理の罰
セナの言葉にはメアへの怨嗟が存分に含まれていた。
「メアさまがセナさまを陥れたということですか? そんな……」
「そうよ。あいつはあたしの幼馴染みだから、わかっていたはずよ。あたしがエルを置いていけないことも、隔離世界の外|に呪なん|ていらないことも」
「え」
サヤとシュウは目を丸くする。
「吸血鬼のいなくなった世界に、呪なんて必要ないのよ。魔法が使えたら、人間はそれに依存してしまう。便利なものは好きだもの。それに、失われた魔法としての呪を使えるのが、世界であたし一人になってしまったら? 騎士団のほとんどは呪を扱える人間だった。でも、呪って誰でも彼でも簡単に使えるような代物じゃないのよ。危険な力だからね。時には生き物の命を奪うもの。あたしは魔法を捨てなきゃ、人々に崇拝されるか、兵器として扱われるかという未来しか用意されていなかった」
「そんな、それ以外の方法だってあるでしょうに」
「そうなのよ!」
セナがだんっと床を踏みつける。ものすごく悔しそうな表情をしていた。
「可能性なんていくらでもあるのに、メアはその両極端しか見ていなかったの。だからあたしに『外に行くなら魔法は捨てろ』って意味で、あたしからエルを取り上げようとしたのよ。何がムカつくって、あいつはそれが善意だと思っていそうなところよ!」
ふんすふんす、とセナは鼻息を荒くした。
この件について、セナはずっと誰かに話したかったのだろう。だが、内容は世界の創造主への悪口である。人選を誤れば、セナの評判はがた落ちするだろう。もしくは、メアを不審に思う者も現れるかもしれない。
セナはメアに怒っている。けれど、メアの行動を疑ってほしいわけではないのだろう。隔離世界メアに崩壊の危機を訪れさせたいわけではないことは確かだ。この世界が隔離されることが間違いだったとしたなら、セナは最初から全力でメアが隔離世界を作るのを妨害すればよかっただけである。セナ以外の全員が賛成していたとしても。
失われた魔法を使えるセナなら、不可能ではなかったはずだ。
「セナさまは、メアさまの居場所はご存知ですか?」
「あいつなら、わりとこの世界を自由に飛び回ってるわよ。もっとも、見えないだろうけどね。メアは霊体だから」
「霊体……幽霊ってこと?」
「まあ、そんなとこ。メアは隔離世界の呪を完成させ、維持するために自分の持つ呪を全部注いだから、灰眸種にはなれないのよ」
灰眸種とは、死んだ人間の魂が呪として動物の死体に取り憑くことで生まれた種族だ。それはもはや生き物とは呼べないかもしれないが、この世界のほとんどは灰眸種と吸血鬼だという。
人間や吸血鬼など、死んだものの魂のことを霊体と呼ぶのだという。この論理なら、霊体を持つメアは灰眸種になれないこともない。
だが、メアには取り憑ける器がなかったのと、隔離世界創造で呪を使い果たしたのと、隔離世界を作った代償として、呪が使えなくなったというのがある。
世界を隔離する、という考え自体が異端なのだ。普通なら思いつかないし、思いついたとして、実行する力を持たない。
セナ曰く、それは世界の防衛本能的理なのだという。人々に理を犯させないために、理を犯すほどの力を持たせない。それで帳尻を合わせているのだ。
その均衡を破ったメアは世界からすれば大罪人である。
「けれど、隔離世界が成ったのも、メアが消滅しなかったのも、世界がメアに罰を科す代わりに許したからよ。メアに罰を下すには、メアの魂がなくちゃ意味がないからね」
「その罰っていうのは、メアさんが世界中を飛び回ってるっていうのに関係あるんですか?」
シュウの問いにセナがんー、と考える。人差し指がふにふにと唇を弄るのは癖なのだろうか。少し艶かしく見えた。
「関係あるかも? 隔離世界は旧世界の理からも隔絶しているから、その帳尻合わせの全部をメアがやってる」
理、隔絶、帳尻合わせ、全部……何もかもが壮大で頭がどうにかなりそうだ。
シュウが目を回していると、セナが例えば、と続ける。
「旧世界では『輪廻転生』って考え方があったのよ。死んだものは死者の世界を旅して、次の生まれ変わり先を決めて、まっさらな魂になって生まれ変わる、みたいな。でも隔離世界で死んだものは輪廻に還れないのよね。『輪廻転生』の考えからも隔離しているから。なら、死んだものの魂はどうなるかっていうと、まあ、呪の使える人間は灰眸種になるけど、死んで呪が使えなくなった人間もいるし、吸血鬼は呪を使えないのよね。あ、絶唱姫は例外よ。あの子は元人間だから」
そこまで聞いて、シュウはふと、絶唱姫の森で散らした呪のようで呪でない黒い雲のことを思い出した。
「輪廻に戻れない魂が漂って……淀む?」
「正解! 飲み込みが速いのはいいわね。魂が膿み出した淀みは、一つ一つは大したことはないのだけれど、集合すると災いになる。それを浄化して回るのがメアに与えられた罰の一つね。罰っていうか、世界維持のために必要なことでもあるけど」
「淀んだ魂は世界も崩壊させうると?」
サヤの顔が少し強張る。サヤはあの黒い雲が形成されていくところを見ていたから、より恐ろしく感じるのだろう。
セナは首を傾げる。
「んー、正確には、この隔離世界を崩壊させうる、かしら。隔離世界は世界の一部を切り取っただけだから、世界の百分の一にも満たない大きさなのよ。その中に大量の人間と吸血鬼を詰め込んでいるわけだから、無理があるのも仕方ないことね」
うーん、スケールが大きい、とシュウは頭が痛くなってきたので、脳内でスケールダウンを試みた。
世界が大きな紙だとして、隔離世界がその一部を丸く切り取ったものだとしよう。世界の大きさが変わるのに、人口密度は高くなる、みたいな感じだろうか。
土地が狭いのに人が多いと不便が起きるし、あるいはもっと広い土地を求めて外の土地を目指そうとするだろう。隔離世界は「メアの呪」でそれらを無理矢理抑え込んでいる形だ。
「でも、さっき、キロの魂は……」
「あ、魂の浄化の法則、知らないんだっけ? 魂は呪によって報われるの。呪を使って殺すなり癒すなりすれば、淀みを生むことなく、安らかに眠らせられるのよ。まあ、この世界は呪のエキスパートがたくさんいるから、淀みは比較的発生しにくいのだけれどね。キロのように、吸血鬼に襲われた場合は呪で死ぬわけじゃないから」
吸血鬼は呪を使えない、というのはなかなか難解な謎だ。
「あと、吸血鬼同士でも食い合いがあるからね」