態度で接してくる人がいなかったこともあって、より新鮮に感じ、いつの間にか、なにかといっしょにいることが多くなっていった。

 サークルにも誘われ、どういう活動内容なのかよくわからないままワンダーフォーゲル部に入部した。けれども仲間とともにあちこちの山を登りきったときの達成感や、同じ目的に向かっていく一体感は、高校までの学校生活では得られないものだった。そのときのメンバーとは現在いまも付き合いがある。



 だがそんな充実した時間もあっという間に過ぎ、三年生に上がった天亜蘭に、新潟の両親――とりわけ母親から、卒業後のことについてしきりに尋ねるようになってきた。

 周囲も就職活動の準備に入っているし、天亜蘭も都会で普通に就職するつもりでいたのだが、両親は地元新潟の企業への就職を勧めてきた。父親はいくつかの事業所を先祖から受け継ぎ維持しているばかりでなく、新規の事業をも手がける実業家であった。一人娘の就職先などどうとでもなった。

 しかも就職は結婚までの間の腰かけで、数年のうちに結婚するのだと臆面もなく真面目に言ってのけるのだった。もちろん婚姻の相手は父親の跡を継ぐ男である。

 ――冗談じゃないわ。

 天亜蘭は反発した。新潟の両親の元に戻ったら、また昔の窮屈な生活に逆戻りであると、自由を知ったいまは強く危機感を抱いた。

「ふうん……そうなんだ……」

 閏木涼美はうなずき、天亜蘭の事情を理解した。そのうえで、

「親御さんの気持ちはわからないでもないけれど、それってエゴだよね。京極さんの人生は京極さんのものだし、本人が将来を切り開いていかないなら大学に進んだ意味がない」

 親の言うとおりに新潟に戻って就職するのなら、なんのためにわざわざ都会の大学に通っていたのか。その四年間、地元で過ごしてもよかったはずだ。

「わたしはここに残りたい。そして人生を謳歌したい」

 天亜蘭は本心を吐露した。

「そうこなくっちゃね」

 閏木は微笑む。

「――ねぇっ、わたしが内定をもらった会社、受けてみない? もちろん、他に就職したい会社があるならそっちを受けてみればいいよ。でも内定はいくつももらえたほうがいいじゃない」

「先輩はもうそこに決めたんですか?」

「うん、鴻円商事。社員数の多い、男社会の大手の大企業では組織が固まってしまってイノベーションを興せないだろうから、伸びしろのある新興の中堅商社にあえて入社するの。インターンシップを経験したけど、雰囲気もよかったし、上場企業だから福利厚生もしっかりしている」

 四年生で卒業を間近にひかえている閏木の関心はもう次のステージへと移っているようだった。活き活きとして語るところを見ていると、天亜蘭も将来が明るく見えてきて、ますます新潟に戻ることなど考えられなくなった。

 そんな天亜蘭に対し、両親は早く安定した生活を送ってもらいたいからと、正月に帰省した際、見合い写真を見せてきた。大学を卒業したら花嫁修業をして、早々に結婚して家を継いでもらいたいという焦りがそうさせたのだろうが、それが天亜蘭の心を一層離れさせる結果となった。

 先に大学を卒業し、鴻円商事に入社した閏木涼美とはときどき連絡をとりあっていた。社内の雰囲気もいいとわかり、天亜蘭は迷うことなく鴻円商事を希望した。閏木以外にも、同じ大学から何人か入社しているというところにも安心感があった。大学卒業後、新潟に戻るとばかり思っていた両親は、東京での就職に難色を示したが、当然のことながら天亜蘭はかまわなかった。

 閏木は、鴻円商事ここでも後輩である天亜蘭の面倒を見た。

 といっても、二人とも入社したての新人であったから、まだまだ先輩社員の補助的業務しか任されなかったが、それでも充実した楽しい日々を送れていた。

 チームで仕事をする機会も増えていき、そこでの達成感も得られるようになってきた。

 順風に見えたビジネスライフであったが、しかし入社三年目でまとまった仕事を任されるようになると、風向きが変わった。

 閏木は入社四年目でチームリーダーとして仕事をするようになっていて、業務改善や新商品の開発、新規顧客の開拓などの会議にも参加するようになっていた。

 ところが、会議でプレゼンテーションをしようとしていた直前、閏木の用意してきた案を、直属の上司である課長が発表してしまったのである。閏木はしかたなく、いくつか用意してきたなかの出来が良くない案を発表せざるを得なくなった。パソコンの内容を覗かれているに違いなかった。

 しかも課長が発表した閏木の案は採用され、正式に進められ、課長はその後、社長賞までをもらうことになったのだ。

 しかも盗用はその一回に限らず、その後何度もあった。

 閏木は抗議したがパワハラまがいの言動で潰された。それどころか閏木は地方へ左遷されることになった。

「あの課長はわたしを潰す気でいるのよ」

 閏木は天亜蘭にこぼした。

 鴻円商事の人事は実力主義であった。成果によっては降格もあり得た。優秀な後輩が役職を取って代わることもあるのだ。課長はそれを過度に恐れ、優秀な部下の芽を若いうちに摘んでおこうと考えていた気配があった。閏木は課長の座をおびやかす存在に見えていたようだった。

