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終わらない会見

作者: 橘星月

芸能人が不祥事を起こした。詰め寄るマスコミを前に、所属事務所の社長が会見を始めたが……何かがおかしい

 所属タレントが不祥事を起こした場合、事務所側の対応は大きくふたつに分かれる。

 ひとつは、何事もなかったかのように完全無視を決め込んで、取材にも、ネットの炎上にも対応しないこと。とはいえもちろん、水面下で隠密部隊が激しく動いてゲスな三流マスコミを懐柔したり、各種SNSに火消しのコメントを投稿したりはする。が、表向きは完全なスルーだ。

 「当社は関知しておりません」

 このひと言で、すべてを片付けてしまう戦法なのである。

 そして、もうひとつの方法だが……。

 この日俺は、2歳年上の芸能担当記者といっしょに、“ある会見”の場に来ていた。

 マスコミの前に立つのは、いまや芸能界のキャスティングボードを握っているとも言われる大手タレント事務所の代表取締役社長。所属する超売れっ子の俳優が反社会的勢力とつながりを持ち、いつしかズブズブの関係になって、金品のやり取りまで行っていた……という、言ってみれば“よくある”事象についての経過説明を行うというのである。この社長、ふだんはテレビにも雑誌にもいっさい顔を出さず、現場のことはすべて部下に任せてきた印象があったが、今回ばかりは自らが語らないとマズいと判断し、嫌々ながら出てきたようである。

 というのも、じつはこの会見に先立つこと3日。渦中の俳優自身が「記者会見を開く」旨をマスコミ各社に連絡してきて、事務所のあずかり知らぬところで涙ながらの釈明会見を行っていた。さすが俳優だけあって、その会見はさながらヒューマンドラマのワンシーンを切り取ってきたかのような趣を持ち、ネット上には、「感動してしまった」、「気がついたら俺、涙流してて草」、「これもう、許されただろ」などという無責任な書き込みがあふれたのである。まるで“キチンと監督をしてこなかった事務所が悪い”と言わんばかりの風潮に、事務所サイドとしてはブレーキをかけなければならない。そこで、スーパーレアな“社長降臨”が実現することになったってわけだ。

 「しかし、経済担当のお前まで出張るとはな。やっぱり、影響は小さくないというわけか」

 先輩の山下が、下卑た笑いを浮かべながら俺に言った。

 そう、俺はふだん、芸能人や芸能事務所の会見になんてまず来ない、経済部の担当記者である。ただ今回は、問題を起こしたのが超大手の事務所であること、そしてマイクを持つのが政財界にも影響があると言われるほどのやり手であり、滅多に表に出てこない社長自身ということで、経済部の担当デスクから、「お前も行ってこい。何かネタが拾えるかもしれん」と言われて、馳せ参じてきたというわけだ。


 そして、2019年8月25日13時。記者会見が始まった。冒頭、当該事務所の法務部の男性から経緯説明が30分ほどあり、社長がマイクを手にしたのは13時30分をちょっと回ったころだったと思う。

 「社長の、山田でございます」

 恰幅のいい50がらみの男性が、ちょっと太った体形とは不釣り合いな甲高い声を出した。

 「社長、緊張して声が上ずってるな」

 先輩がノートPCを広げながら「けけけ」と笑う。この先輩はかつて、強面でならした政治部のエース記者だったが、3年前に芸能部に飛ばされてから完全に“そっち”に染まってしまった。こういった会見に来る記者はたいがい、先輩と同じく変人のオーラがある。

 先輩が言うように、社長はちょっとたどたどしい、聞いているこっちが不安を覚えるような口ぶりでボソボソとしゃべり始めた。……じつは正直、あまりにも回りくどくて奥歯にものが挟まったような口調だったので、メモを取るのもしんどかったくらいだ。まわりの記者から、「おいおい。頭の中でまとめてからしゃべれよ」、「自分で何を言ってるのか、わかってるのかな」なんていう、俺の気持ちを代弁したかのような小さなヤジが漏れていた。

