魂を掬う
「食い合う……共食いってことですか?」
「そ」
セナはさらりと肯定する。
「考えてもご覧なさい。吸血鬼は生き血を啜る生き物なのよ? 人間は数えるほどしかいないし、灰眸種は死体よ。動物の死体がほとんどのこの世界で、生きている最も多い種族は吸血鬼以外にいないわ」
ぞっとする。人間の生き血を吸うのも充分おぞましいが、死体からでも血を啜ろうとする貪欲さ、食らうためなら同胞を殺すことも厭わない無情さ。吸血鬼の醜さが窺い知れる。
人間とは違う生き物だ。
「けれど、人間が共食いをしないだけで、共食いというのは自然の摂理としてある。戦争があって、貧しいとき、人は人の肉だって食うのだから、吸血鬼の共食いをああだこうだ言う資格はないわよ。それでも、人間はよほど極限まで追い詰められないとそんなことはしないから、吸血鬼をおぞましいと思うのでしょう。
吸血鬼が人間の形をしているから、より忌まわしく感じるのね。……そんな吸血鬼と人間の違いは血を吸うかどうかだけじゃない。呪を扱えるか否かも関わってくる。まあ、つまり、共食いをしたら、呪で死ぬわけじゃないから、魂が淀みを生むのよね」
輪廻の理からも隔離された世界で、死んだ魂は行き場をなくして漂う。呪が使えれば、生き物の死骸を使って灰眸種となることができるが、吸血鬼は呪が使えない。
そんな吸血鬼の魂でこの世界が埋め尽くされないのは、敵対している灰眸種が呪のエキスパートで、呪でとどめを刺すからだ。呪で生を終わらせれば、魂は報われ、輪廻に行かずとも浄化される、とセナは語った。
そこまで振り返り、シュウはん、と疑問符を浮かべた。
「だとしたら、なんで灰眸種が存在するんですか? 呪によって魂が浄化されるなら、メアさんの呪に巻き込まれたあなたも、利用された騎士団の方々も、魂だけ残るなんてことはないはずです」
セナはくすっと笑った悪戯めいた少女の笑みだ。
「それが理から外れながら、この世界が世界として確立した理由よ。メアの世界を隔離する呪はね、灰眸種が生まれるところまで計算づくだったの」
騎士団のメアの呪に加担した者たちは、吸血鬼に深い恨みを持つ者たちだった。
「吸血鬼を滅ぼさなくては、死んでも死にきれない……あたしからすれば、馬鹿みたいな考えよ。彼らの恨みを叶えるために、この世界が用意された」
「せんじょう……」
メアの呪に加担した者たちにも、少なからず理に逆らった罪がある。彼らはメアが負担しきれない分の贖罪のために、魂をこの世界に残された。
メアはそこまで計算していたのだ。これ以上被害を拡大させず、吸血鬼を滅ぼす。そのためには舞台が必要だ。吸血鬼と吸血鬼に恨みを持つ人々だけが立ち回れる舞台。当然、そんな都合のいいものは存在しない。
だが、存在しないのならば、作ればいい。そうして編み出されたのが隔離世界の呪。騎士団の彼らは呪の完成の人柱であると同時、死を恐れず吸血鬼に立ち向かい続ける敗残兵だ。
呪の力が尽きるそのときまで、吸血鬼と戦い続けることで、吸血鬼を殺すのと、吸血鬼の魂を呪で浄化することを両立させ、世界を作ってしまった免罪符とする。そこまで計算し尽くして、メアは隔離世界を作った。
正気の沙汰ではない。メアも騎士団に所属していたという。それなら、仲間たちを自身の道連れにしたようなものだ。確かに、人間に害を成す吸血鬼は殺す必要があるかもしれない。だが、ここまでする必要はあっただろうか。
しかも、セナに至っては、人柱になることを了承していない。シュウは凍えていくような冷たい感覚のする胸を押さえ、セナを見る。
セナは諦めたように笑っていた。
「あいつはいつもこうよ。綿密に計画を立てているの。無謀で突発的な作戦に見えても、メアの脳内では砂が城を築いている。
こうして、世界を客観的に見て、説明できる魂として、あたしをこの世界に取り込んだ。あいつはそういうやつよ。この世界にあたしの他に、吸血鬼を滅ぼすこと以外を目的として生きているやつはいないでしょうからね」
「セナさんは……それでいいんですか?」
「いいわけないでしょ、お馬鹿さん。でもね、あたしだって待っていたのよ。あなたを」
シュウが銀灰の目を見開く。
「僕を?」
静かに頷き、セナは続ける。
「この世界はいつか終わる。吸血鬼が滅べば終わるけれど、魂の淀みが世界を腐敗させるのが先かもしれない。吸血鬼が滅ぶ前に、灰眸種が滅ぶかもしれない。メアが何かの拍子で消滅すれば、その瞬間に呪が解けるかもしれない。あらゆる終わりの可能性を秘めたこの世界を確実に終わらせる。あたしたちの悲しみを終わらせる。そう、約束したの。仲間だったシュウと」
「……僕はそのシュウさんなんですか?」
「シュウをこの世界に巻き込まなかったわ、あのメアも。だから、シュウは死んだとき、輪廻へ行き、転生したはずよ。それがきっと、あなた」
セナは立ち上がり、シュウの頭を撫でる。愛し子を愛でるように。
赤灰の目が天井を見上げる。
「馬鹿よねえ。それまで何千年だって、人間は吸血鬼と対峙しながら、子孫を残し、生き延びてきた。死に物狂いにならなくたって、子孫を残していけば、いつか、遠い子孫が吸血鬼を滅ぼすか、和解をもたらしてくれたかもしれないのに」
ぴし、と天井から音がする。不穏な音に肌がざわりと嫌な風を受ける。シュウはセナを見た。
セナの赤灰の目は、天井に入った亀裂を見つめている。──亀裂?
「頼みがあるの、シュウ」
セナは亀裂をじっと見たまま、シュウに告げる。
「ミクやメアは『世界を終わらせてほしい』とあなたに頼むでしょう。あたしもこんな世界なんて終わればいいと思うけどね」
ぴし、ぴしし、と亀裂が広がっていく。崩れてきそうな天井から目を離したセナは、笑顔だった。
「あたしは世界じゃなくて『あたしたち』を終わらせてほしい。そう願うわ」
その声とセナの姿は、瞬間、轟音に呑まれた。それまでじっと話を聞いていたサヤが何処とも知れぬ場所から黒い刀を抜刀し、シュウを掴んで、後方へ飛び退る。
吸血鬼たちの群れが、家を破壊した。




