魂魄
ゆっくり話でもしますかね、とカイはベッドサイドに古びた椅子を持ってきた。
「ミクがシュウを殺したことは、誰にとっても衝撃だった。ミク自身も、たぶんつらかっただろうな。銀の森で歌っているのも、シュウへの償いのためだろう」
「銀の森?」
「ミクが歌っている湖の森だ。名前の由来は特に知らん。ミクの体は湖の下にある。歌っているのはミクという本体じゃなくて、ミクの魂ってとこだな。魂魄の概念は知っているか?」
知らないので、シュウが首を横に振ると、カイは簡潔に説明してくれた。
「魂魄っていうのは、魂と肉体ってことだが、簡単に言うと、コップと水の関係だな。魂は水、魄と呼ばれる肉体は器、コップのようなものだ。世界のあらゆる生き物は魂と魄が同時に存在することで『生きている』って表現される」
コップがなければ、水は形を持てないし、水がなければコップは空だ。魂魄は水とコップという例えはわかりやすかった。
その魂魄の考え方は呪にも適用される。呪という力が器を得て強固なものになるのは、呪が水に相当するからだ。呪という形質の顕現をするために器として形のあるものが必要という話である。
灰眸種もわかりやすい例だ。魂のみになった呪の使い手が、動物の亡骸という空の容器に入ることで顕現する。輪廻転生のない世界で、魂が魄を見つけて生きるというのは重要なことであるらしい。
「そういう点で考えると、やっぱりミクの歌姫の呪は規格外なんだよな」
ミクの体が水底に眠っているということは、シュウが見たあの少女は魄なしで呪を放っているということである。
「歌姫の呪……ミクの呪は例外ってセナさんも言っていました。どういうことなんですか?」
「呪を極めた一族の二大巨頭というのがあってな。そのうちの一つがミクの属していた歌姫族なんだ。歌姫の呪、歌を歌うことによって害あるものを退ける呪というのは歌姫族特有のもので、あのセナですらお手上げになる難解かつ特殊な呪の形態なんだ」
「……実はミクって、すごい?」
「とんでもなく簡単にまとめると、そういうことになるな」
器なしで水が形を持つ。普通はあり得ない。が、それを可能にしているのが歌なのだという。
「歌姫族は体質からして、他の者とは違う。オレが禍ツ眸で見た限りだと、歌姫の呪しか扱えないが、歌姫の呪を扱えるだけで他のデメリットが全て帳消しになるからな」
「あっ、だからミクは灰眸種になれないんですね」
「ご明察。歌うことしかできないって、ミクはコンプレックスだったみたいだけどな。
オレだって、見ることしかできないが」
カイは左目に手を当てる。
「禍ツ眸って……どんなものが見えるんですか?」
「この世の全て、だな。抽象的だが。千里眼を追い求めて朽ちた魂たちが集った呪だと言われている。不老不死と言い、人間はその身に過ぎたものを求めすぎるから、その戒めとして、禍ツ眸は存在するという」
「戒め……」
「そ。過ぎた力を手にすると、ロクなことにならないって戒め。禍ツ眸は千里眼のように万物を見通すことができるが、見たいものだけを見るわけじゃない。目に映ったものは全て見えてしまう。だから知りたくなかったことまでわかってしまう。例えば、ミクが吸血鬼になった原因とかな」
「ミクが吸血鬼になった原因ってなんですか?」
シュウが思わず起き上がると、カイはシュウの唇に人差し指を当て、押し返した。
「そうやって人はすぐ知りたがる。世の中、知らなくていいことなんて山ほどあるのに。だから教えてはやらん。オレが教えた方がいいと思ったことしか教えない。……禍ツ眸には、そういう理性が必要だ。だから人間に取り憑く」
ベッドにぽすん、と戻りながら、シュウは切ない気持ちになった。カイは一人で禍ツ眸という呪を背負って生きようというのだ。
ぽつりと尋ねる。
「つらくないんですか?」
シュウの問いにカイは軽く笑った。朗らかで少し可笑しげな笑い。
「つらいとか、もうそういうのは遠い昔に置いてきたからな。知ってるか? 見た目はこんなだが、隔離世界ができる前の時点で、オレはもう三百年は生きている」
「三百!?」
「呪が器の情報を書き換えるのさ。禍ツ眸は只人には過ぎた力だからな。器を頑丈にした結果、千年生きる体となるのは普通になった」
だからこそ、オレは決して外の世界に残ってはならなかった、とカイは告げる。
それもそうだろう。カイが不老不死に近い存在として認知されれば、人の飽くなき欲求は第二、第三の禍ツ眸を生み出すだろう。その力を手にするために争いが起きてもおかしくないし、望んでいないのに力を手にしたせいで、力を欲するものに隷属することになるかもしれない。
「大いなる力には幸運より災禍が宿る。まあ、隔離世界の維持に必要ってのもあるが、オレが外に残らなかった理由だな」
「そういえば、隔離世界の維持って……禍ツ眸の他にも三大呪がこの世界に残ったんですよね? どうしてその一つである銀の茨の蔦が、僕の手に……」
シュウの問いに、カイはんー、と多少濁してから、答える。
「禍ツ眸で見る限り、オマエと五十嵐終は魂が同じだ。だからオマエと五十嵐終を同一視したり、オマエを終の転生体と見たりする。呪も一緒さ。慣れ親しんだ水の方が居心地がいいんだろう」
シュウはおや、と思った。禍ツ眸によって、シュウはあっさり五十嵐終の転生した姿だと断定されてしまった。
こればかりは仕方ないだろう。魂が同じだなんて言われても、実感は湧かないし、別人格であることに変わりはない。禍ツ眸に映る真実を否定する材料をシュウは持たない。
それに、銀の茨の蔦のことはあまり嫌いじゃなかった。双銃という生き物を殺す道具だけれど、夢で見たような誰かが、見守ってくれているような安心感を覚える。それはシュウが銀の茨の蔦にとって慣れ親しんだ水だからだろう。悪い気はしない。
それに、昔のシュウと重ねて見られることへの抵抗感も言うほど大きくはないのだ。自分は自分で別人だとは思うけれど、かつての「シュウ」の面影を見ることで、心の拠り所になるかもしれないから。
歌い続けることしかできない悲しい少女も、シュウに兄の面影を見ることで、少しでも心安らかであれるのなら、それは願ってもないことだ。
そこでふと気づく。
「シュウは歌姫族じゃないの?」
「……バレたか」
歌姫族は歌姫の呪しか使えないはずだ。それなのに歌姫族の妹を持つ五十嵐終は銀の茨の蔦という呪を扱える。
まあ、男で歌姫と言われても微妙な気分だが。
「シュウは歌姫族じゃないよ。ミクと血の繋がりのない、けれど歌姫族と関わりの深い器だ。
銀の茨の蔦という、大きな呪の」