 まず、冒頭のあいさつからしておかしかった。ちょっと文字に書き起こしてみる。集まったマスコミに向かって、社長はつぎのように語ったのだ。

 「えー、このたびは、あー、当社の所属タレントである松波清五郎の事件……いや事件じゃないな……不祥事! ……これもダメだな……えーっと……も、問題! そう問題について、キチンとワタクシから説明と釈明と謝罪をさせていただきたく思い、お足元が悪い中でありますが、マスコミの皆様をお誘いした次第であります。本日はご多用のところ、我々のためにお集まりいただきまして、両家を代表して御礼申し上げます。ご列席たまわった皆様には、感謝のしようもございません」

 先輩が、口に含んでいた水を思わず「ぷっ!」と噴き出した。「なんだなんだ。誰かの結婚式か!?」。

 でも、この冒頭のあいさつはまだマシなほうだった。この後、たどたどしい経過説明があったのちに記者との質疑応答に移ったのだが……これが、とんでもないことになったのである。

 最近、スクープを連発しているイケイケの週刊誌記者が真っ先にマイクを持ち、社長に質問をぶつけた。

 「週刊サウザーの小沢です。まず、事実関係から教えてください。実際に、金品の授受はあったのでしょうか!?」

 眉間に皺を寄せた難しい顔でマイクを持った社長は、再びぎこちなくしゃべり出した。

 「えー、週刊サウザーの小沢記者の質問にお答えいたします。まずは、ご列席たまわりまして誠にありがとうございます。えー、金品の授受ということですがそれに関する情報は我々も週刊誌で読んだものしか得られておらず、あ、それは週刊サウザーに書かれていたことですが、どうもウチの松波が、その、反社会的勢力から、いくばくかのお金をもらってパーティーにゲストとして出たと。そういう記事でございましたが、それは、えーっと、何さんでしたっけ? ……小沢記者? そちらはご覧になられましたか?」

 あきれ顔で、小沢記者が返した。「ええ、読みましたよ。それ書いたの、私ですから」。

 社長は一瞬だけ小さな目を見開いたのち、再び語り始めた。

 「記事をお読みということでしたら話は早いですね。えー、松波がいわゆる直営業を行った上に反社会的勢力からお金までもらっていると、まあこういうご指摘のようですのでお答えいたします。えー、私と松波の関係は、いまをさかのぼること15年前。まだ彼がハタチそこそこの駆け出しで、食うのもやっとな劇団員をやってたところでたまたま出会って、私がこの事務所に連れてきたと。まあそういうところから始まっているのでございます」

 先輩が「うげー」と、かなり大きな声でブーイングを飛ばした。「この社長、どこからしゃべるつもりだ?」。

 社長の答弁は、すべてがこんな感じだった。記者の質問の意味がわかっているのかいないのか、のらりくらり……というか、核心に触れるまでにその周りを何十週も何百週も走っているかのような印象で、一向に記者が聞きたいことをしゃべってくれないのだ。しかも、わざとそうしている風ではなく、社長は一生懸命、噛み砕いて、真摯に答えようとしているのがさらに面倒くささに拍車をかけていた。あるとき、困った記者が、

 「この質問には、YesかNoの二択でお答えください」

 と究極の簡潔質問を出したのだが、社長は、

 「えー、芸能新聞社の大沢記者の質問にお答えいたします。イエスかノーという、ワタクシとしてもじつに回答しやすい助け舟を出していただけたことを、まずは御礼申し上げます。また、お足元がお悪いなかご列席いただき、感謝に耐えません。まことにありがとうございます。さて、大沢記者が言うイエスかノーということですが、その前に大前提の話からさせていただけたらなと。それは何かと申しますと、ワタクシと松波の出会いから始まり、ついに朝の連ドラに抜擢されたときの出来事です。そのとき、私は事務所のマネージャー統括の職に……」

