灰眸種たちの拠点
絶唱姫の森を出ると、吸血鬼がうじゃうじゃと襲いかかってきた。絶唱姫の呪が復活したことを察し、中に入らず、シュウたちが出てくるのを待っていたようだ。
「ニンゲン……オイシソウ……」
銀色に目を爛々と輝かせた人の形をしたもの。人の形をして、シュウを見てだらしなく涎を垂らしている。
シュウは肩に留まるカラスに声をかけた。
「サヤ」
瞬間。
ざっ、という音を聞き取ったときにはもう、吸血鬼たちの首と胴は分かたれていた。首が斬られなかったものも、袈裟懸けに斬られ、死ぬのは時間の問題だろう。
そんな一瞬の舞で吸血鬼たちを殲滅したのは一人の少女だ。オレンジ色のヘッドドレスを除けば、ほとんど全身黒装束。その幼い体躯に見合わぬほどの精度を秘めた黒い刀が、吸血鬼たちを薙いだ軌跡を黒く描く。
「やれやれ、黒翔の錆にもなれませんよ。こんな低俗ども」
首と胴が分かれていないものの、袈裟斬りされて倒れた吸血鬼の頭を少女の厚底のブーツが踏みつける。忌々しげに、刀を吸血鬼の頭蓋に突き刺した。
凄惨な一方的殺戮の光景にシュウは思わず口をつぐむ。記憶喪失なので、惨殺風景を眺めるのは初めてのようなものだ。
一方、サヤにとっては日常茶飯事のことなので、サヤは顔色一つ変えることなく、黒い刀身であまり目立たない赤い血をぶん、と払った。
「サヤって、強いんだね」
「私が強いのではありません。この黒翔が強いのです」
サヤは黒い刀をシュウに示した。
「黒翔は強い呪でできた刀です。能力は斬ったものの血を吸うこと。血を吸えば吸うほど、黒翔はその切れ味を増していきます」
「……吸血鬼の刀版、みたいな?」
「そうですね」
サヤが一振りすると、黒翔はいずことも知れぬ場所に消える。
「吸血鬼の存在そのものが呪という説もかつてはあったとされます。血を吸って強くなるのは黒翔も吸血鬼も同じです。呪は血液を好みますから。呪は元々は形のない力ですが、形を得る──道具などに宿ることでその力を安定させるのが一般的です」
「絶唱姫の呪は歌なんだよね?」
「あれは例外中の例外です」
歌という形のないものに強い呪を宿す絶唱姫はやはり規格外らしい。なんでも、絶唱姫の血族が代々歌に呪を宿す技能を持った特殊な一族だったのだとか。
隔離世界となる前、三千世界は途方もなく広く、人間も吸血鬼もたくさんいたという。吸血鬼だけを隔離したこの世界は元の世界の百分の一にも満たないとか。
「吸血鬼の蔓延る世界で、人間は呪を駆使して戦いました。刀などの武器に宿すのが一般的でしたね。他にも人間以外の動物を使い魔として、動物を媒介に呪を使う技術も一般的でした。吸血鬼が現れる前の呪は道具に宿して使うものでしたので、この世界を作ったメアは片眼鏡の呪を使っていたと聞きます」
呪という響きから物騒なものを想像していたが、呪が物騒じゃなかった時代もあったらしい。
「吸血鬼は人間に呪を宿したもの?」
「そう考えられていました。ですが……」
サヤの顔が曇る。シュウも自分で言っていて、これまでのどんな説明よりも物騒であることに気づく。
人間という器に呪を宿したら、血を好む呪が吸血鬼という生き物に人間を作り替えるのは目に見えている。簡単にできる生物兵器というわけだ。
「そもそも、人間を器に呪を扱うことは禁忌とされています。それに、呪だとしたら、吸血鬼はおかしいのです。吸血鬼の血液を摂取した人間が吸血鬼となる場合がある、という話は以前にもしたと思いますが」
絶唱姫はそうして吸血鬼になったのだったか。シュウは思い出しながら頷く。
「つまりそれは呪が血液を媒体に感染した、とも言えます。けれど、それなら、呪の籠った道具や武器を使う我々に何の影響もないのはおかしくありませんか? 私たちは呪の籠ったものに触れているのに」
確かに、呪に伝染性があるのなら、呪を使う側にも何らかの悪影響が出てもおかしくない。だが、歴史上、そんなことはなかったし、シュウも呪を宿した拳銃を持っているが、今のところなんともない。
吸血鬼の宿す呪が伝染性のある特殊なものである場合を除けば、吸血鬼が呪である可能性はないに等しい。
「動物を使い魔にして呪を使うとも言いましたが、それも動物そのものを呪にするものではなく、呪を安定させるための媒体として動物を介するだけです。誰もやったことがないのだから、どうなったっておかしくないだろうと言われてしまえばそれまでですが吸血鬼が呪であるというのが一般論でないことは確かです。
呪であるならより強い呪を使える人間が呪として吸血鬼を使役できるはずですし」
と、そこまで語ったところで、サヤは沈黙した。言われなくてもわかるほどに「機嫌が悪い」というのがありありと見て取れる。
