第九話 人ではない生き物
今代の聖女アンフィアは非常に優秀だった。
五年前に会った時よりも遥かに聖女としての能力が高まっていた。
これは、元侯爵領付近まで予想を遥かに超えたペースで浄化を進めていたのも納得だった。
アンフィアは私に言った。
「結構良い感じで浄化が進められているので、侯爵領全体の浄化も時間はかからないと思います。半年もあれば、大丈夫だと思います」
馬車の中、アンフィアはそう言った。
私とアンフィア、そしてエルフのリザンヌ、アンフィアのお付きの女性従者の四人で馬車に乗る。
セスはもう一台の馬車に乗せている。周囲の騎士達には彼を少しでも害したら許さないと重々言い聞かせているので、手は出さないと思っているが、少し不安だった。
クランプとマンセルにも声はかけている。きっと彼らも見張っているはずだ。
私が心ここにあらずの様子で外を眺めていると、アンフィアは私に言った。少し面白がるような口調だ。
「心配なのですか? 王太子殿下が」
「元王太子殿下よ。今は私の奴隷で、私の愛玩物」
「大変なご寵愛ぶりですね。殿下も貴女に夢中のご様子で。羨ましいくらいですわ」
「欲しがっても、アレはあげられません」
「残念ながら、私は不犯の誓いを立てているので、殿下をどうこうできませんわ。ただ羨ましいだけです」
「そう」
馬車の窓からの風が、私の赤い髪を揺らす。
それをどこか眩しそうに、アンフィアは見つめていた。
「なるべく早く浄化は終えます。貴女への負担はかからないようにします。それを貴女に伝えたかった。本当は貴女を呼ばないで欲しいとお願いしたのですが、それは出来なかったんです。ごめんなさい」
アンフィアが心底そう思っていることは感じていた。
私は、自分の人並外れた魔力を使うことによって自分の寿命を著しく削ることになっていた。彼女はそのことを詫びているのだ。
双子の弟の豊富な魔力を受け継いだといっても、その肉体は一人の人間のもので、本来器として耐えられるものではない。使えば使うほど、少しずつ見えないところから朽ちていく。
ただ、元から長く生きるつもりはなかったので、構わなかった。
「そう。でも、皆が私を呼ぶ気持ちはわかるわ。それが私の義務だから。きっと彼らは」
その後の言葉を飲み込む。
何度も何度も、その言葉は私の中のエヴェリーナを責め立て、エヴェリーナはその魂を粉々に砕け散らせた。
きっと彼らは、私にもっと早く死んで欲しかったから。
飲み込んだその言葉を察したエルフのリザンヌは、私の手を握り締める。
「こんな仕事はさっさと終わらせて、早く帰りましょう、エイヴ」
その手に、言葉に私は引き戻される気持ちになった。
私は素直にうなずいた。
「うん、早く帰りたいね、リザンヌ」
道の先に、魔獣の巣があると聞いた。
だから、私は単身馬に乗り、そこに突っ込むことにした。
その作戦を聞いたセスは呆然としていた。
「エヴェリーナが一人で魔獣の巣に突っ込むって、何でそんなことをするんだ。死ぬだろう」
必死に止めようとする彼。
私は笑って言った。
「大丈夫。私は死なないの」
彼は何を馬鹿なことを言っているというような視線で私を見つめ、私の腕を掴んで止めようとする。その伸ばされる手を払い、私は馬に跨り駆けていった。
振り返りもしなかった。
半刻後、血に塗れて少し疲れた様子の私が戻ってきた時、彼は汚れることも厭わずに私を抱きしめた。
私は単身、魔獣の巣に突っ込んだ。全身を強化魔法をかけている私は、矢のように速く敵の中に突っ込める。
そして、蠢く魔獣の群れの中で、私の持つ最大限の攻撃魔法を炸裂させるのだ。
ちょっとした爆弾のようなものだった。
事が終わった後、周囲は魔獣達の肉塊と血で覆われる。さすがに多くの魔力を失う私はふらついた。
馬は途中で逃がしている。
そうしないと、私の魔法に巻き込まれるからだ。
そして一人とぼとぼと、皆の居る場所まで戻るのだ。
それがいつもの、私を使った攻撃手段だった。
味方には被害が出ず、敵を殲滅することのできる効果的な方法だと思う。
考案した騎士のバルドゥルは頭がいい。
私の魔力はごっそりと抜けてしまうのだが。
バルドゥルは私を使うことしか考えていない。
だって彼は私のことを嫌っているからだ。
早く侯爵領を浄化したいと願っているのだろう。
だが、どんなにその地を綺麗にして取り戻しても、彼の仕える侯爵家はもうない。
矛盾した行動をとっていることに、彼は気が付いているのだろうか。
騎士達が声を潜めて囁いている。
「さすが“赤の姫君”。恐ろしい女だ」
「アレはもう人間ではない。獣のようだ。あんなに血に濡れ」
「素手で獣を引き裂いたのを見たぞ」
そう、彼らの言っていることは間違いない。
私はたぶん、もう人間ではないのだと思う。
セスは私をぎゅっと抱きしめ、騎士達をその右目で睨みつけると、すでに立てていた野営テントの中に私を引きずり込んだ。
そしてすでに用意していた盥の水を温め、清潔な布を浸し、私の身についた赤い獣の血を拭き取っていく。
その間、彼は唇を噛み締め続け、無言だった。
淡々と盥の水で拭い、そして新しい水を盥に汲んできて、それでまた私の手や足の血を拭っていく。
「エヴェリーナ……大変だったろう。疲れたか」
「少し疲れたわ」
「横になるといい。眠った方がいい」
「うん」
彼は私の髪を撫でる。その手に私は触れた。
「ありがとう」
優しくしてくれて、ありがとう。
こんな私を大事にしてくれて、ありがとう。




