禁忌の灰眸種
吸血鬼は片付いた。シュウとサヤは崩れた建物を片付けていた。
そこからするりと赤い毛並みが出てくる。シュウの顔がぱっと明るくなった。
「セナさん!」
シュウが呼ぶと赤毛の猫はするっと人の形になった。
「ふふ、あんなことであたしが死ぬと思って? これでも歴戦の猛者なんだから」
「ですがセナさま。あれしきの低級吸血鬼なら、セナさまは近寄らせすらしなかったことでしょう。何故わざと誘き寄せたのです?」
「さ、サヤ、そんなつんけんしなくても」
シュウがサヤを宥めるのを見て、セナはくすくすと笑った。悪戯っぽい少女の笑みだ。
セナはサヤに告げる。
「それは当然、お客さまがいらしたからよ」
途端。
ざわ、と先程とは比較にならない数の吸血鬼がシュウたちを取り囲んでいた。サヤは無言で黒翔を抜き放つ。
「待って」
シュウが飛び出そうとしたサヤの腕を掴んで止めた。「シュウさま?」とサヤが振り向く。
シュウは吸血鬼たちの中心に一人、人の影があるのを見た。自分と同じくらいの背格好。というか、よく見ると……
瞬間、その顔がシュウの眼前にあった。その間に黒い刃が割って入る。シュウは驚いて、二、三歩退いた。
銀髪、白い肌、銀灰色の目……髪が結えるほどに長いこと以外はシュウと瓜二つの少年が、そこに立っていた。
「退きなさい」
サヤが憤怒の籠った声で言う。いや、怒りだけでは済まされないほどの燃えたぎる感情がその声音には乗っていた。真っ直ぐな黒翔の刃は今にもシュウと瓜二つの少年の首を刈り取りそうだ。
「やっと来たか、シュウ」
「……!」
この少年も、シュウのことを知っている。
シュウと瓜二つの容姿をしていることから、シュウと何も関係がないと考える方が難しいが、なんだか違和感があった。
同じ容姿をして、同じ声で。けれど違う世界で過ごしてきた他人に違和感を感じるのは無理もない話だろう。だが、それだけでは済ませられない何かがむず痒さとしてそこにある。
漠然とだが──この人は、違う、と。
「その汚い口で軽々しくシュウさまの名前を口にするな」
「サヤ」
「シュウさま、お下がりください」
サヤの殺気の立ち方も異様だ。元々、サヤは吸血鬼に対する憎しみが深い。が、この少年は吸血鬼ではない。シュウはそのことを察していた。
吸血鬼でないのなら、この少年は一体何なのか。人間が吸血鬼の群れを率いてきたわけではないだろう。吸血鬼たちにとって、人間は餌でしかない。この世界にいる人間は吸血鬼から隠れて暮らしているという。吸血鬼に追われているというのならともかく、この少年に夥しい数の吸血鬼が微動だにしないのは人間だと考えると違和感がある。
とするならば、この世界にいるのはあと一種族しかない。少年はサヤと同じ灰眸種だ。
けれど、同胞なら、サヤのこの殺意は一体……
「裏切り者の石英族が!」
サヤが黒翔を振り抜く。少年は事も無げに後方に飛びすさって避けた。サヤの刃は速かったはずだが、少年は無傷。相当の手練れだ。
裏切り者、とサヤは叫んだ。何のことを言っているのかは、この世界のことをあまり知らないシュウでもすぐわかった。
石英族と呼ばれた少年は吸血鬼に襲われない。灰眸種にとって、吸血鬼は仇敵とさえ言えるのに、吸血鬼たちは少年に付き従っているようにさえ見えた。付き従っているとまでは言えなくとも、普通ならすぐに襲いかかってくるところなのに、それをしない。誰かの号令を待っているようだ。
つまり、この少年は、灰眸種でありながら吸血鬼の味方をしていることになる。
サヤが激昂するのもわかる。だが、シュウは今この少年を殺してはいけないような気がした。根拠はないが、すごく嫌な予感がしていた。
「紅玉のセナはさすがに聡明だな」
「それはどーも」
「黒曜のサヤは……相変わらずだ」
サヤは音もなく、少年に迫り、その首に刃を走らせる……はずだった。
がきん、とぶつかり合う音がする。黒翔を受け止めたのは、白銀の銃だった。
「シュウさま、そいつは裏切り者です。斬らないと」
「サヤ、まずは話を聞こう」
「裏切り者に貸す耳などございません」
頑ななサヤがぐぐ、と押し込んでくる。最強の呪と言われるだけあって、銀の茨の蔦はそれで壊れる様子はないが。
シュウは何か重大な言い訳がないとサヤが止まってくれないことがわかった。脳を回転させる。何か、サヤが納得するような要素は……
「サヤ、今この人を殺したら、辺りの吸血鬼が一斉に襲いかかってくるかもしれない!」
「全て斬ります」
「サヤはできるかもしれないけど、僕はできない。だからこらえて」
シュウが言うと、サヤは怯えたように目を見開き、無言で刀を消した。シュウはほう、と息を吐く。
たぶん、銀の茨の蔦を使えば、吸血鬼を殺すことはできるだろうが、シュウは動けるものの戦闘経験において自信がないのだ。それに、セナを守りながら戦うのは厳しいだろう。
それにこれは予測であるが……サヤは誰かと一緒に戦うことに向いていない。全て斬る、という発言、実行の途中経過にシュウとセナの存在は換算されているだろうか。シュウと出会ってから、シュウが指示したとき以外で、サヤは連携を取る様子があっただろうか。
サヤは強いのかもしれないが、それは一人で戦う上での強さだ。少年を斬るのにも、シュウやセナが邪魔をせるなんて、一ミリも考えていなかった様子である。
「サヤを止めてくれてありがとう、シュウ。物分かりがいいと助かるわ」
「それはいいですけど、ちゃんと説明してください。ただでさえ僕はまだ何もわからないのに」
シュウには記憶がない。記憶がなくても三大呪の一つが扱えたり、吸血鬼と戦えたりするが、情報の整理はついていないのだ。それに思考を割きながら吸血鬼と戦うほどの余裕はない。
それに、セナはこの少年が来たのをわかっていたような口振りだった。わざと、この少年が来るのを見過ごしていたのだろう。世界を俯瞰的に見られるセナが何の意図もなく、そんなことをするわけがない。同じ灰眸種というのなら、裏切り者ということだって知っているはずなのに。
「とりあえず、自己紹介してくれる?」
セナが赤灰色の目を向けると、少年はゆっくりと息を吐き出す。
「俺は灰眸種石英族のユウ。シュウ、お前に会いに来た」
「……君も、僕を知っているの?」
「ああ」
ユウは頷き、自分の体を示す。
「この体は人間だった五十嵐終のものだからな」
シュウが目を見開く傍らで、サヤがぎりぎりと拳を握りしめていた。
ユウが仄かに笑う。
「俺は人間を依り代に呪を使う、禁忌の灰眸種だ」