哀切の歌
『……う…………て、し……お……』
誰かの声がして、シュウはゆらりと瞼を持ち上げた。自分は暗い空間に俯せていて、心当たりがなくて、ぼんやりこれは夢なんだ、と理解した。
『シュウ、起きて』
その言葉がはっきりと聞こえて、シュウはぱちりと目を開けた。焦点が合ったはずなのに、辺りは暗いまま。声の主もそこにはいない。
ただ、向こうに白銀の二丁拳銃が落ちていた。細かな花の装飾が施されているあれは見間違えようがない。銀の茨の蔦だ。
『シュウ』
声は銀の茨の蔦からするように感じた。
「ミク?」
上手く立ち上がれず、シュウは這いずるようにして、双銃に近づいた。双銃が答える。
『違います』
「え」
虚を衝かれてしまう。脳内に響くような澄んだ少女の声は絶唱姫ミクのものとしか思えなかった。
一度聞いたら忘れられないような心に染みるような声。奥底にずきりと痛みをもたらすような気がするけれど、その痛みさえ愛しく思えるような優しい声。
けれど、声の主はミクではないという。
『ああ、でもミクはまだ生きているのね。まだ私たちの歌は歌い継がれているのね』
「あなたは、一体……」
ミクではないと言ったが、ミクと無関係というわけではないらしい。「私たち」とは。それに歌がどう、と言っている。ミクの呪は歌だ。やはり何か関係があるのだろうか。
『ああ、あなたは何も覚えていないのね。無理もないわ。そうでなかったものが、人間というまっさらな魂として生まれ変わったんだもの』
「……え」
聞き捨てならない。まるで、シュウが元は人間ではなかったような言いようだ。否、今ここにいるシュウ自身のことではない。
ミクやセナが「シュウ」と呼んでいた、彼女らと共に戦った「シュウ」が人間ではなかったかのような言い種だ。
五十嵐終という人物の生まれ変わりである、という話をシュウは鵜呑みにしたわけではない。だが、人間のために吸血鬼と戦って命を落とした人が人間ではない、というのは、どうも辻褄が合わない気がするのだ。少なくとも、シュウは銀の茨の蔦という呪を使いこなしていた。だから吸血鬼ではないはずだ。吸血鬼は呪を使えないはずだから。
吸血鬼と人間しか存在しない世界だと思っていたが、それ以外があるのだろうか。
『ああ、不安にさせてしまったわね。大丈夫、あなたはちゃんと人間よ』
あなた「は」ということは、やはりシュウの前世とされる「シュウ」は人間ではなかったということを語っている。
聞きたいことはたくさんある。けれどやはりまずは……
「ミクじゃないなら、あなたは誰なんです?」
『私……私たちはね、歌姫族』
歌姫族? なんだか妙にわかりやすい名前をしているが……
ええと、とシュウが戸惑っていると、少女の声が続ける。
『この世界には三大呪が存在する。禍ツ眸、黒翔、銀の茨の蔦。三つの危険な呪が人に害を成さないように、それぞれに管理する一族が与えられた。そのうち銀の茨の蔦を管理するのが私たち歌姫族』
「待って、待ってください。今、黒翔って」
黒翔はサヤの持っていた刀の名前だ。それが三大呪?
『黒翔は黒曜族が管理しています』
「こくよう……」
サヤは灰眸種黒曜族と名乗っていたはずだ。人間時代から黒曜族という一族だったからなのだろうか。けれど、サヤには記憶がなかったはず。
『禍ツ眸はアスターが。あなたの言うミクは私たち歌姫族の子孫です。歌姫族ももう生きていないと思ったから、あの子が生きているだけでも安心したわ』
生きている……? そうだっただろうか。
疑問が犇めく中、シュウは少女の言葉を聞いた。
『私は歌姫族が銀の茨の蔦の中に残した遺志。あまり長くお喋りはできないけれど、声をかけてくれれば、あなたの疑問に答えるくらいはできるわ。目が覚めた後も』
「疑問なんて、たくさんあるんですけど」
わからないことだらけ、というよりひどいかもしれない。中途半端に情報を持っているために、情報を線で結ぶことができなくて持て余しているのがシュウの現状だ。ただでさえ混乱しているというのに。
『そうね。あなたにはたくさん話さなければならないことがある。でもね、私たちは銀の茨の蔦と互いを封印し合っている状況なの。だから、銀の茨の蔦の力を凌駕してあなたに話しかけるだけでも一苦労なの。封印を続けていくためには、少しずつしか話せない』
「どうして、封印し合わなきゃならないんですか?」
銀の茨の蔦が強力で凶悪な呪なのは聞いているが、歌姫族と封印し合う、というのがいまいちぴんと来ない。
『呪は意志の力なの。人のように言葉を発しないだけで、情念はある。付喪神の話に近いかしら。銀の茨の蔦は人を殺しすぎたせいで狂ってしまった悲しい呪なの。道具は人に操られることしかできない。けれど、拳銃という殺戮のさだめに抗いたくて、意志を持ってしまった銀の茨の蔦がいざ人を操ってもできるのは人殺ししかなかった。だから狂ってしまったの。これ以上狂わないように私たちが封印しているけれど、この子は自由になりたくて、私たちの力を封印しようとしている。
悲しいの。人を殺したくなくて、自我が芽生えて、せっかく自由になれたと思ったのに、結局できることは人を殺すことだけだった、なんて』
シュウはなんだか切ない気持ちになった。銀の茨の蔦は殺戮の呪と言われている。けれど、白銀の美しい拳銃は殺戮など望んでいない。それなのにできることは殺すことだけ。無情な無常を感じる。
黒翔も、そうして狂った存在なのだろうか。刀は人斬り包丁と呼ばれる。殺すことがその道具に与えられた役割だ。
道具にも意志があるなんて、誰が考えただろう。シュウはそんなこと、想像していなかった。ただそれができるから、銀の茨の蔦で吸血鬼たちを撃ち殺していた。呪がそのことで心を痛めているなんて、そもそも痛めるような心があるだなんて、思いもしなかった。
どうして、こんなに悲しくて残酷な世界なのだろう。心なんて持たなければ、つらくなんてなかっただろうに。
『ああ、もう話せる時間がない。シュウ、最後に一つ』
声が考えるシュウの脳内に言葉を残す。
『あなたは、あなただけは、この子たちを愛してあげて。きちんと使ってあげて。この子たちを肯定してあげて。お願い、シュウ』
「……わかりました」
──道具は使われることが本望だ、と聞いたことがある。
そんなの人間の勝手な決めつけでしかない。道具に心がないなんてことも、人間の勝手な思い込みだ。
それでも、この拳銃たちが、使われなくていい世界を作るためには、今は手に取らなくてはいけない。
吸血鬼と灰眸種の争いなんて、終わらせなければならない。戦いを終わらせるために戦うなんて矛盾していると言われるだろう。シュウだってそう思う。
けれど、話し合いや他の方法が通用していたら、武器なんて作られなかったのではないか。勝手な理由で戦わせておいて、矛盾だなんて捨てるのは無責任ではないか。
シュウは銀の茨の蔦を手に取った。途端に体が軽くなる。
「まるで僕の体の一部だったみたいだね」
そう語りかけるも、銃が答えるはずもなく。
遠くで、歌声がした。
『君には今、聴こえていますか?
私の声、届いていますか?』




