第十話 奴隷の思い - 朝のしくじり -
目が覚めた時、一瞬どこにいるのか理解できなかった。
柔らかな寝具の感触に、動揺すら覚える。
奴隷の自分が、こんな手足を伸ばして柔らかな布団の中で眠れるはずがない。
慌てて起き上がる。
寝台から下りた方が良いかと思って下りると、足がもつれて絨毯の上に倒れた。
それに、部屋の中にいたらしい女の声がした。
「あらあら、怪我したんじゃないの? 大丈夫、セス」
それに、私は声のした方向に顔を向ける。
その声は、自分を購入した女主人のものではなかった。
誰だろうと、緊張して身を強張らせると、その女はこう言った。
「私は貴方のご主人様に仕えている、使用人の奴隷です。宜しくね、セス。昨日も会ったのだけど、覚えているかしら。私はリザンヌといいます」
他にも奴隷を使役しているのかと思うと、驚く思いだった。
よほど、あの女主人は羽振りが良いらしい。
「貴方のご主人様は他の奴隷を連れて、仕事に行きました。あなたと一緒にここに来た時のマンセルやクランプも、奴隷です。それはもう知っていた?」
「いいえ」
私は首を振る。
「じゃあ、知っておくべきね。ご主人様はこの屋敷で私達奴隷と一緒に暮らしています。貴方もその仲間入りしたということです。ご主人様は素晴らしい人です。私達には一切、鞭を使いません」
「…………」
「私達はご主人様に誠実にお仕えしなければなりません。セス、貴方は目が見えないなら、その分だけ勘を働かせて、そして誰よりも先に動くようにしなさい。ご主人様はお優しいから、貴方を存分に休ませて、貴方の身体が良くなることを待つおつもりでしょう。でも、捨てられたくないのなら、ちゃんとした方がいいですよ」
それは、彼女なりの忠告だったのだと思う。
奴隷の身で、主人の寝台で一緒に横になり、朝は主人よりも遅くまで眠りこけている。
とんだ怠慢だ。
「……はい。わかりました。ご助言ありがとうございます」
そう言うと、リザンヌは口調を和らげた。
「苛めるつもりはないわ。貴方とは仲良くやっていきたいの。目に、布を被せて欲しいという話だけど、私がかけてよいかしら」
「はい、お願いします」
床に座る私の後ろに、リザンヌは回って、前髪を上げ、布を目の部分に被せて後ろで結んだ。
「瞼は綺麗にポーションで治したから、別に隠すことはないと思うのだけど」
「目をいつも覆っていたので、その方が安心するんです」
「綺麗な顔をしているのに、勿体ないわね」
リザンヌは私の手を取った。
「では仕事を教えてあげるから、一階に行きましょう」
そう言った。
リザンヌは、私の右手を引く。そして私は左手で壁に触れていく。
「そろそろ、階段ですか」
私の問いかけに、リザンヌは少し驚いていた。
「そうよ。よくわかったわね」
「歩幅で、覚えてました」
「そう」
目が見えないのだから、当然だった。
階段など、最も気を付けなければならない場所だろう。
階段の段数も数えていた。
滑らかな手すりを伝わりながら、私は階段を降り切った。
一階に辿りつくと、開いた窓から風が入り、甘い花の匂いがした。
「良い香りがする」
「花を植えているの。エイヴは、庭は私の好きにしていいと言ってくれたから、綺麗な花をたくさん植えているのよ」
エイヴ
奴隷の身でありながら、リザンヌもマンセルもクランプも、主人のことをそう呼び捨てにしていた。
普通なら、あり得ない。
だが、鞭も使わない良い主人だという。自分に言わせれば、奇妙な主人だった。
「朝食の支度は出来ているから、食べてくれる? それを食べたら、仕事を教えてあげる」
「はい」
リザンヌは食堂らしき部屋に、私を案内してくれた。
椅子を引いて、私に座るように言う。
内心、私は感動していた。
椅子に座って食事を取るなど久しぶりだった。
床に、皿が投げて置かれ、その手で冷え切った残飯を口に入れる日々だった。
与えられるだけでも良い。何も渡されず、すきっ腹を抱えていたことも多い。
目が抉られず、まだ容色を保っていたときはそんな仕打ちはなかった。
身体を痛めたら、あっという間に下の下まで堕ちていった。
カトラリーが用意される。ひんやりとした金属製のそれに、内心私は驚いていた。
奴隷にこんな立派なカトラリーを使わせるのか。
私はパンを手に取り、シチューの皿につけて食べる。
肉らしきものがあり、ナイフとフォークを使用して食べようとするが、やはり目が見えないのでうまくいかない。
リザンヌが「ごめんね。どこまで貴方ができるか見たかったから、今回は普通に用意したけれど、次回は配慮するわ」と言っていた。
私はそうしなくていいと言った。
こうして普通に食べてみたかった。
時間はかかったが、食べ終わった。
だが、時間がかかり過ぎるのはよくないだろう。もっと早く食べられるようにしなくてはならないと思った。
ぐずぐずと足を引っ張る奴隷だと思われたくなかった。
そう、私は、この屋敷の者達に早く自分を認めてもらいたかった。