シュウは何か気に障るようなことがあっただろうか、と戸惑った。謎に一人でおたおたし始めたシュウに、サヤは告げる。
「嫌なことを思い出しました。シュウさま、私はカラスに戻りますので、ご用命の際は名を」
「う、うん……」
シュウはサヤに聞きたいことがごまんとあるのだが、聞けないまま、サヤがカラスに戻るのを眺めていた。
サヤはカラスの姿でも喋れるのだが、シュウはなんとなく話しかけづらく感じて閉口してしまう。まだ人外である灰眸種の存在を受け止めきれていないのだろう。頭に残った知識と照らし合わせても、到底「常識」の範疇に収まらない存在なのだ、灰眸種は。
けれど、この世界に人間はほとんどおらず、いるのは吸血鬼か、サヤのような動物の肉体を持つ灰眸種なのだという。シュウはどの程度まで話を鵜呑みにしていいのか、判断しあぐねていた。
──だから、サヤにはまだ話していない。ミクに言われた全容を。
全容といっても、「世界を終わらせて」と言われただけだ。何をどうしたらいいのかはさっぱりである。
世界を終わらせるとはどういうことだろうか、とシュウなりに考えてみた。
世界が終わる。この世界においては三つの可能性がある。一つは吸血鬼を全滅させて、この世界が隔離される必要性をなくすこと。吸血鬼がどのくらいいるかわからないが、吸血鬼を隔離するために作られた世界を終わらせるのなら、吸血鬼を絶滅させるのが一番素直な読み取り方ではないか、と今のところは思う。
二つ目は世界の隔離状態を解くこと。これは一つ目とは逆にあり得ないに近い選択肢だ。吸血鬼は人間を殺そうとする生き物というのはもう散々わからせられた。生き物の死骸に取り憑いた灰眸種のことさえ、殺して血を啜ろうとする、恐ろしいものだ。吸血鬼のことを知らないであろう外の人間が、突如解き放たれた吸血鬼たちに襲われたなら、今まで何のために隔離していたのか、という話になる。けれど、深読みすると、外の世界も含めて三千世界という一つの世界だ。それを終わらせるなら、殺戮を得手とする吸血鬼を解き放つのが一番速いかもしれない。かつて吸血鬼と戦い、世界を守ったミクがそんなことを祈らないとは思うが。
最後の一つはこの世界に生きとし生けるもの全てを殺すという、これまた途方もない話である。世界の終焉というと、生き物がいなくなるというのが一番しっくりきてしまう。終焉というか、滅亡だろうが。
戦いばかりで、血が流れる日々が延々と続くくらいなら、そうして終わってしまった方がいいのかもしれない、ともシュウは思う。
一歩踏みしめ、後方に銃口を向ける。直後その凶弾は先程のサヤの斬撃から逃れていた背丈の小さい吸血鬼の脳天を貫いた。
このように、生きているか、死んでいるかを簡単に誤魔化せるほど、この世界は血腥い。シュウの傷が完治していないのもあるが、それにしたって、どこまで歩いても血の臭いがまとわりついてくる。
「取り残しがいましたか。お手を煩わせて申し訳ございません」
「いいよ。どれくらい歩いたかな」
「そろそろ集落の一つも見えてくる頃合いかと」
シュウはサヤの薦めもあり、灰眸種が拠点としている場所に向かっていた。人間が行くのは驚くだろうが、灰眸種は基本的に吸血鬼と敵対する種族であるとのことで、吸血鬼討伐をするのなら、仲間だから顔を覚えてもらった方がいい、という話になったのだ。
吸血鬼は血があれば屍肉でも食らうが、やはり生き血の方が好ましいのだとか。灰眸種は生き物の亡骸を媒介にしている種族であるため、人間と比較すると「ばっちい」のだそう。
吸血鬼の好物である人間がわざわざ出向くとなれば、吸血鬼がシュウに狙いを定めるのは確定事項と言っていい。灰眸種はシュウの顔を覚えれば、近くにいるときに吸血鬼狩りの手助けもしてくれるはずだ、とサヤは言った。
「あ、なんか建物が見えてきた」
「街はまだ遠いですから、ここで誰かに出会えるといいのですが」
そう話していると、集落の方から何かが素早く駆けてきた。吸血鬼か、と身構えるが、吸血鬼は基本的に人の形をしている。子どもにしたって小さい影だ。
「なぁーん!」
「わっ」
シュウに飛びついてきたのは、黒い毛並みに金色の瞳を持つ猫だ。
猫を避けようと仰け反った勢いでシュウは転ぶ。シュウの肩から降りて、人の姿になったサヤが、溜め息を吐きながら、猫を捕まえた。
「サヤさま! サヤさま!」
猫から無垢な子どもの声がする。サヤにすりすりとしているところから、随分と懐いているようだ。喋って、サヤの名前を知っているということは、この黒猫も灰眸種なのだろう。
「キロ。もう人形になる力もないのに、歩き回るんじゃありません」
「サヤさま! サヤさま!」
「はいはい」
サヤが宥めるように撫でると、黒猫が言った。
「セナが来ています!」
「なんですって」