 社長はこの質問に対して、じつに2時間の長演説をぶちかました。そして最終的に、記者が聞きたかった“Yes or No”に言及することなく、そっとマイクを置いたのである。

 

 気づけば会見時間は、異例の7時間を突破していた。途中、経済部のデスクから、「おい、いつまで油売ってるんだよ。早く戻ってこい!」と電話がかかってきたが、「いや……。まだ会見の途中なので……」と小声で言って切ってしまった。自分で行けと命令しておいて、途中で帰って来いもないもんだ。

 それにしても恐ろしいのが、7時間もしゃべっていながら一向に、社長が記者の質問に具体的に答えていないことである。辟易した記者が何度も、

 「簡潔に! 事実関係だけ聞かせてくれればいいです!」

 と詰め寄っているのに、社長は噴き出す汗をぬぐいながら、

 「え、えーっと、日曜新聞社の渋川記者の質問にお答えいたします。事実関係という、核心に迫るご質問をいただきまして、まことにありがとうございます。またお足元がお悪い中……」

 と始まるものだから、記者はあきれることしかできない。だんだんと、この社長が怖くなってきた。

 そして会見が始まってから9時間が過ぎたころ、隣の記者から数枚の紙とメモ帳を手渡された。

 見るとそれは、寿司、ピザ、ハンバーガー、ソバ、丼物の各種メニューと、注文用のメモ。手渡してきた見知らぬ記者は、疲れた顔でこう言った。「食いたいものと、社名、名前を書いて隣の人に回して、って」。どうやら会見は、まだまだ終わらないようだ。

 

 5日前に始まった会見だったが、社長の発言から得られた情報はほとんど“ゼロ”と言ってよかった。疲れを見せる記者を尻目に社長はどんどん元気になっていって、いまやひとつの質問に対して行われる“演説”は、短くても4時間、長くなると余裕で日付をまたぐ“12時間コース”なんてのもあって、次第に記者のほうが質問することに怯え始めていたのである。

 それでも、世間を騒がせた大スキャンダルに関する会見だ。

 それなりの情報持って帰らないと、デスクや編集長にドヤされるのは目に見えている。そこでたまに、

 「もう一度、整理をしてからお答えください。そもそも、今回の問題の原因は」

 なんて、どう考えても社長の演説が長くなるような質問をする記者が現れると、他社のマスコミが一斉に殺気立った。

 「おい! なんて質問してんだ! 長くなるだろ!」、「お前、いま自分が何を言ったかわかってんのか!?」、「つまみ出せ!」なんて、予期せぬ“仲間割れ”が起こる始末。それを見ても社長は、

 「えー、質問が途中で途切れてしまいましたが、今回の問題の原因は……とのことでしたので、イチからきちんと説明を」

 なんて始めるものだから、会場からは「ぎゃああああ!!」、「やめて!!」、「帰らせて!!」という断末魔の悲鳴が上がった。いったい何のためにここに来たのか、俺もよくわからなくなってきた。


 気が付けば年が明け、記者にはおせち料理と雑煮がふるまわれた。しかも料理の皿の下にはポチ袋が忍ばせてあり、その表面に小さく“お年玉”の文字。そっと開けると中から、3万円のピン札がまろび出てきた。

 「お年玉をもらったのなんて、50年ぶりだわ……」

 年配の新聞記者が、感慨深げにそう言ったのが印象的だった。


 そして、会見が始まってから5年の月日が流れた。いまではひとつの質問に対する社長の演説が数日間に及ぶこともザラで、最長では13日と9時間8分かかったものもある。それでも、会見場にひしめく記者の顔触れはほとんど変わっておらず、さすが超大手の会見だけあって、各社がエース級を投入していたことがよくわかった。