「なんとかならないんですか? 部長か先輩に相談してみるとか」

 天亜蘭は、あれだけ元気だった先輩が落ち込んでいるのがショックだった。どこまでも明るい太陽のような存在だったから。

 けれども閏木はかぶりを振る。

「他の人は女のわたしの言うことなんか信じてくれない」

 それから天亜蘭の目を見つめ、

「京極さん、この会社に残りたければ出世するのよ。力を持たなければ潰されてしまう」

 そう言い残し、本社を去っていった。

 将来性を見通して入社した会社のまさかの事態に、天亜蘭は愕然とするのだった。実力を評価してくれるのは歓迎だが、裏を返せば結果を出し続けなければ出世コースから外れるということなのだ。



 経験を積んだ天亜蘭もそのうち課長のターゲットにされるようになってきて、成果を巧妙に盗られだした。

 課長がどうやって閏木や天亜蘭のパソコンを盗み見たのかはわからない。画面に表示されているものを読み取れるツールをこっそり使っていたのかもしれないが、調べることもできない。

 ともかく、このままではいつまでたっても冷や飯食らいであった。

 退職するつもりはなかった。他の会社への就職が厳しいのは知っていた。中途入社は新卒採用のようにはいかない。かなりのスキルを要求される。まだ若いとはいえ、失敗はできないのだ。新潟の両親に真っ当に暮らしているところを見せないと連れ戻されてしまう。

 女だからといって、いまの平待遇に甘んじるつもりはなかった。なんとしてでも正当な評価を得たかった。

 天亜蘭は一計を講じた。

 課長を超えるプレゼンを会議で発表するのだ。会社のパソコンで課長に目にかなうようなクオリティの資料を作成したが、それは囮とし、同時に家のパソコンでべつの資料――会社で作っているものを超える内容のものを作成し、それを本番での発表用とした。そのために睡眠時間を削って作業に没頭した。

 そして会議の日を迎えた。

 思ったとおり、課長は天亜蘭の案をブラッシュアップして発表した。

 一方天亜蘭は、じゅうぶんに検討を重ねて推敲した案を発表した。クオリティやアイデアではこれまで考えていたもののなかで一番であった。

 会議の席で課長が目を見張っているのがわかり、溜飲が下がる思いであった。今後もその手を用い、ターゲットにされそうな社員にも教えることで、課長による盗用の被害を未然に防ぐことに成功した。

 すると相対的に課長の評価は下がっていった。

 そしてあるとき、辞令が下った。

『京極天亜蘭殿 ○月○日をもって○○部課長職に任命します』

 同時に現課長は、地方への異動を命じられた。

 勝った、と思った。閏木の仇をとったかのようだった。いつか本社に戻ってくるものと期待していた。

 しかし閏木涼美は結婚を機に退職してしまった。これからだと思っていた天亜蘭はなんだか裏切られたような気持ちになった。



 二十代で課長に昇進した天亜蘭であったが、前途は安泰ではなかった。後輩よりもレベルの高い仕事をし続けなければとって代わられてしまう。出世コースを歩み出したのなら、常に勝負をしていくことが要求される。その競争から離脱するわけにはいかなかった。新潟に帰省するたびに両親は見合いの話をしてきた。

 天亜蘭は、閏木涼美のようにキャリアを捨てて地方で家庭に入る気なぞなかった。管理職となり、責任ある立場であると主張しても、両親は理解してくれず、反発した。

 なにかいい手はないだろうか――。

 そんなことを考えていたときだった。

 部下の蟹山永盛が目に入った。頑張っているが結果が伴わない後輩であった。すでに入社四年目であるのにルーチンワークでもミスが目立つため、それ以上の仕事となると甚だ心もとない。チームで中心になって業務を進めていく経験をもっと積んでほしい頃なのに同期との差は開くばかりだ。この社員おとこはこの仕事に向いているのだろうか――。

 せっかく採用された人材なのだから、なにか使いようがないものかと、天亜蘭は、パソコンに向かっている永盛を見る。

 そして、閃いた……。



 社内での再調査の結果、今回の多額損失の全容が明らかになり、京極天亜蘭は更迭された。課長職を解かれ、謹慎処分を受けた。

 謹慎中、マンションに一人閉じこもって、これからのことを考えようとするが、ろくな未来しか思い浮かんでこなかった。

 最悪の場合、業務上横領罪だ。懲戒解雇ですめば御の字。

 暗い未来ばかりが見え、精神的に病んでいた。

(まさかこのようなことになってしまうなんて──)

 これは夢ではないかと何度思ったことか。時間が戻せるのなら数か月前に戻したかった。そう、宇松と出会う前に。

 思えば、閏木涼美がいなくなってから、ずっとこれまで一人でつっ走ってきた。誰にも頼らず乗り切ってきた。どんなに困難でも自分には克服できると信じて。

 男なんかに負けないと、肩肘はってがんばってきた。

 一人でも新事業を成功できたはずだ。なのにあんなやつにたらしこまれてしまった。

 プライドをズタズタにされてしまった。

 自分の浅はかさが恨めしい。

 酒量が増えてきた。

 昼間からウイスキーをあおってしまう。よくないとはわかっていたが、飲まずにはいられなかった。支えてくれる家族もなく、いたわってくれる恋人もいない。一人だけの部屋は空虚で静かだった。

 京極天亜蘭はこれからなにをすればいいかわからなかった。

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