宵闇に哭く
禁忌の灰眸種。
灰眸種とは生き物の亡骸に魂が呪として取り憑くことで成り立つ死んでいる生き物だ。その法則でいくなら、別に人間の死体に別な魂が取り憑いても、何も不思議はない。
びりびりとシュウの首筋を殺気が焼く。その殺気を向けているのはサヤだった。シュウが止めたからこそ手にしていないが、本当なら黒翔を振るいたいのだろう。このユウという少年に対して。
セナがつらつらと言葉を継ぐ。
「呪が物体を媒介にした方がいいという話はしたわよね? メアが隔離世界という呪を作るにはメアには圧倒的に足りないものがあった。メアそのものの呪の馬力よ」
「でも、騎士団のみんなが協力したんですよね?」
「それはもちろん。それでも足りなかったの。だから世界最強の呪が必要だった」
シュウははっとする。ぐ、と握りしめたのは鈍い輝きを放つ白銀の拳銃。三大呪とされる銀の茨の蔦。その前の持ち主は五十嵐終という名前だった。
シュウはユウに振り向く。自分とそっくりの銀灰の瞳は微かに笑んでいた。シュウの言葉を待っているようだ。
「五十嵐終の魂は隔離世界の外に出したけれど、体は隔離世界の中に残されて……それを使って灰眸種になったのが君ってこと?」
「ご明察」
ぱち、ぱち、ぱち、と乾いた拍手が疎らに響く。吸血鬼たちがそれに反応し、シュウとユウの方へ近づいてきた。サヤが黒翔を振り抜く。
シュウは双銃をかちゃり、と構えた。その銃口が向いた先、黒灰色の目が見開かれる。
「サヤ、じっとしていて」
「シュウ、さま?」
「大丈夫、吸血鬼たちは今、僕たちを襲わない。無益な殺生はやめて」
「何故……!」
「何故って、それは」
かちゃり、ともう一つの銃口を反対側に向ける。向けられた銃口にユウは一ミリも動じる様子はなかった。
シュウは淡々と、サヤの目を見たまま告げる。
「今は全員が僕の射程圏内だから。この吸血鬼たちはユウの護衛だよ」
「さすがだな」
ユウの感嘆にシュウは振り向かない。少し気味が悪かったのだ。
自分と同じ顔をした人間は世界に三人はいる。会ってしまうと死ぬ。そんな感じの都市伝説を聞いたことがある。ドッペルゲンガーと言ったか。
それに出会してしまったような気分だ。死にはしないのだろうけれど……自分と同じ顔をして、自分が浮かべないような表情をする。自分と同じ姿形の別な生き物。否、灰眸種は生き物ですらない。そのことを踏まえると、ユウという少年の存在は気持ち悪かった。
けれど、ユウをここで殺してはいけない。そういう本能的な警鐘が頭の中で鳴っているから、シュウはサヤを止めるのだ。自分と同じ顔の人物を目の前で殺されるのが胸悪いからというのもあるが。
サヤはユウを見てはっと鼻で笑った。
「護衛役の吸血鬼を連れて歩いているんですか。随分と偉くなったものですね。裏切り者が」
「頭が固いのは相変わらずのようだな、黒曜の」
シュウを挟んで火花を散らし合うサヤとユウ。そういうのはよそでやってほしい。特にサヤからの殺意の本気度が強くて、シュウは正直、充てられている。
殺意を引っ込めてもらわないと話が進まないから、とりあえずこの二人の関係を説明してもらいたいところだ。
「サヤは裏切り者裏切り者っていうけど、ユウが一体何をしたの?」
「見ればわかるでしょう」
「見てもわからないから聞いてるんだってば」
ユウに関して、シュウの中では人間の死体を依り代にしているということくらいしかわかっていない。元人間の灰眸種たちの倫理観で、人間の死体に取り憑くのがアウトなのはなんとなくわかる。人体実験が嫌われるのと同じ理由だろう。人間がホルマリン漬けにされている絵面とネズミが漬けられている絵面なら、ネズミの方がましだ。
だが、死体に取り憑くのは灰眸種にとって命を繋ぐための行動だ。手近に他の動物がいなくて、人間の死体に取り憑くしかないことなんて、ありふれていそうなものだが……それは決して「裏切り者」と謗るに至る理由にはならないだろう。
たぶん、というか九割九分、ユウが吸血鬼を引き連れていることに関係あるのだろうが……
「そいつは灰眸種の恥にして汚点。吸血鬼に跪く者。吸血鬼と敵対していたはずの者が吸血鬼のご機嫌を伺って、吸血鬼に媚びへつらうことで生き延びているんです。そんな卑しい輩を裏切り者と呼ばずして、何と呼ぶんですか?」
きっと何か理由がある。……とシュウは言いたかったが、そんなことを言ったところで、サヤが簡単に納得するとは思えない。お前に何がわかる、と言われてしまえば、シュウには返す言葉がない。シュウはこの世界のいろはを氷山の一角ほども知らないのだ。
サヤの説得は諦めて、シュウはユウに目を向ける。ユウは静かな笑みを湛えて、シュウを見つめていた。ぱちりと銀灰と銀灰が交錯すると、シュウの胸がざわりとした。何か鳥肌の立つような心地がする。同じ顔だからだろうか。こんな表情、シュウにはできないからだろうか。
ユウには何百年何千年と悠久の時を確かに生きたような底知れなさがある。人間のシュウでは到底及ばないような、おぞましさをおぞましいと思わない不動不変がユウという人格の軸にあるのが見てとれた。
サヤが攻撃したところで、ユウは爪の先ほども動揺せずにかわすのだろう。そんな想像ができてしまうほど、格の違いが感じられる。
「君は、何をしに来たの?」
シュウはゆっくりと問いかけた。サヤに向けていた銃口は下ろして、ユウに向けた銃口に集中する。
集中すると、心のざわめきが消えていく。静かに、冷たくなっていく。冴え冴えとした月光の下、銀色と黒を纏うユウは映えた。
「お前を迎えに来たんだ、シュウ」
すらり、と白い手が差し伸べられる。シュウはそれに見向きもしなかった。
先程はサヤを窘めたけれど、シュウとて人の血を食らう吸血鬼に味方しようとは思わない。自分の命が、現に吸血鬼のせいで脅かされているのだ。自分の命を狙う者は敵とみなしていいだろう。
吸血鬼側のユウについて行くつもりなど、微塵もない。
「口説くならもっと言葉を使ってよ。僕はそんな簡単に靡かないよ」
「そうだろうな。それなら、お前にこの世界のことを教えてやる。これならどうだ?」
現状、喉から手が出るほど情報が欲しいシュウにとって覿面な口説き文句だ。思わず喉の奥でぐう、と呻いてしまった。
けれど、命の恩のあるサヤや情報源となりそうなセナと敵対するようなことはしたくない。
「足りてるよ」
「だと思った」
背後でサヤがほう、と溜め息を吐くのがわかった。シュウを信用していないわけではないのだろうが、不安だったのだろう。
しかし、その緊張の弛緩を見逃すほど、裏切り者の石英族は甘くなかった。
「だから拐わせてもらう」
「がっ」
「シュウさま!」
ユウの動きがシュウには見えなかった。いつの間にか間合いを詰められたと認識すると同時、脳が揺れ、意識が閉ざされていく。最後に感じたのは浮遊感。
聞こえたのは、ユウの言葉。
「さあ、お前の望まぬ方へ、歯車を漕ぎ続けるぞ、メア」