 「おい、これを見ろよ」

 俺の先輩にあたる芸能部の記者も、変わらず隣の席にいた。彼は3年ほど前からヒマつぶしで、AIを相手にするチェスをパソコンでやり始めていた。

 「チェスなんてルールも知らないんだけどな。まだ会見は終わらなそうだし、ちょうどいいだろ」

 いたずらっぽい笑顔でそう言っていたことを、昨日のことのように思い出せる。

 先輩に促されて画面を見ると、そこには“WIN!”の文字が大映しされていた。

 「ついに、チェスの世界チャンピオンを倒した最強のAIに勝利したぞ!! 人類で俺だけの快挙だ!!」

 5年のヒマな時間は、ルールを知らない人間を地上最強のチェス名人にしてしまうほどのパワーがあった。


 それからさらに月日が流れ、今日は2049年の8月である。マイクを持つ社長は80歳を大きく越えていたが、その声、どこまでも野太く、ハリがあって、マイクを使わずとも会場を震わせるほどである。

 この30年のあいだに、いろいろなことがあった。

 まず、俺の両親が他界した。会見が始まった30年前、すでに両親ともに70歳を過ぎていたので年齢的には致し方ないものがあったのだが、

 「む、息子が帰るまで、死ぬわけにはいかぬ……」

 そう言って101歳までがんばってくれたオヤジの死に目にも会えなかったことは、いまでも悔やまれてならない。

 また先日、俺の息子が結婚したと、かみさんから連絡をもらった。歳は31歳で、俺が最後に彼に会ったのはおしめも取れない1歳のころ。あの日、本当に何気なく、

 「会社に行ってくる。今日は締め切り日だから、ちょっと遅くなるかもな。息子のこと、よろしく頼むよ」

 そう言って家を出たのだが……ちょっとどころか、30年経ったいまも帰れていない。息子の顔も思い浮かべることができず、結婚の報を聞いても何の感慨も沸いてこなかった。

 そして、チェスの世界チャンピオンとなった先輩記者は……3年前に俺の隣でいきなり泡を吹き、病院に担ぎ込まれてしまった。

 病名は、心筋梗塞。

 なんとか一命は取り留めたが現場(記者会見)に復帰することは認められず、いまでも病院のベッドで過ごしているという。入院の際、先輩はかなり抵抗し、

 「まだあの会見は、始まってもいないんだ! 俺を現場に戻せ!!」

 そう言って騒いだそうだ。チェスばかりやっているように見えたが、さすが、根性の座った先輩である。


 「先輩、今日から担当になりました。よろしくお願いします!」

 そんな先輩の代わりにと、今日からこの会見に派遣されてきたのがこの青年だ。体育会出身のさわやかなイケメンで、いかにも曲がったことが嫌いな熱血漢のように見える。

 「おう、よろしく。まあ、気楽にな」

 俺はそう言って、後輩の肩を叩いた。……そう、もうここでは、何もしなくてもいいのだ。ただただ流れる時に身をゆだねて、されるがままに流されるしかないのである。

 そんなとき、久しく上げられなかった記者の手が、天に向かってスッと伸びた。

 見れば、今日から担当になった俺の後輩である。

 「あ……っ!」

 と思ったときには、もう遅かった。後輩はよく通る元気な声で、つぎのように質問したのである。

 「社長、本日から配属になった新人記者です。私にもわかるように、もう一度イチから、丁寧に説明願えますか?」

 「あーーーーー!」という悲鳴が、会場中の記者から上がった。その声を聞いてキョトンとする後輩に向かって、舌なめずりした老齢の社長が、目をギラつかせながらマイクを持った。

 「えー、ただいまのご質問に、真摯にお答えしたいと思います。イチから……ということでしたので、この会見の冒頭から話しましたことを、繰り返しになりますが、一言一句たがわずにお伝えできればなと」


 そして、さらなる30年が始まった--。

今年、世間を騒がせた芸能事務所の社長の会見を、ショートショートにしてみました

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