青灰の少年
「おーい」
「ん、んんぅ……」
「おおーい」
「ん……」
「ん、じゃねえよ。いつまで寝てるつもりだ。そろそろお前のお守りは飽きたぞ起きろ」
知らないけど会ったことのあるような少年の声がした。学校で、同じクラスだから声を聞いたことはあるけれど、顔と一致しないみたいな、そんな感じだ。
学校? 学校ってなんだ?
なんだか、起きなきゃいけないような気がする……
「起きろ、五十嵐シュウ!」
「はいぃっ!」
名前を呼ばれて、シュウは文字通り飛び起きた。静かにしろ馬鹿、と少年の声が飛んでくる。
声がした方を向くと、そこには左目を隠した水色の髪の少年がいた。シュウと同い年くらいの見た目だが、見ていると何故だか底知れないものを感じるような気がした。
「おはよう寝坊助。よく眠れたか?」
「は、はい……」
「どこまで覚えてる?」
どこまで……シュウはまだぼやっとした意識の中、記憶を辿る。
記憶喪失しているせいか、どうにも記憶を遡るという行為が苦手だった。わざわざ竜の逆鱗を逆撫でしに行っているような心地の悪さを覚える。
確か、裏切り者の灰眸種と呼ばれる青年? 少年と会って……
「あれ? ユウって子は僕そっくりの見た目だったけど、あなたは一体?」
「ユウのことについてはオレでもよくわからん。知らん方がいい部類の、どうせろくでもない話だ。気にするな」
むしろ自分と瓜二つの顔の人物を気にしない方が無理ではないだろうか。
胡乱に少年を見つめると、少年は吐息と共に名乗った。
「オレはカイ。カイ=アスター。ええっと、あと何か言っとくことある?」
「はい……灰眸種?」
「ん? あぁ……そういえばそういうんだっけ。あまり獣の方の姿にならないが、そうだな。オレは灰眸種翡翠族というらしい。青灰色の目になった。まあ、翡翠族は数が少ないから、比較対象はあまりいないし、オレ自身が何かと比較するのに向いていない」
翡翠族。初めて聞いた。灰眸種の中にも様々な種族がいるらしいが、カイの口振りからするに、目の色で呼びわけているようだ。
黒曜族のサヤは黒灰の瞳、紅玉族のセナは赤灰、石英族のユウは銀灰の瞳をしていた。青灰の瞳をしているのが翡翠族。他にもいるのだろうか。
黒猫の姿をしていたキロは金目だったが、サヤが同胞として扱っていたから黒曜族なのだろうか。まだまだシュウの知らないことは多い。
「えっと、僕のこと、五十嵐終って呼んでいたけれど、君も終さんの知り合いなの?」
「その顔で自分の名前さん付けするのか」
「だって、セナさんたちと戦った終さんと僕とは別の命、別の人物ですよ」
いくら面影を見られても、シュウの中に「五十嵐終」の記憶はない。輪廻転生が本当だったとして、シュウはかつて彼女らの仲間だった終ではないのだ。
重ねられると、少し心が苦しい。
「残念だが、オマエが顔の同じユウのことを気にするのと同じで、オマエは終と顔が同じだ。ずっと共に戦ってきた同胞だからこそ、回顧せざるを得ない」
それより、とカイはむすっとした顔になる。
「移動するぞ。ユウの提供とはいえ、いつまでも人間のオマエがここにいるとヤツらに嗅ぎ付けられる」
「え、待って、ユウの提供?」
ユウは灰眸種でありながら、吸血鬼と組んでいる裏切り者なのではなかったか?
ヤツら、というのは大方吸血鬼のことなのだろうが、そうなると、吸血鬼に与しているはずのユウが吸血鬼から身を隠すための場所を提供してくれたということになる。頭がこんがらがりそうだ。
カイは渋い顔をする。
「ユウのことはオレも詳しくはわからない。ただ、信用はしていいし、セナやサヤより強い」
「強い人がどうして吸血鬼に」
「問答をしている暇はない。立て」
「はい」
カイからの威圧が強い。任意でそうしているのかはわからないが、目に見えない圧迫感が小柄な体に分不相応なくらいに備わって見える。
シュウはカイについて、部屋を出る。あまり気にしていなかったが廃屋だ。けれど天井に穴がないだけ、この世界においては立派なものだろう。
「あのアホに会ったなら隔離世界のことはあらまし聞いただろ」
「アホって」
「セナ・エル=ブランシェだ」
「ああ、やっぱり知り合いなんですね」
それにしてもアホって。
「この世界はメアという大馬鹿野郎が世界の理をねじ曲げて『閉じ込めた世界』だ。外で何千年、あるいは何万年と経ったかは知れぬが、この世界の時間は止まっている。上を見ろ」
カイに指示された通り空を見た。少し加減を間違えて首を痛めたが、カイの言いたいことはわかった。
頭上には煌々と輝く紅い月。それはシュウがこの世界で目覚めてから、満ちても欠けてもいない。
目覚めるといつも夜だと感じていたが、シュウが長く眠っていたのではなく、そもそも時間が経過していない扱いになっているのだ。
「三千世界から切り離されたこの世界は三千世界の恩恵を受けられなくなった。その証拠に時間が進まない。殺したら灰眸種も吸血鬼も死ぬが、物質の時間だけは経過し、天の時間は止まったままだ。三千世界のように変革をもたらすには三千世界からの来訪者が必要だった」
「それが僕っていう話?」
「ああ」
動けるけれど、自然の時間が止まった世界。それはなんとも奇妙で理解しがたい。ただ、この満ち欠けを失った紅い月を見ていると、「世界の理から外れた」という仰々しい響きの説明も爪の先くらいは理解できる。
時間がほとんど止まっている。だからどれだけ時間が経っても廃屋が風化しないし、雨が降らずとも木は瑞々しいまま、森の姿を象る。
灰眸種が器とする動物の死体もその恩恵を受け、腐敗しない。だから彼らは立っていられる。アンバランスな気持ちの悪い世界だ。
「この世に気持ちの悪いものなんて他にいくらでもある。ほら、見えてきた」
小さな森を抜けると、大きな屋敷が見えてきた。今まで見てきた建物のほとんどが廃屋だったため、その立派な佇まいに、シュウは息を飲む。
こんな大きな屋敷、たぶん元いた世界でも見たことがない。
「あの屋敷に入るんですか?」
「入らない。近づくだけだ。あそこは吸血鬼の住処の一つだ。見せたいものがある」
シュウはカイに疑問を投げかける。
「カイは吸血鬼と戦わないんですか?」




